ひきこもりと抵抗Ⅰ:ケアと攪乱
社会に対する抵抗かケアの対象か
「ひきこもり」という現象が注目され、それが深刻な社会問題として取り扱われるようになってから20年以上経った。注目された当初は、ちょうど反グローバル運動が盛り上がっていた頃だったこともあってか、一部のラジカル左派がひきこもりもまた、ネオリベ化した不正に満ち社会に対する「抵抗」のあり方の一つだと無責任に言い放っていた。そうした言い草を聞いて自分は心底腹を立てたものだった。苦しんでいるひきこもり当事者の前で、果たしてそんないい加減なことを言うことができるのかと。
とはいえ最近では、その種の言い草の無効性が左派・リベラル界隈でも広く共有されるようになったからだろうか、あるいは注目された当初は(いわゆる「終わらない思春期」として)若者特有の問題だったのだが、中高年層のひきこもりの、その長期化がもたらした悲惨な実態がようやく明らかになってきたからだろうか、ひきこもりで苦しむ(苦しんだ)者たちをもっぱら丁重なケアの対象として見なす言説が主流になったような気がする。たとえば、ネオリベ化した社会に対するラジカル左派的な批判的視点を明確に持ちつつ、ひきこもり当事者の支援に尽力してきた村澤和多里も次のように述べていた。
わたしは、ひきこもりの若者たちの「居場所」つくりに関わってきましたが、「居場所」というのはその人が来るのを心待ちにしていてくれる場所のことだと思います。
— 村澤和多里 (@murasawawatari) 2019年9月11日
はじめて来た人であっても「あなたが来るのを待ってたよ」という気持ちを伝えたい。それだけで、その人の自己肯定感があがるはず。
言われていることは痛い程わかる。ひきこもりが長期化した者ほど、社会との接点が見出せなかったり周囲の目が気になって仕方なくなるため、あるいは親との関係もこじれたまま固定されてしまうため、基本的な自己肯定感*1が大きく損なわれてしまうからだ。自己肯定感が損なわれた者には確かに安心できる場所が必要なのだが、そうした場所は、単にくつろげたりあるがままでいられるような、あるいは何もしなくてもよかったり油断して呆けたままでいられるようなところではまだ不十分である。まさに、当の「あなたが来るのを待っていたよ」と心から「祝福」し「歓待」してくれるような場所でなければならない。ひきこもっていた者たちは、いわばこの社会の中では、(どこか遠いところで)「祝福」され「歓待」されるというかたちでしかもはや他人と接点を持つことができなくなってしまった、「異邦人」の位置に追いやられていたのだから。
ひきこもりと「居場所」
しかしひきこもりは、つまりひきこもった経験があったり、追い詰められた際にひきこもるという選択肢しか選ぶことができなかった者は、そもそも「居場所」というものを見出すことなど可能なのだろうか。ひきこもりと居場所というものは、しょせんは水と油との関係でしかなかったのではないか。異邦人が、たとえ或る場所で歓待され祝福を受けたとしても、結局はその場所を発っていつまでも放浪し続けなければならなかったのと同じように、ひきこもりはいつまでも自分の居場所など見出すことができないのではないか。
なぜこんなひねくれたもの言いをするのかというと、最近、「ひきこもり業界」や「ひきこもり界隈」という言葉を聞いて大きな違和感を覚えてしまったからだ。そもそもひきこもりは、「業界」や「界隈」など形成することができるのか。社会の中のそこらじゅうに存在している、暗黙のルールや特定のエートスが支配した「業界」や「界隈」というものが苦手で、そこを支配していた暗黙のルールがどうしても読み取れず、また、そこに属している誰もが自然に従っていた特定のエートスにどうしても従うことができなかったからこそ、元々はひきこもらざるを得なかったのではないか。「安心できてほっとできる居場所」と言われるものも、しょせんは「居場所」というものでしかなかったから、実際は共通の経験や境遇の共有を通して維持、形成されることになる。そうしたものの共有によって維持、形成される以上、どうしてもそこからは必然的に暗黙ルールや特定のエートスが立ち上がってきてしまうのだ。そのため、今までひきこもっていた者は、たとえ強い祝福を受けて一旦は何らかの居場所に迎え入れられたとしても、やがては(居続けるのが辛くなったり何らかの人間関係のトラブルを起こして)そこを去ることになるのではなかろうか。まさに永遠に放浪し続けなければならなかった異邦人のように。
トラブルメーカーとしての場への介入
さて、どんな居場所にもずっと居続けることができず、いかなる「業界」や「界隈」にもなじむことができなかった一部のひきこもり経験者は、自らのそうした特徴を一種の強みとして生かそうと模索し始めたのだった。暗黙のルールに従えない者が存在すると確かにいざこざが生じるのだが、しかしそうしたいざこざを通じて、今まで気づかれなかったその種のルールの存在が多くの人々に認識されるようになり、ときにはその内容が改めて吟味されるようにすらなる。同じく場を密かに支配していたエートス(慣習、作風)にどうしてもなじめなかった者は、皆から敬遠されるようになったり、ときにはあからさまに排除されてしまうのだが、そうした過程を通して、自分たちが今までなじんできたエートスの、特定の者を遠ざけ排除せざるを得ない狭さや排他性が白日の下に晒されてしまうことになる。
それゆえ、どんな居場所にも自足できなかったひきこもり経験者の一部の者たちは、こちらから積極的に暗黙のルールの存在を指摘したり、場を支配しているエートスの排他性を批判したりして、意識的・自覚的にいざこざを起こし、特定のタイプの人間を敬遠したり排除せざるを得ない人間関係の狭さやその偽善性を暴き立てようと努め始めたのだった。なぜそのようにして自らでトラブルメーカーの役回りを引き受けようとするのかと言えば、それは多分、自分がトラブルメーカーの役割を引き受けさえすれば、暗黙のルールや排他的なエートスをより民主的で開かれたものへと変化させることができると固く信じていたからだろう。この確信というか信念はさらに高じて、自分が場を乱す役割を引き受け続けさえすれば、「業界」や「界隈」というもの(つまりコミュニティ)には必ず存在している居場所というもののあり方を、より柔軟で開かれたものへと大きく変化させられるはずだという、分不相応な期待にまで行き着くことになる。自分たちのそうした努力の結果、特定の者を排除しがちだった居場所というものの性質が大きく変貌して、成文化されたルールと暗黙のルールとへの分裂や、明示化された民主的な方針や原則と、場を淫靡に支配する排他的なエートスとの間の断絶を絶えず自らで認識できるようになり、すぐにそれらのものを解消していくことになるというわけだ。そしてしまいには、自分たちの実践によって、そもそもルールの設定やエートスの支配などを最初から必要としないような、完全に外部に開かれた居場所のあり方まで実現できるだろうという、ほぼ妄想に等しいユートピア的展望にまで到り着いてしまうのだった。
なぜそこまで行ってしまうのかと言えば、それは多分、彼/彼女たちがいわゆるポストモダニズム的な発想に駆動されていたからなのだろう。ポストモダニズム的発想とは、一言で言えば、システムから逸脱したり、システムにとって何らかの過剰性を抱え込んでしまった異端者こそが、システムの現在の状態を批判し、それをよりよいものへと更新していくことができるというものである。そこでは異端者は、システムを内部から「攪乱」したり、「生成変化」の運動を惹起させる特権的な存在として位置づけられることになる。こうしたポストモダニズム的な発想に基づいて、どんな居場所でもトラブルを起こしてしまう自分のあり方を、システムを内部から更新する攪乱者や、システムを常に不安定な状態にする生成変化の運動を惹起させる者へと重ね合わせていったのだろう*2。
だがしかし、ひきこもりの経験があるというか、追いつめられた際にひきこもるという選択肢しか選べなかった者が、そもそもシステムを攪乱したり、生成変化の運動を惹起させる役割など果たすことができるのだろうか。攪乱している最中や、生成変化の運動が生じている途中で、もう嫌になったり突然身体が動かなくなったりして、再びひきこもるだけになるのがオチなのではないのか。あるいはそこまでいかなくとも、十分にシステムを攪乱できなかったり、生成変化の運動を促進させることができないまま、ただ不全感に苦しんでいくだけになるのではなかろうか。
社会に対する抵抗それ自体に対する抵抗?
――これはあくまで私見でしかないのだが、どうもここには、次のような皮肉な機制が働いているように思えてならない。いかなる居場所にも安らうことができなかった自分の性向を、居場所というものが持つ排他性や閉鎖性を批判しながらそれに「抵抗」していくための原理というか、拠点にしようと目論んだ途端、今度は当の同じ性向が、その目論見自体に抵抗するようになってしまったのだと。つまりラジカル左派が、ひきこもりは不正に満ちた社会に対する「抵抗」のあり方の一つだと言っていたことの実態は、実はそうした抵抗の身振りそれ自体に対する抵抗でしかなかったことになるわけだ。
とはいえ皮肉なこの抵抗の二重化は、居場所というものの排他性や閉鎖性に抵抗しようとした際、ひきこもり体質という自らの性向とはまったく異質なものである、攪乱というパフォーマンスや、生成変化という運動に依拠してしまったから生じたものに過ぎないのだろう。また特にラジカル左派の場合は、ひきこもりという現象そのものに、安易に政治な立てこもりやストライキという身振りを重ね合わせてしまっていたのだと思われる。だからこそ、そうした重ね合わせなど通用しないと明らかになった途端に、これまた慌てて、ひきこもりで苦しむ者をもっぱらケアによる包摂の対象だと見なすようになってしまったのではないか。いずれにせよ、ひきこもり体質というものは、社会へと、より一般的に言えば外へと出ていくという身振り自体に抵抗せざるを得なかった何かであることは確かなのだから、その抵抗体質の内実を正しく理解しさえすれば、改めてそれを政治的抵抗に接続していったり、あるいは逆にその内実を範例にして、攪乱や生成変化、さらには立てこもりや座りこみなどとは異なった、新たな政治的抵抗の身振りを創出していくことが可能になるはずなのだ。それゆえ決して、ひきこもりとはしょせん政治的抵抗の身振りそのものに対する抵抗でしかなかったのだという、シニカルな認識に留まり続けるべきではないだろう。
異邦人性と異端者性
ひきこもり特有の抵抗の仕方を正しく認識するためには、まずは、いわゆる「異邦人性」と「異端者性」とを明確に区別していく必要がある。どんな居場所(コミュニティやアソシエーション)にも安らうことができない異邦人性と、あらゆる居場所を逆なでし、そこを不安定なものにさせていく異端者性とはまったく似て非なるものであり、両者を混同することなどできないのだ。異邦人性とは、単にいかなる居場所にも安らぎを見出すことができないという特性であるに過ぎず、決して場に対して積極的な働きかけをすることなどない。それに対して異端者性という特性は、居場所を不安定なものにしてそれを別のものへと組み替えていくことが可能であり、攪乱や生成変化の運動を引き起こすというかたちで、しばしば場に対して積極的に働きかけていくのだった。
確かにひきこもり経験者の一部は、すでに見てきたように、場というものを成り立たせている、明示化された単純なルールと暗黙の複雑なルールや、明文化された正しい方針と自明化された隠微な慣習との間の分裂が理解できないため、それらの間のズレや分裂を暴露してしまい、トラブルを引き起こしがちなのだった。しかしひきこもり経験というものは、場に刺激を与え活性化させる異端者性とは大きく異なり、決して新たな別の可能性を人々に指し示したり、今まで潜在的だったものを初めて社会の中に顕在化させたりするようなことはしないだろう。ひきこもった者は、何も他の可能性を示したり、潜在的なものを新たに顕在化させることもないのだ*3。従って場にトラブルを引き起こしがちなひきこもり経験者は、一見異端者であるように見えるのだが、実は場に何も影響を与えることがない異邦人でしかないのだった。この点を誤認してしまったから、これまたすでに見たように、場というものに存在するルールやエートスのダブスタ状態を暴き立ててトラブルを起こす自分の存在を、場をよりよいものに組み替えていく攪乱や生成変化の運動を生み出せる異端者だと錯覚してしまったのだろう。
ただこの錯覚にはいた仕方ないところもある。なぜなら、場を組み替えるという異端者が持つ効果の方が、場を一瞬逆立てるだけで結局は何も影響を与えないままに終わる異邦人が持つ効果よりも望ましいものだと、世間一般では見なされてきたからだ。それが証拠に、しばしば実際の歴史上の異端者を持ち上げながら、場に刺激を与え、それを組み替えていく異端者性こそ、不正に満ちた社会に対する政治的・文化的抵抗の望ましく範例的あり方だと強調されてきたのだった。だがしかし、場を組み替えていく異端者のあり方の方が、本当に場を一瞬逆立てるだけの異邦人のあり方よりも望ましいのだろうか。ひきこもり体質という異邦人性の内実を正しく理解すれば、こうした世間の先入見など覆していくことができるのではないか。
ひきこもりの存在論的側面
そこで、その内実に迫るために、今度はひきこもりというもののいわば存在論的側面に焦点を当てていくことにしよう。もちろん、ひきこもりというものが生じたりそれが長期化する要因は、もっぱら文化的・社会的なものでしかなかっただろう。社会的自立に躓いてしまった子どもを家族で抱え込む文化的伝統が強い地域では、一般にひきこもりが発生しがちなことが最近ではよく知られるようになった。多分そうした文化的伝統と、社会のネオリベ化に伴った様々な労働環境の変化(雇用の流動化、各種コミュニケーション能力の重視)とが相まって、今や世界中で多くのひきこもらざるを得ない者たちを生み出しているのだと思われる。また、ひきこもりに陥るきっかけや実際のひきこもりの様相は、当然のことだが個々のケースを通して多様である。失職がきっかけでいっきにひきこもり状態にまで行き着いてしまったり、あるいは親子関係の歪みが強い影響を与えていた場合もあるかもしれない。さらに発達障害が関与していることも稀ではなく、ときには何らかの精神疾患が絡んでいたことすらある。とはいえ、たとえこのように発生要因がもっぱら文化的・社会的なものであったり、その実際の様態が多様であったとしても、ひきこもりという現象や経験を通して初めて私たちにとって露わになるような存在論的な側面があるはずだ。
ただそれを捉えようとする際、いかんともし難い体質として現れがちなひきこもりのその存在論的側面と、単なるひきこもりの「心理」とを混同しないよう注意しなければならない。ひきこもりの渦中にある者の心の中は、当然、外に出て働かなければいけないという強迫観念や、働いていないままの自分自身に対する負い目や焦りでいっぱいになる。けれどもこうした強い思いそのものは特に存在論的側面とは関係なく、むしろ、いざ外に出ようとしても出られないまま強迫観念や焦燥感ばかり募っていくだけの状態に人を追いやってしまった当の何かの方こそが、ひきこもりの存在論的次元に横たわっていると言えるのだ。そうした存在論的な何かに関して、次回のエントリーでは取りあえず次の2つの側面を取り上げていきたい。1つは「生きられた現象学的還元」という側面であり、もう1つは「収縮への意志」という側面である。
次回に続く。
*1:「自己肯定感」や「自尊心」という言い方に対しては、一部のケア関係者が、それらの表現は「自分自身」で、つまり自助努力で高めていくことができるという錯覚を与えてしまい、人びとを益々ネオリベ的価値観のうちに閉じ込めていくことになるから、その使用は避けるべきだと主張しているが、今はこの問題には立ち入らない。
*2:ちなみに、こうしたあり方の資本の論理に内部化されて成立した逆立像こそが、トラブルを起こしたり炎上騒ぎを起こすことでPV数を稼いでいる、お騒がせ系Youtuberということになるのではないか。
*3:またアガンベンの言うような、常に潜在的なままに留まり、決して顕在化しようとしない「無為」や「不活性化」というあり方とも異なる。一部の批評家たちが、特に彼のバートルビー論などを用いながら、ひきこり状態をこのあり方と重ね合わせていこうと試みていたが、しかしそれは、ただ議論を混乱させただけだったのではないか。