外付脳内そっ閉じメモ

脳内に澱のように溜ったものの単なる置き場デス。そっ閉じ必至。

2冊の人新世本

2冊の人新世本、篠原雅武『「人間以後」の哲学:人新世を生きる』、斎藤幸平『人新世の「資本論」』読了。同じ人新世について論じているにもかかわらず、両者が見ているところはまったく違っていた。また人新世と人類社会との間の関係の把握の仕方も大きく異なっていた。この2人の著者は、昨年の冒頭に雑誌で対談したときにうまく(というか殆ど)会話がかみ合わなかったのだが*1、確かにそれもむべなるかなと正直言って思わざるを得なかった。

2人が見ている世界の違い

簡単に言えば、篠原は、人新世の時代に新たに広がり始めた、人間がもう生きられなくなった世界の方をもっぱら見ていて、反対に斎藤は、人間がまだ生きられる世界の方に最初から焦点を絞っていたのだった。より詳しく言うと、篠原は、人新世の時代になると、人間が生きることができる世界は、人間が生きることができなくなった世界の上にかろうじて築かれるものでしかなくなり、従って、人間がまだ生きることができる生活世界は、もう人間が生きることができなくなった荒廃した世界によって常に浸食、攪乱されるようになると見ている。そうした人間の生活世界は当然脆くて心もとなくなり、そこで営まれる生活も人間主体のあり方も大きく変容せざるを得なくなる。篠原は、そうした生活や主体の変容をもっぱら記述しようと努めていた。

一方斎藤は、人新世の時代になってたとえ人間が生きることができない世界が広がり始めたとしても、いや逆に広がり始めたからこそ、まだ人間が生きることができる世界を全力で守っていかなければならないというスタンスを取る。そこでポイントとなるのは、資本主義体制の暴走の度が増してついに臨界点に達したという認識だ。元々資本主義という体制は、どんどん暴走しながら人間が生きにくい世界を地球上に生み出してきたのだが、その暴走が高じて気候変動をもたらし、遂に地球を実際に人間が生きることができない世界にし始めてしまった。こうした人新世の状況下では、資本主義に反対して、人間が生きにくい世界の是正に努めてきた社会運動は、さらに新たに、人間がまだ生きられる世界を守るという新たな使命まで引き受けざるを得なくなる。斎藤は、資本主義に反対してきた社会運動がこの新たな使命を引き受けることになった事実を強調しながら、だからこそ今まで以上に資本主義に反対する運動を推し進めるしかないのだ、と力を込めるのだった。

人新世という時代と人類との関係の把握の仕方の違い

このように篠原と斎藤は見ている世界がまったく違っていたのだが、その違いは、人新世という新たな時代の到来と人類社会との関係の把握の仕方のそれにまで及んでいた。まず篠原にとって、人新世の時代に始まった、人間が生きることができない世界の地球上での拡大は、もう取り返しのつかないところまで来ている。いわゆる「大洪水」はすでに相当進んでいて、人間がそれを止めるにはもはや手遅れだったのだ。だからこそそうした新たな地球(表面)の状況に適応していくために、人間主体は大きく変容せざるを得なくなる。

一方斎藤にとっては、確かに人新世の時代になって人間が生きることができない世界の拡大は開始されはしたのだが、まだ人間が何とかすればその進行を押しとどめて封じ込めることができる。つまり「大洪水」はすでに始まりつつあるのだが、人間がそれを止めるのにはまだ間に合うのだ。但しそうは言っても、許された時間がもう残り少ないことには変わらない。そしてだからこそ、従来から資本主義に反対してきた社会運動は、さらにその運動を強化、促進させ、人間が生きられる世界の守護に邁進していく必要がある。地球温暖化や気候危機を引き起こして人新世という新たな時代をもたらした犯人が資本主義であるのは、あまりにも明らかだったのだから。

人間が生きることができる今までの世界を守り通すことはもう間に合わない/いやまだ間に合う(ポスト・アポカリプス/プレあるいはイントラ・アポカリプス)。――これが、人新世の時代に激化した気候変動と従来の人類社会との関係に対する2人の著者の捉え方の違いである。この違いに応じてか、「人新世」という表記の読み方までもが両者の間では異なる始末なのだった。篠原本では「人新世」は「じんしんせい」と読ませるのだが、この読み方からは明らかに、地球環境の不可逆な変化に応じて、人類の方も根本的な変化を強いられ新しいあり方をせざるを得なくなる(「人新」化)という含意が読み取れる。一方斎藤本では「人新世」は「ひとしんせい」と読まされるのだが、この読み方には、著者本人があとがきで少し述べていたように、資本の専制とそれが原因である気候危機から、今までの人類社会を守ることに成功し、人類が人類として(つまり「ひと」として、「ひと」のまま)自立して新しく生まれ直すことができるという意味が明らかに込められていた*2

2人の間で想定される互いへの批判

以上のように2人の著者は、同じ人新世というものを扱いながらも、見ているところもスタンスもかなり異なっていたのだった。そこで、もし両者が互いを批判するとどうなるのか、簡単に想定してみたい。まず篠原からすれば、斎藤は、もう従来の生活世界や主体の在り方は維持できないという、人新世という新たな時代の核心を捉え損ねていることになるだろう。旧来のヒューマニズムの立場に立って、従来の生活世界や主体のあり方をただ温存させようと汲々としているとしか見えない筈だ。

一方斎藤からすれば、篠原のようにもう取り返しがつかないと危機を煽ることは、災害や危機を契機として資本を再編し、富裕層による財の独占を一層進める惨事資本主義や、あるいは、気候危機への対応を口実にして統治の肥大化を正当化する、彼言うところの気候毛沢東主義にただ加担することにしかならないだろう。またもう遅いという認識の強調は、必然的に、今後も人類が存続するためには今以上のテクノロジーの発展に期待をかけるしかないという発想をもたらすことになる。人間が生きるのが困難になった荒廃した環境下でも生活し続けるためには、高度なテクノロジーに全面的に依存するしかなくなるからだ。しかしこれでは、原発などの巨大技術の存在を正当化したり、あるいは、プラットフォームを独占したうえで新たなテクノロジーの開発に色々と触手を伸ばしている、既存の巨大テック企業をさらに肥え太らせることにしかならない。

以上のように2人の著者は考え方も立場も対照的なのだが、この両者からは色々と教えらえられるものが多かった。とは言ってもその一方で、やはり不満や疑念の方がどうしても残ってしまう。次にそれらについて少し見ていきたい。

篠原本への不満

篠原は、生きられる空間(アンビエント空間、周囲環境Umwelt、場所)の特有の感触(気配、雰囲気)や独特の風景、光景の記述に徹しようとした、日本独特の風土論、風景論の系譜に位置する書き手だと言える。この系譜は和辻哲郎の風土論と、現象学系の空間論が独特の仕方で融合することによって生まれ、戦後の新京都学派の一翼を担っていた。生きられた空間の感触の記述に専念するという、この系譜の方法論に従うと、たとえ生きることができない世界に遭遇したとしても、その遭遇の只中で、生きることができない世界のその生きることができなさをあくまで生きようと努めることになる。そうした努力を通して、生きることができないということ自体の生きられた感触を、何とか言葉に書きとめていこうとするわけだ。

しかし以上のような方法論では、生きられなくなった世界との遭遇によって生じた、主体や生活世界の根本的変容の把握が不十分なものになるのではないか。もはや生きることができなくなった世界や、生きて活動するという選択肢が自明なものではなくなった(主体ならざる)主体の様態を受容しようとする際、それらのものを生きて、そこから何らかの生きられた感触を得るという仕方に相変わらず固執し続けることになるからだ。もはや生きることができない世界や、生きて感じて活動することが困難になった主体の様態を受容するためには、それらを生きるというか、生きてみてそれ特有の感触を掬い取るという仕方以外の方法が本来は必要になる筈だろう*3。にもかかわらず、生きることや、生きられた感触にあくまで拘泥するならば、生きられるアンビエント空間が、実際には、生きることができない世界に遭遇してすでに崩壊し始めたにもかかわらず、あくまでその空間の維持に努め続けようとする、ただの防御的な姿勢に終始してしまうのではないか*4

こうした篠原の方法論の特徴は、本の中でもその著作が取り上げられていた、往年の多木浩二の方法論のそれに相通じるものがあると思う。多木は最初は現象学から出発し、途中から記号論を色々と取り入れていったのだが、しかし彼の方法論はあくまで、まさに生きられた経験の只中での生きられた感触を記述するという現象学的なものだった。そして、生きることにとって徹底的に疎遠であり、また実際に生きてみてその感触を覚えるのがとても困難な、空虚な記号たちが増殖し始めた新たな事態を前にして、まさに、そうした事態特有の生きられた感触を析出しようと努力し続けたのである。つまり、生きることが困難な記号たちのその空虚さ自体を生き生きと体験しようとしてみたわけだ。

空虚のまま増殖していく記号世界に対して、それにはそぐわない現象学的方法を敢えて適用し続けること。そうすることによって、生きられた現象学的空間と、生きることにとって疎遠な記号世界との間の溝に留まり続け、生にとってよそよそしい記号世界のその疎遠さを、あくまで生きて感じ取ろうと努めること。こうした多木の方法論は、以下のような篠原のそれとちょうど対応している。生きることが不可能になった世界、つまりアクセスが不可能になった実在の殺到、せり出しを前にして、そうした事態にはそぐわない、生きられた空間の記述に徹する現象学的な風土論、場所論の方法を敢えて適用してみること。そうすることによって、気配や雰囲気に浸ることができるアンビエント空間と、アンビエント空間の成立自体を許さない、アクセス不可能な実在たちが殺到し始めた事態との間に留まり続け、気配や雰囲気に浸ることなど許さない世界の到来、浸透がもたらした、崩壊や消滅の予感に彩られた特有の気配や雰囲気の記述に徹していくこと。

斎藤本への疑念

〇人新世とグローバル資本主義

斎藤が強調してやまない、コモンの共有、共同管理による民主主義の実現、さらには、コモン特有の潤沢さの全面的な享受による脱成長的な仕方での持続可能性の実現という戦略は、元々は、グローバル資本主義新自由主義)に対抗するためのリバタリアン左翼たちのそれだった。そのため、グローバル資本主義に対抗するための戦略が、そのまま、気候危機という、人新世の時代に新たに生じた状況に対応するための戦略へとスライドされただけなのではないか、という疑念がどうしても払拭できない。

もちろん、気候危機を引き起こして、人新世という地質学的年代を新たにもたらした張本人は資本主義体制だったのだから、その資本主義に対抗するための戦略が、深刻な気候危機に対処するためにもかなり役立つのは当然のことだ。しかし、気候危機がもたらす影響があまりにも大き過ぎたために、従来の対応策ではもうどうにもならなくなったからこそ、わざわざ人新世という別の年代を設定したのではなかったのか。そこでは、今までのやり方ではもはや対応できなくなった新たな事態が生じていたというか、すでに萌しているのではないか。そうであるにもかかわらず、グローバル資本主義に対抗する仕方はそのまま気候危機に対処する仕方としても有効だともっぱら強調し続けると、単にコモンを共有したり、その潤沢さを全面的に享受しようとするのとは明確に異なった、人新世下の新たな事態に対処するためのプラスアルファの部分が決定的に見えなくなってしまうと思う。そうした部分にまったく注目しないまま、人新世の時代だからこそコモンの共同管理を、脱成長的な持続可能な社会の実現をと一方的に主張するだけでは、いつのまにかそれは、もう猶予がない、もう時間がないからこそリバタリアン左翼が昔から唱えてきた戦略を選ぶしかないと、ただ煽ってせき急き立てるだけのふるまいに等しくなってしまう。そこでは人新世という新たな時代の到来が、単に自らの戦略を正当化するためのダシのようなものとして利用されるだけになるのでは?

〇生産力至上主義/持続可能性という対立図式

また斎藤本でもう1つ気になったのは、〈生産力至上主義/持続可能性〉という対立軸を設定して、自分ははっきりと後者の立場に立つと言い切ってしまった点だ。生産力至上主義とは、テクノロジーイノベーションによる生産力の増大を何よりも優先させ、その増大によって、資本の利潤率が下がっていく中でも引き続き経済成長を維持させようとするとともに、人新世の下での気候危機に対しても、テクノロジーの進歩によって何とか対応しようとする立場のことである。一方持続可能性の立場の方は、前近代的なコミュニティが、入会地などの共有地(コモン)を適切に共同管理し、それが本来持っていた豊かさを十分に発揮させることを通してコミュニティを持続させてきた歴史を重視する。こうしたコミュニティのあり方を範例にして、経済システムを、もはや資本の自己増殖運動に依存することがない、脱成長的なものに改めようと目論むのだった。社会の中に、様々な共有地や共有物の共同管理を復活させていけば、(私的所有の原理に基づいた)資本の運動にもはや頼らなくても豊かさを実現して、それを人々に間で平等に分かち合えるようになり、ひいては同時に、CO2の排出や自然環境の破壊も抑制できる筈だと考えるのである。

以上のような2つの立場をリジットに対立させて、もっぱら持続可能性の立場の方を選択しようとすることが持つ問題点は、おおよそ次の3点になるだろう。

)資本の運動に身を委ねる以外の仕方で、テクノロジーイノベーションをどう起こし、どういった方向に導いていくのかという重要な問題が切り捨てられてしまう。そのためテクノロジーやそのイノベーションも、もっぱら共同所有、共同管理の対象であるコモンの多くあるものの1つとしてしか捉えられなくなるのだ。斎藤はせっかく、A・ゴルツの、〈他者との協同やコミュニケーションを促す「開放的技術」/人々を分断、奴隷化させると共に特定の者への独占を許す「閉鎖的技術」〉という(こちらの方は)有益な対立軸を導入したにもかかわらず、これではこの対立軸が充分に生かされないままになってしまう。開放的技術は、もっぱら共同管理の対象でしかない、数あるコモンの中の1つに過ぎないようなものではないだろう。そうではなく、コモンの共同管理、共同所有の仕方自体に深く関わり、それをより好ましいものに改善するという重要な働きをする筈だ。つまりテクノロジーは、共同管理、共同所有の仕方自体を改めていく可能性をも持つものの筈なのだ。こうした側面が無視されてしまって果たしてよいのだろうか。

また人新世の時代下で気候変動が深刻化していくと、様々なコモンが本来持っていた豊かさを適切な共同管理によってただ発揮させるだけでは、もはや社会の持続可能性を確保することができなくなる。そうなった際には、コモンの共同管理によってだけではなく、さらに何らかのテクノロジーを駆使して過酷化した地球環境に対峙していかなければならなくなるのだが、この種の可能性も考慮されてはいないのだった。もちろん斎藤自身は、まだ少し時間が残っているから、すぐに社会をコモンの共同管理中心のものに再編しさえすれば、資本主義によるこれ以上の地球環境に対する収奪を阻止して、コモンの共同管理だけで持続可能性を実現できるようになる筈だという立場を取っていた。それゆえ、テクノロジーに依存した持続可能性の実現の可能性など、最初から視野の外に置かれていたのは当然のことだったのだが。

)上の)で言われたことと深く関係している点なのだが、前近代的なコミュニティにおけるコモンの共同管理、共同所有が、経済の持続可能化の範例として立てられてしまうと、コモンの共同管理、共同所有を執り行うアソシエーション(協同組合)の側面が、もっぱらコミュニティ(特定の価値観、生活習慣、生活様式が共有され、その共有を通して成員に帰属意識アイデンティティがもたらされる集団)に重ね合わせられるようになり、二つの側面の間の区別が曖昧にさせられてしまう。確かに前近代的なコミュニティには、コモンを共同管理するアソシエーションの側面が常に兼ね備わっていたのだが、後者のこの側面は、私的所有の原理に基づいた欲望の体系であるソサエティブルジョワ社会)という否定的媒介を経て、初めて前者のコミュニティという側面から分離されて自立できるようになるのではなかったのか。そのような否定的媒介を経ることなく、コミュニティに元々備わっていたアソシエーションの機能が、ただ疎外論的に高次の次元で回復されるだけだとなると、いつまでもアソシエーションとコミュニティは結びついたままになってしまうだろう。アソシエーション(機能)の実現は、特定のコミュニティを形成することを通してしか可能ではないことになる*5

前近代的なコミュニティのコモンの共同管理を範例にして経済システムを持続可能なものしようとする以上のような試みを、斎藤は脱成長的なコミュニズムと呼ぶ。「コミュニズム」という言葉を用いるのは、こうした試みは、元々は、『資本論』以降の晩期マルクスが主張していたものだと考えているからだ。今までのマルクス研究では、『資本論』以降の晩期の草稿群の研究が手薄だったため、晩期マルクスの主張が主張していたことがあまり知られていなかった、しかし研究が進んで晩期マルクスの考えが明らかになり、実はそれこそが人新世の時代にこそ意義があるものだったというわけだ。

しかし、特定の時期のマルクスの思想を特権化して、その意義や現代性を説くというふるまいはもはや時代遅れのものでしかないのではないか。確かにマルクスの考えや立場は、時期ごとに微妙だが決定的なところで異なっていて、それらを改めて照らし合わせてみると、統一した像を結ぶのが難しいのだった。そのためかつては、時期ごとに大きく異なる考え方や立場の背後に、実は隠された統一や調和が存在している筈だと想定され、解釈によって何とかそれらを浮かび上がらせようと多くの者が努力していた。だがその結果、マルクスの読み方がかなり恣意的なものになってしまったため、この状況に危機感を覚えた者たちは、今度はテキストの厳密な読みを重視するようになり、むしろ各時期の間のマルクスの立場の変化や断絶の方を強調するようになった。とはいえただそれだけではマルクス特有の思想を明確に押し出すことができなかったため、さらに特定の時期のマルクス(『経哲草稿』期の初期マルクスや、『ド・イデ』から『資本論』にいたる後期マルクスなど)を、それこそが「真のマルクス」だ、「マルクス思想の核心」だなどと過剰に煽りながら特権化するに至ってしまった。こうして、どの時期のマルクスを取るかをめぐって不毛な対立や論争が生じるようになったのだが、この後に及んで「晩期マルクス」なるものをつけ加えようとする斎藤のふるまいは、その種の対立や論争をより悪化させることにしかならないのではないか。単に屋上屋を架すようなものでしかないのでは。

マルクスは、革命の実現によって資本主義体制を打破するという、終生変わらなかった目標を達成するために、立場や主張を生涯の間に次から次へと変えていったわけだから、当然そこには、連続している面と断絶している面との両方が存在していることになる。従って、この両面を統一した像の下に包摂したり、そのどれか一つを特権化することなどもはや必要ないのではないか。むしろマルクス研究者としてこれからやるべきなのは、連続と断絶の両面を抱えたままのマルクスの生涯の思想的営みを、未完成のままの巨大な運動として描き出していくことになると思う。また彼が提出した諸々の理論や分析は、現在にも通用する深い洞察と、時代の限界が刻印された認識とが複雑に絡み合った状態にある筈だから、その絡み合いをていねいに解きほぐしていく必要も出てくる*6。こうした作業の方が、晩期マルクスを特権化することよりもはるかに重要であり、また人新世の時代を新たに生きるようになった私たちにもより役立つように思われるのだが、果たしてどうなのだろうか。

自分の立場

いつも否定から入って結局何も建設的なことは言わないまま終わってしまう、典型的な陰キャのふるまいのように難クセばかり述べてしまったので、最後は少し前向きな話を。文句ばかり言っていたがではお前の立場は何なんだ?と突っ込まれそうなので、自分の立場をごく簡単に明らかにしていきたい。

自分の立場とは、一言で言えば、篠原本と斎藤本のそれぞれのいいとこ取りである。まず篠原本からは、人新世の時代では私たちの生活世界は根本的な変容を強いられるという認識を踏襲していきたい。それゆえ、「人新世」という表記は断固として「じんしんせい」と読むことにする。私たちが生きている世界は、人間がもはや生きられなくなった世界の上にかろうじて築かれるものでしかなくなったため(実は人間の生活世界のシステムは昔からすでにそのようなものでしかなかったとも言えるのだが)、人間が生きられない世界からの浸食を絶えず受けるようになった。そのため、私たちの生活世界は人新世の到来とともに根本的に変容してしまったのだ。――篠原はこう強調してやまないのだが、確かにそれはそうだと思う。とはいえ生活世界の根本的な変容を、アンビエント空間の中で主体が経験する雰囲気や感触の変化としてあくまで記述していこうとする、篠原が選択した方法論の方に対しては留保を表明したい。人間が生きることができない世界が人間が生きている世界の内に浸食し始めたならば、雰囲気や感触に主体が浸ることができるアンビエント空間の成立自体も困難になっていく筈だからだ。それゆえ、こうした生活世界の根本的な変容に対処するためには、アンビエント空間に浸るのとは別の主体のあり方に依拠していくようにするしかないだろう。多分そのあり方は、アンビエント空間が成立しなくなって途方に暮れている主体の状況に依拠しながら改めて作り出されていくことになると思う。その状況を正面から受け止めながら、感覚を研ぎ澄ましたり微妙な感触に浸るのとはまったく異なった、世界との別の接し方(近接性)を立ち上げていくべきなのだろう*7

一方斎藤本からは、反資本主義、脱成長、コミュニズムの可能性の追求という基本的スタンスをそのまま踏襲していきたい。特に反資本主義とコミュニズムの追求というスタンスは、SDGsグリーンニューディールが掲げる種々の数値目標が、私企業の利潤追求活動を単に正当化するための空疎なお題目に後退しないようにするためにも、絶対に必要なものになるだろう。とはいえ、人新世が到来した状況に対する斎藤の認識の方に対しては留保せざるを得ない。彼は次のように強調してやまないのだった。まだかろうじて間に合うから、急いで気候変動への対処を進めれば、(従来の人間性が維持された)今までの社会のあり方を何とか「持続」させることができる筈だと。さらにまた、脱成長を達成しさえすれば、資本主義体制下よりも多くの者が種々のコモンが本来持っていた潤沢さを平等に享受できるようになるから、むしろより豊かな社会が実現することになるだろうとも。しかし本当にそうなのだろうか。むしろ逆に、もう間に合わないから、新たな状況に適応するために社会のあり方や従来の人間性も大きく変化させていかざるを得ないと考えた方が、結局は、より現実的で地に足がついた対策が取れるようになるのではないだろうか。そもそも社会の根本的な変化と言われるものは、新たな状況にしぶしぶ適応することから常にもたらされてきたのであり、また社会の変化を主導した新しい思想や観念は、まさにそうした状況をもはや逃れられないものとして直視することからしばしば生じてきたのだから。

また斎藤本の中では以上のような状況認識と、次のような主張とが表裏一体のものとなっていた。彼いわく、前近代のコミュニティをモデルとした、コモンを共有・管理するアソシエーションを確立して相互連携していくだけで、人新世下の気候変動に対処できるようになる筈だと。残念ながらこちらの主張に対しても留保を表明せざるを得ない。コモンを共有するアソシエーションの確立は確かに必要なのだが、しかしそれだけでは深刻な気候変動には対処できはしないだろう。また確立されるべきアソシエーションの方も、単に前近代のコミュニティを範例にしたものだけでは不十分になる筈だ。人新世下の新たな状況に対処できるような、過去に前例のないような、まったく新しいタイプのアソシエーションをゼロから構築していく必要も出てくるだろう。いずれにせよ、非資本主義的な体制にふさわしい、脱成長状態を維持するための新たなテクノロジーのシステムの設計や構築が、プラスアルファとなる重要な課題として浮上してくることになると思う。テクノロジーは、決して単なる共有、管理の対象となるコモンの1つではなかったのだから。

コミュニズムについての付論

最後に本論からははずれてしまうが、アソシエーションというものばかりが重視される最近の左派界隈の風潮に一言苦言を呈しておきたい。私見によればコミュニズムの運動とは、アソシエーション(協同組合)主義だけではなく、改良主義と前衛主義という他の2つも必要であり、それらの3つが揃って互いに三位一体的な緊密な関係を形成して初めて成立するものだと言える*8。ここで言われている前衛主義とは、もちろん少数精鋭の前衛党による指導を重視するという意味も含んでいるが、それよりもより広い意味で、社会や人間のあり方に積極的に介入して、それらを根本的に変化させるような集団や組織を形成し、またその形成の運動と同時に、実際に社会や人間のあり方に介入して、それらを大きく変化させていく実践を重視することを指していた。社会や人間をどう変化させるのかと言えば、それは当然、まず社会に対しては、自由、平等、連帯がその中で全面的に実現できるように仕向け、また人間に対しては、自由、平等、連帯を何よりも尊重できるように仕向けていくことになる。こうした変化を人為的、作為的にもたらそうとする*9前衛主義の実践は、しばしば排他的な党派に収斂していったり、あるいはときには狂信的なカルトに等しいものへと逸脱してしまうことが多かった。そのため、この種の行き詰まりを何とか避けようとするために、特に68年革命当時は、前衛党の形成・運営と、集団的な精神療法、精神分析とを合体すらさせようとした動きも存在したのだが、残念ながらそうした動きは不十分なまま頓挫してしまったようだ。そのためスターリン主義の経験を経て以来、数々の企ての行き詰まりを前にしたまま、前衛主義はずっと機能不全を起こしている状態にあると言える。

そしてそうだったからこそ、アソシエーション主義が現在に到って力を持つようになったのだろう。これは当然のなりゆきだったと思われるのだが、しかしだからと言って、アソシエーション主義に依拠しさえすれば前衛主義の機能不全を克服できるとか、あるいは、アソシエーション主義の立場を徹底しさえすれば、前衛主義の機能不全の問題に一切タッチせずにコミュニズムの運動を進めることができるなどと考えてしまうのは、明らかに不適切だろう。それは行き過ぎた異端的な発想でしかないと思う。はっきり言えば、大きな錯誤であるとすら言えるのではないか(いわゆるマルクスプルードン化?)。そもそも改良主義の方も、同じように前衛主義の行き詰まりの問題からさっさと手を引いて、自分の立場だけを推し進めることに徹していたのだが、こうした選択をした結果、20世紀の資本主義の展開に対してはまったく太刀打ちできなくなり、ただそれを補完するだけの役割に甘んじるだけになってしまったのだった *10。一方アソシエーション主義の方は、現在はネオリベ的な金融資本主義への有力な対抗軸として一応機能してはいるのだが、しかし近い将来、資本主義の側がいわゆる監視資本主義や信用資本主義に再編されていけば、従来のように有力な対抗軸として機能し続けられるかどうかは決して定かではないだろう。そもそもアソシエーション主義の立場では、各アソシエーションの成員は、もっぱら「倫理的に」ふるまうように、つまり互恵的、相互扶助的にふるまうように求められていたのだが、監視資本主義や信用資本主義が、人々をまさに倫理的・道徳的にふるまうように強く誘導、操作するようになった暁には、果たしてアソシエーション主義はその動きに対して有効に抵抗し続けることなどできるのだろうか。やはり前衛主義からの介入を別に仰ぐようにしなければ、人々を倫理的なふるまいへと善導するようになった監視資本主義や信用資本主義に対しては、充分に抵抗していくことなどできなくなるだろう。そしてそうだからこそ、現在の前衛主義の機能不全状態に正面から取り組み、それを早く何とかしていかなければならないと思われるのだが…。

*1:篠原雅武+斎藤幸平「討議:ポスト資本主義と人新世」、『現代思想』2020年1月号「特集=現代思想の総展望2020」所収

*2:「人新世」という表記に以上のように2つの読み方が生じたのは、実際のところは、単に出版社の方針の違いに拠るものでしかなかったのかもしれないが。

*3:たとえばC・マラブーは、深刻なトラウマなどによって主体の通常の機能が大きく損なわれた状態のうちに「可塑性」という様態を見出して、それを、資本主義体制下で望ましいと見なされていた、「柔軟性」という主体の通常の様態と区別することに努めていった。こうした彼女の努力などが、生きることが困難になった状態を、生きること以外の仕方で受容する方法について考えていく際に参考になるだろう。ただしマラブーの場合は、可塑性というものが、主体性の本質であるとされた生命の活動性と直結されてしまい、むしろ可塑性こそが生命の活動性を基礎づけるとされたため、結局は従来の人間中心主義的な主体観や生命観を強化させることにしかならなかったのだが。

*4:なお千坂恭二も以下のように同じような不満を漏らしていた。

*5:もちろん、コミュニティの側面なきアソシエーションを強引に実現させようとして、その側面を無理やり抑圧していこうとすることの暴力性は問題にされなければならないのだが。しかしだからと言って、アソシエーションをもっぱらコミュニティに基づかせ、またコミュニティの1機能としてアソシエーション機能を発揮できるようにさえすればよいわけではないだろう。

*6:斎藤はマルクス思想の核心を、階級闘争や、生産関係と生産力との間の矛盾ではなく、物質代謝に着目した点に見ているわけだが、そのマルクス特有の物質代謝論が現在の生物学や生態学の水準から見てどのくらいのものだったのか、明示する必要があっただろう。また階級闘争や生産関係と生産力との間の矛盾と、物質代謝とがどのように関係していたのかについても、改めて明らかにする課題が生じてくることになる。多分こちらの課題の方は、別の著作で新たに着手されることになるのだろうが。(*2月28日補足:その課題に関しては『大洪水の前に』ですでにある程度果たされていたようなので、改めてきちんと読んでみます。)

*7:しかし実際は、問題はもっと複雑である。篠原は、周囲に漂う雰囲気の微妙な変化(脆さや崩壊の感覚のせり出し)を通して、人新世の到来による生活世界の根本的変容を把握していくという発想を、もともとはT・モートンアンビエント空間論から受け取ったのだが、当のそのモートンは、G・ハーマンのオブジェクト指向存在論の影響を受けて、従来は人間的主体のものだと思われていた、雰囲気に浸ったり感覚を研ぎ澄ましたりする経験を、人間とはまったく無縁な(あるいは人間もあくまでその一部でしかない)よそよそしい対象同士の関係として読み替えていくということをしていたからだ。つまり、生きることができない世界に触れることによって生じた、様々な幻影が憑きまとう慢性的なパニック状態は、実はよそよそしい対象同士が関係する(近接する)際には常に起きていた、客観的な出来事であったということになる。篠原は、T・モートンのこうした一種の実在論的転回を充分に考慮せず、相変わらず雰囲気に浸ることを主体の経験として捉え続けていたことになるのではないだろうか。以上のようなモートンの理論的展開を踏まえるならば、生活世界の根本的変容を捉えていく仕方には、アンビエント空間自体の未成立、崩壊に定位していく方向のほかに、もう1つ、アンビエント空間の中でせり出し始めた脆さの感覚や慢性的なパニック状態を、人間主体とは無縁なよそよそしい対象同士の関係として把握し直していく方向もあったことになる。いったいこの2つの方向はどのように交差していくことになるのだろうか。なお篠原のモートン受容の不十分さと、モートンの一種の実在論的転回については、菅原潤の新著が詳しい(菅原潤『実在論的転回と人新世』知泉書館、2021年、第5章「ティモシー・モートンの超過客体」)。

*8:厳密に言えばもう1つ評議会(コミューン、カウンシル)主義というものも存在している。しかしこの評議会主義も、アソシエーション主義と同じく、漸進的な改良主義と、権力の一極集中を進めた前衛主義との双方から自らを区別しながら、自治や自主管理というものを重視していく潮流であるから、ここでは暫定的にアソシエーション主義のうちに含めることにしたい。ちなみに、長崎浩が、蜂起(叛乱)の自然成長性に依拠しながら、その自然成長性を保持する装置として評議会権力を基礎づけようとしたのに対して、斎藤幸平は、自然の物質代謝過程に依拠しながら、自然と人間との間の物質代謝過程の亀裂を修復させる装置として、前近代的なコミュニティをモデルとしたアソシエーションを基礎づけていると言える。

*9:変化を人為的、作為的にもたらそうとすることとは、一言で言えば「改造」するということである。

*10:最近の左派加速主義の潮流は、この改良主義の立場の最新版に相当すると思われる。確かにこれからは、テクノロジーの設計や運営こそが対資本の主戦場になることが予想されるから、左派加速主義の主張は一定の意味を持つようにはなるのだろう。しかしアソシエーション主義や、そしてとりわけ前衛主義との連携が存在しないままでは、やはり資本への抵抗は不十分な状態のままに留まるのではないか。