外付脳内そっ閉じメモ

脳内に澱のように溜ったものの単なる置き場デス。そっ閉じ必至。

メモⅩ:歴史意識の4類型

1 終末意識

冷戦時代ではわりとストレートな終末意識が主流だった。2大超大国による核戦争によって、人類そのものが絶滅してしまう可能性がリアルに感じられていた時代だから、それも当然だろう。また、そうした状況を生んでしまった(西洋)近代文明を拒否して、もっと自然や大地に根差した新たな生き方を模索し始めた反近代の立場に立つ者たちも、近代文明の横暴を終わらせて自分たちが別の生き方を始めれば、まったく新たな世界が地上に到来するようになるはずだと、これまた強い終末意識を持っていた。核戦争による人類絶滅への不安が終末論的なものであるとすれば、こちらの意識の方は、既存の世界の終末後に地上にユートピアが実現するだろうと期待してやまない、千年王国運動的なものだったと言える *1

2 歴史の終焉意識

ポストモダンの時代には、歴史意識自体の終焉、無効化が取り沙汰された。ネオリベ改革を推進した者たちは*2、この道以外には存在しない、オルタナティヴな可能性などあり得ないと吹聴し、また冷戦終焉を言祝いだ者たちは、西側の自由民主主義の最終的な勝利によって、歴史の進歩はすでに終局に達したのだから、もはやこれ以上の歴史の展開などあり得ないと、自信をもって断言してはばからなかった。それに対して脱近代の立場に立った、厳密な意味でのポストモダニストたちは、すでに終局に達したにせよ、このまま無限に進歩し続けるにせよ、そもそも一直線に進む単一の大きな歴史の流れを想定すること自体がもはや無効化したのだから、何らかの歴史意識を表明することが根本から不可能になってしまったのだ、と強調する。つまり、歴史意識そのものの終焉、特定の歴史意識に基づくあらゆる歴史哲学そのものの無効化を主張したわけなのだが、その大きな代償として、未来への展望を見失ったシニカルな意識に深く囚われることになってしまった。

3 複数性の意識

グローバル化と人種差別

グローバル化の時代に入ると、情報や経済の次元では、単一のグローバルな均質空間(グローバル資本主義)が成立した。そうした空間の成立を、色々と問題はあるにせよ、すでに所与の前提とするのを了承した者たちは、この空間の中では、異なる複数の文化や伝統の相互交流や相互尊重が、今までよりはスムーズにできるようになるではと期待するようになった。そのため、一方では異なる文化や伝統の交流や尊重から生じる、多様性の豊かさや素晴らしさを賞賛するようになるとともに、他方ではその豊かさの実現を阻んでやまない、人種差別や排外主義の根強い存在に強く心を痛め始めたのである。

それに対して、グローバルな均質空間の成立自体に異を唱えて問題視していた、非近代の立場に立つ者たちは、この空間の成立によって人種差別や排外主義が噴出するようになったのは、むしろ当然だと見なしてやまない。世界中のあらゆる地域の歴史が西欧的な近代化の道へと合流していくという、大文字の唯一の歴史の流れを想定することができなくなった以上、異なる地域の複数の文化や伝統の歴史が同列に並ぶようになり、しかも必然的に、それらの間の対立や葛藤、相克も、もはや隠されることなく露わになっていくからだ。特に、グローバルな均質空間(グローバル資本主義)に非西欧の地域の文化が無理やり包摂されようとする際には、そうした対立や葛藤がとりわけ激化するだろう。なぜならその際には、資本主義体制が周辺地域に対して今まで行ってきた収奪(本源的蓄積)が反復され、そこに存在し続けていた収奪をめぐる、文化的歴史的記憶が再活性化されることになるからだ。

グローバル化と近代化

以上のことからわかるのは、グローバル化を所与の前提として受け入れた者たちと、それを問題視する非近代の立場に立った者たちの間では、西欧的な近代化へと歴史の流れが一本に収斂化していく、という意味での近代化と、グローバルな均質空間が成立する、という意味でのグローバル化とがどう関係するかについては、見方が大きく異なっていたという点である。前者の者たちは、グローバル化を近代化の直接の延長上にあるものとして捉え、しかもグローバル化とは、従来の近代化の欠点が改善されたものだと考えている。今までの近代化は、非西欧地域の文化や慣習を、多くの場合は単に遅れて克服されるべきものとしてしか捉えずに、西欧近代文明への同化や吸収を強制しがちだったのに対し、新しいグローバル化の方は、非西欧の文化や慣習を、現実世界の多様性を構成するものとして肯定的に受け入れるようになったからだ。こうしたかたちで、歴史はよりよいものへと徐々に進歩していくわけだ。

それに対して後者の者たちは、唯一の歴史の流れしか想定しなかった西欧的な近代化への信用が失墜して、せっかく様々な地域の文化的多様性が肯定されるチャンスが生じたにもかかわらず、グローバル化という、資本主義の暴力性がより前面に出た新たな収奪運動が立ち上がったことによって、すべてが台無しになってしまったと考える。グローバルな均質空間の中でたとえ文化の多様性が肯定されたとしても、それはすでに骨抜きにされて、商品化された形態としてしか可能にはならなかったのであり、しかも、グローバル商品と化した文化的多様性は、往々にして、グローバル化に伴って生じた新たな収奪運動を隠蔽したり、ときにはあからさまに正当化する機能しか果たしていなかったからだ。そのため後者の非近代の立場に立つ者たちは、文化的多様性を許容しない近代化と、それを許容するグローバル化とは一応表面上別のものだと見なしたうえで、後者のグローバル化の方は、資本主義が持つ暴力性が従来の近代化よりも強化されて、よりむき出しになったものであると見なすのだった。ここには当然歴史の進歩など存在しはしない。

グローバル化ともう1つの世界

非近代の立場に立つ者たちは、上述のような観点から、西欧的な近代化という、大文字の唯一の歴史の想定が失効したことから前面に躍り出た、複数の異なる文化や伝統の間の対立、葛藤、相克が持つ可能性の方に敢えて賭けようとする。もちろんそうするのは、対立や葛藤こそが真に多様性を実現していくからでもあるのだが、単にそれだけではなく、すでに示唆しておいたように、グローバル化によって生じた文化的な対立や葛藤は、同時に、グローバル資本主義の新たな収奪運動に対する抵抗にもなっていたからだ。つまり、異なる文化や伝統の間の深刻な対立や葛藤は、複数の文化の歴史が、グローバルな均質空間へ包摂されていくことに対する阻害要因として機能していたのだが、それは同時に、グローバル資本主義という、新たな収奪運動に対する阻止要因としても機能していたのである。言い換えれば、文化的多様性を実現するための文化闘争は、同時に、資本主義による収奪を阻止するための階級闘争でもあったわけだ。

非近代の立場に立つ者たちは、この文化闘争と階級闘争の一体性に着目して、何とかそこから、グローバル資本主義に抵抗するための新たな拠点を築き上げていこうと努力している。そうした拠点は、もはやグローバル資本主義には依存しない、もう1つの別の(オルタナティヴな)自足した世界のネットワークを形成していくことによって築かれる。そして、その際に大きな希望が託されたのが、対立や葛藤の果てに図らずも生じるようになってしまった、異なる文化や伝統の間の混淆融合雑種化という現象だったのである。この現象のうちにこそ、資本やネイションに依存しない、別の世界のネットワーク形成を可能にする、潜勢力が宿っていると見なされていたのだから。

4 始まりの反復の意識

〇異なる勢力圏の間の相互けん制

コロナ禍を経た世界では、かつての高度な文明の栄光や、帝国的な覇権による権勢の記憶を持っていた複数の異なる勢力圏が、その栄光や権勢を回復しようとする動きが強まり、互いにけん制し合うようになるだろう。その相互けん制状態は、グローバル化の時代に全面化した、複数の地域や民族の間の文化的な対立、葛藤に対応し続けたことによって、結果としてそこから生じてきたものだと言える。文明や帝国というものは或る程度の広域性を持ち、また自分たちが体現していた(とされる)価値や秩序の、それなりの普遍性や真理性を主張(僭称?)することができるから、まずはそうした価値や秩序を強引に押しつけることによって、複数の地域や民族の間の文化面での対立や葛藤を何とか抑え込もうとし始める。ナショナルかつエスニックな文化的アイデンティティよりも、文明や帝国が持つ価値や秩序の普遍性の方が1段上の次元に位置し、従って、その普遍性の下に文化的アイデンティティを従属させていくことが可能だと考えられているからだ(もちろん実際には、特定の文明や帝国を形成してきた、中核的な民族や国家のナショナリズムも同時に強化されていくのだが)。そのうえで、複数の文明や帝国が接する緩衝地帯、辺境地域では、そこで生活していた、いくつかのエスニック集団の取り合い合戦を始めるようになる。緩衝地帯で互いに接し合っていた複数の勢力圏が、それらのエスニック集団に対して、いったいどちらの勢力圏に属するのかを選択しろと迫るようになり、同時にそのことを通して、対峙している他の勢力圏をも強くけん制していくのだった。

なお上で言われたことは、冷戦崩壊後に流行った、S・ハンティントンのいわゆる文明の衝突論の単なる焼き直しにしか見えないかもしれない。しかし大きな違いが存在しているから、その点は見落とさないようにしたい。ハンティントンが文化の次元と文明の次元とを明確に区別したのは確かに適切だったのだが、しかし、文化も文明も同じようにアイデンティティの対象になると見なしてしまったため、せっかくのその区別も台なしになってしまった。彼は、冷戦崩壊後に猖獗を極めた、ネイションを求めるエスニック集団どうしの文化的アイデンティティをめぐる衝突が、そのまま単純に文明どうしの衝突へと拡大していくとしか考えていなかったのである。文化も文明もどちらも同じようにアイデンティティの対象である点では変わりないのだから、ネイションを求めるアイデンティティ政治の推進によって始まった、異なる文化どうしの衝突は、おのずから別の文明どうしの衝突にまで突き進んでいくはずだと。

だが、コロナ禍を経た後の世界で強まっていくだろう、異なる勢力圏どうしの対立は、それぞれの勢力圏が、自らの支配を、アイデンティティ政治に基づいた文化間の衝突を抑制することによって逆に正当化していくはずだから、実際にはそうした展開にはならないと思われる。そもそも、文明や帝国の名のもとに支配を正当化しようとする各勢力圏は、決して支配領域を無闇に拡大していくことなどしはしない。あくまで、かつての自らの支配の歴史的記憶が存在していた地域を、自分の勢力圏の内部へと再び組み込んでいくことを求めるだけだ。つまり、支配領域の際限のさらなる拡大ではなく、かつて影響を及ぼしていた地域の回復。だがそれゆえに、すでに指摘したように、異なる文明や帝国が歴史的に接し合う辺境地帯では、複数の勢力圏の間の相互けん制状態が常態化して、そのことによって生じる混乱や紛争も深刻なものになるだろう。なおハンティントンも、異なる文明が接する地帯を断層線(フォルト・ライン)と名づけたうえで、そこで生じる戦争は慢性化して終わりのないものになる可能性が高いと、一応予想していたことは付言しておきたい。

〇伝統の更新

以上のような、自らが奉じている正義や価値の普遍性を拠りどころにして、かつての支配圏の回復・維持を目論む複数の勢力圏の間の相互けん制状態は、様々な宗教的伝統や文化的伝統、さらには、それなりの歴史がある諸々の理論的立場にも影響を及ばさないわけにはいかないだろう。これらの伝統や理論的立場は、過去にいったん実現することができた卓越した境地や奇蹟的な達成、あるいは理論的水準の驚くべき高度さなどを絶えず想起しながら、そこにまだ存在している、潜在的な可能性を以前よりもよく発揮させることによって、自らを新たなものに更新(アップデート)していくことに力を入れ始めるはずだ。いったん初発の原点に立ち戻り、硬直して消滅しかかっていた伝統を、現代社会の中でも通用するものへと大きく変貌させることを通して、何とか生き残りを図ろうとし始めるわけだ。具体的には、自分たちの伝統がかつて始まった際にいったん提出した、古典的な大文字の形而上学的な問題(悪の存在理由や人間の本性、自由意思の有無にかかわる問いなど)に対する自らの独自な解答や解決策を、現代社会でも通用するような、より洗練されたものへと練り直したうえで再び提出していく、というかたちを取るだろう。

その際には当然、素人でもすぐに理解できるような、オーソドックスな大問題を正面から取り上げていくことになるわけだから、様々な宗教的、文化的、理論的、そしてイデオロギー的な伝統がいっせいにそのようにし始めれば、これまた当然、素人でもすぐに理解できるような解答や解決策も氾濫するようになる。そのため、それらが互いにいがみ合い始めて、いわゆる神々の争い状態が出現するに到る。つまり、形而上学的で普遍的な問題をめぐる議論が、異なる勢力圏が互いにけん制し合って衝突が絶えない、辺境地帯に等しい状態になってしまうのだ*3

そこでは問いの立て方と答えの導き方が、20世紀後半とは大きく様変わりするようになる。20世紀後半では、(特に脱近代や非近代の立場に立った者たちが)古典的で普遍的な大文字の問題をストレートに取り上げることはなるべく避けて、時代状況によりふさわしい、現代的な問いを新たに彫琢することに力を注いでいたのだった。苦労してそうした問いをいったん提出したならば、あとはわりと機械的に、そこからすぐに想定されるだろう答えを淡々と導いていくだけではあったのだが。それに対してコロナ禍以降の時代では、古典的な形而上学上の大問題を正面から取り上げるのを逆にためらわなくなり、また対照的に、その答えを導いていく際には、かつてより注意深くなって用意周到になっていくはずだ。最新の科学的知見を取り入れたり、従来の解答の仕方の不備を逐一確認したりしながら、あくまで自らの伝統には基本線では忠実に従ったままではあるにせよ、より現代的で洗練された答えを提出するように努め始めるだろう(たとえば、神や宗教の存在を原則的に認めない無神論啓蒙主義の理論的伝統が、多くの者が、神や宗教という幻想に相変わらずすがり続けることの原因に対する説明を、最新の科学的知見に基づいて大きく更新していくように)。

〇なぜ始まりを反復するのか

諸々の勢力圏が、かつての栄光や権勢を回復することによって自らの存在を維持しようとするにせよ、あるいは様々な宗教的文化的伝統が、自らがかつて実現した高い境地や達成を更新したかたちで再現することによって、自らの存在を維持しようとするにせよ、そこで行なわれていたのは、実は、原点回帰による始まりの反復というふるまいなのだった。

始まりを反復するとは、自らの勢力圏や伝統が今初めて始まったときと場所にまでいったん立ち戻り、そこで改めて自らの始まりをやり直すことを意味している。なぜわざわざ自らの始まりをやり直す必要があるのかと言えば、それは、初回の始まりというものはどうしても慌ただしくて性急なものになるため、自分が本来持っていた豊かな可能性を、その始まりの場所に取り残してしまうからである。このようにして性急に自らを立ち上げざるを得なかった勢力圏や伝統は、自分が本来持っていた可能性を充分に発揮できなくなるため、やがては壁に突き当たってしまう。そのため硬直した状態に陥り、後はただ衰退していくだけになる。この事態を何とか回避するためには、自らの始まりをもっと適切なかたちでやり直して、前回の始まりのときには取り残されてしまった可能性を、うまく回収していかなければならない。そうすれば、始まりの場所に潜在的にとどまっていた可能性を充分に発揮させられるようになって、自分のあり方を根本的に改めていくことができるからだ。このようにして刷新、更新された新しいあり方は、硬直しきって衰退する一方の、従来のあり方とは鋭く対立し始めるだろう。それゆえ、始原の活力が再現された、この刷新、更新されたあり方の方を持ち上げてやまない者たちは、しばしば自分たちの方こそが本来の伝統を真に体現しているのだと考えて、従来のあり方は偽りの派生態でしかなかったのだと、もっぱら見下すようになる(たとえば、いわゆる「68年の思想」は、本来は革命の思想だったと強調してやまない者が、学問的かつ出版文化的に定着したその派生形態である、「現代思想」というあり方を鼻から軽蔑していたように)。

つまり、自らの始まりを反復することよって過去の栄光や権勢を回復できたり、伝統をより現代的で生き生きしたものへと刷新、更新することができたのは、始まりの反復によって、自分の豊かな可能性を改めて汲み取り、それを新たに生かすことができるようになったからである。そうすることによって初めて、硬直して衰退してしまった勢力や伝統に再び活力を与えて、さらなる存続を何とか確保していくわけだ。なるほど、こうした理屈は一見、極めてもっともなものに見えるかもしれない。そしてだからこそ、多くの場所で様々な立場に立った者たちが、自分たちの勢力圏や伝統が1から始まった際の、あの偉大な始原のときを改めて反復して、本来持っていた可能性を如何なく発揮できるようにしようと努めるのだった。そうしなければ自分たちの勢力や伝統は、もはや生き残ることができないという強い危機感に同時にさいなまれながら。

〇始まりは性急さを免れることができない

だがしかし、卒近代という立場に立った者は*4、始まりの反復という身振りによって自らの勢力圏や伝統を維持しようとする、こうした努力を根底から批判してやまない。彼らは言う。いくら偉大な始まりのときを反復したとしても、いったん衰えた活力を復活させて自らの勢力圏や伝統を延命させることなど、決してできはしないと。なぜなら――この点については続きのエントリーで改めて詳しく述べるが――一般に何か物事を新たに始める際には性急に始めざるを得ず、そこには必ず何か取り残されたり、排除されるものが生じてしまうからだ。そもそも、何かことを新たに始めるには性急にならざるを得ず、元来、始めるという身振りと性急さという姿勢とは不可分なものだったのである。それゆえ物事を始める際には、物事が始まった場所に慌てて何かを放置してしまい、またその場所で発生していた未解決なままの問題も、居直って見て見ぬふりをし、強引に脇にどかしてしまうのだった。

いや、逆にそうだったからこそ、始まりを反復せざるを得なくなるのではないのか。始まりを反復しさえすれば、放置されていたものを改めて回収したり、脇にどかして排除してしまったものも新たに受け入れることができるのではないか。――そう反論されるかもしれない。しかし卒近代の立場に立つ者は、そうしたことはあり得ないとはっきり断言する。なぜなら物事の始まりの場所には、いくら始まりという身振りを繰り返したとしても、そこに取り残されたり排除されたりするものは、いつまでも存在し続けることになるからだ。確かに何回か始まりを反復すれば、その取り残されたものや排除されたものは、少しは減っていくかもしれない。しかしそれもすぐに頭打ちになり、やがて、何度反復しても、決して回収したり受け入れたりすることができないものに突きあたるだろう。いったんこの種のものに遭遇すると、始まりを反復するという営みは、途端に上滑りし始めてしまい、もはや何度繰り返しても、潜在的なものにとどまっていた可能性が新たに発揮されて、活力が回復されるというようなことが起こらなくなる。そのためしまいには憔悴しきり、反復というふるまい自体を止めざるを得なくなるはずだ。また、回収したり受け入れることに何度も失敗したものが、そのまま死せる瓦礫と化し、いつの間にかそれが、始まりのふるまいが行われる場所に、うず高く積み上げられていたという点も看過することができない。その瓦礫の壁に四方を囲まれるようになると、実際に身動きが取れなくなってしまうからだ *5

〇始まりの反復からの卒業

自らの原点に立ち戻り、雄々しく始まりのときを繰り返すことは、以上のような状態にしか行き着かなかったのだから、卒近代の立場に立つ者は、始まりを反復するという身振りは、夢よもう一度とばかりにかつての栄光や権勢を回復したり、あるいは、衰退した伝統をリセットして根本からそれを更新するのを可能にするどころか、かえって自らの存続の危機をおびき寄せることにしかならないだろうと主張する。それでは、いったいどうすればその危機を免れることができるのだろうか。卒近代の立場に立った者は、そうするためには、当然、もはや始まりのときを反復することから卒業するしかないと回答するだろう。あるいは、まだ始まりの反復というふるまいを続けたいのならば、敢えてその動きが停止して身動きが取れなくなるようにそうし続けるべきだとも提案していくはずだ。すなわち、上滑りして空回りした状態を意識的に再演し、そのことを通して、停止して身動きが取れない状態にまで自らで持っていくようにと。

どうしてこうした回答になるのかと言えば、それは、実は各々の勢力圏や伝統が以上のような不動状態に陥って初めて、相互けん制ならぬ相互依存が、また、相互批判ならぬ相互尊敬が可能になるからである。

始まりの身振りを何度も反復すると、それが行われる場所には、取り残されたり排除されてしまったものが瓦礫の山となって取り囲むようになり、結局その中で身動きが取れなくなるのだった。これでは当然衰退や消滅は免れないだろう。もし、たとえこうした状態に陥ったとしても、あくまで自らの勢力圏や伝統を維持・存続させたいならば、いったいどうすればよいのだろうか。どう考えても解決方法は、次の2つしか存在していないと思われる。まず、自分の周囲を取り囲むようになった、自らでは対処したり受け入れることができない瓦礫を、他の勢力圏に頼んで、代わりに処理してもらったり受け取ってもらうようにすること。こうすれば、頼んで代わりにやってくれる他の勢力圏との間で、強い相互依存状態が実現されるようになるだろう。次に、自分の伝統の中には持ち合わせがなかった、決して対処したり受け入れることができなかったものへの適切な対処の仕方や、その受け入れ方法を他の伝統から新たに教えてもらい、それらを見よう見まねで自分でも試していくこと。こうした努力を始めれば、自分には欠けているものを持っていた他の伝統との間で、深い相互尊敬状態がおのずから実現されていくはずだ。

以上のような相互依存、相互尊敬状態が形成されると、自分の潜在的な可能性を発揮し尽くしたために生じた、作動停止状態はまったく改善されないままになるにせよ、とり敢えずこれ以上、回収や受容の失敗によって生じた瓦礫の山が高くなることはなくなる。そのため、それぞれの勢力圏や伝統は、何とか生き残ることができるようになるわけだ。逆から言えば、各々の勢力圏や伝統が、こうしたギリギリの状態にまで追い詰められなければ、相互依存や相互尊敬は可能にはならないだろうとも言えるのだが。もちろん、たとえば人新世下の気候危機の問題のように、既存のどんな勢力圏や伝統も対処方法を持ち合わせていず、また受容の仕方がわからないままの難問も多く存在するだろう。こうした難問に対応する場合には、当然、様々な勢力圏や伝統が自分の手持ちの札を互いに持ち寄って、そこから、何とか新しい対処法や受容の仕方を共同で作り出していくしかないと思われる。

〇あくまで外的なままの関係にとどまる

なお、相互依存や深い相互尊敬がいくら強くて深いものになると言っても、その依存や尊敬は、あくまで外的で距離を取ったままのものにとどまるから、その点は誤解しないようにしたい。自分が取り入れたり受け入れることができなかったものの高い瓦礫の壁に囲まれ、その中に閉じ込められているのだから、そこから外に出て互いに混淆し合ったり、一つに融合していくことなどもはや不可能だろう。

もちろんそれぞれの勢力圏や伝統には、偉大な達成や卓越した境地が、確かに相変わらず存在しているのだが、もはやそれらを縮小再生産しながら維持していくだけで手一杯になり、ただ持てあますだけになる。そのため、それぞれが持っていた偉大さや卓越性は、もっぱら、ただ他の勢力圏や伝統にとってのみ意味を持つことになるのではないだろうか。なぜなら、他の勢力圏や伝統が達成できたり実現できた、その偉大さや卓越性のうちにこそ、自分では持ち合わせていなかった、回収不可能なものの回収方法や、受容不可能なものの受容の仕方が宿っているはずだからだ。他の勢力圏や伝統にとってそのように重要な意味を持つようになった、自分の最良のものを互いに差し出し合う以上の関係というものなど、もはや形成していくことはできないと思われる。それぞれの勢力圏や伝統は、自らの歴史の重み――それは始まりを反復する際に生じた、回収や受容し損ねたものの瓦礫の山以外の何ものでもないのだから、歴史の失敗の蓄積の重みと言い換えてもまったく同じなのだが――におし潰されかかって、すでに殆ど動きが取れないでいたのだから。

こうして互いの関係は、混淆や融合によって、内側からの根本的な変容が生じることなどない、自分が所有してなかったものをただ互いにやりくりするだけの、極めて外的なものにとどまるようになるわけだ。ここでは、非近代の立場に立つ者が望ましいものと見なした、異質な他者との出会いによる混淆や融合、あるいは雑種化というものとは対照的な、自己の歴史への内閉距離を置いた住み分け他者への積極的な働きかけの不在というものが生じている。非近代の立場に立つ者が求めた複数性の関係が、異質な者どうしの混淆や融合、雑種化による多様性の実現だったとすれば、卒近代の立場に立った者が求める複数性の関係は、互いの異質性をそのまま肯定しながら、自分に欠けていたものを調達し合うことよりも先には踏み込もうとはしない、互いに距離を保ち続ける多元性の実現だと言えるだろう。この種の多元性は、それぞれの勢力圏や伝統が、自らの歴史の重みにおし潰されて動きが取れなくなって初めて可能になる、というのがポイントなのだった。多元性を求める卒近代の立場は、まさにこの点をこそ重視してやまない。

それゆえ、同じく互いに距離を置いた多元的共存を追求しているとは言っても、従来のコミュニタリアンの立場と、卒近代の立場とは大きく異なることになるから、その点は誤解しないようにしたい。コミュニタリアンは、それぞれのコミュニティが持つ互いに異なった伝統や価値観が、そのコミュニティの成員のアイデンティティの拠り所になっている点を重視している。そしてだからこそ、相互理解や意志疎通が難しい、異なるコミュニティの間の価値観や伝統の違いを最大限に尊重していくのだった。それに対して卒近代の立場は、ぞれぞれの勢力圏や伝統が、回収や受容に失敗したものの瓦礫の山に囲まれ、その失敗の歴史の重みに圧し潰されて、もはや身動きが取れなくなっている点に着目している。そして身動きが取れなくなったからこそ、互いの異質性をもはやそのまま認め合っていくしかないと考えていくのだった。そのうえ、外的な関係のままにとどまる相互依存や相互尊敬の度合いが高まれば、互いの異質性から生じた相互理解や意思疎通の困難さなど、すでに大した問題ではなくなるとまで予想している。卒近代の立場は、むしろそうなることをこそ望むのだった。

続く。

*1:なお、1930~40年代のいわゆる「近代の超克」をめぐる議論で見られた超近代という歴史意識の方は、ここでは特に取り上げない。ちなみに超近代の歴史意識とは、一言で言えば、西欧近代からの自らの遅れを逆に好機と見なして、それを梃子にしながらいっきに西欧近代よりも先に進んでしまおうという意気込みのことである。より突き詰めて言えば、歴史以前の太古的なものに依拠して、いっきに歴史終了以降の、絶対的な新しさが常に実現され続けるような境地に達してしまおうとする決意のことだと言える。

*2:当時はまだ「ネオリベラリズム」という言葉は普及してはいず、それに相当する立場は「新保守主義」と呼ばれていたのだが。

*3:いわばヘレニズム時代の状況の再現だと言えるのだが、しかしそれも当然である。なぜなら、特定の地域や民族の文化慣習とは特につながりを持たない、普遍的で抽象的な問題を立てて、それに対する解答のみを自らの生の拠りどころにしようとする(より厳密に言えば、特定の地域や民族の宗教的儀礼や神話表象を、その解答を導き支えるための道具に還元する)コスモポリタン的姿勢は、複数の帝国(ローマやペルシャなど)が衝突し合う辺境地域でこそ、とりわけリアリティを持ったのだから。

*4:「卒」とは卒業、離脱という意味である。ちなみに「脱」とは、システムの土台を掘り崩していき、そのシステムに依存しなくても済むようにするふるまいのことである。それに対して「非」とは、システムとの関係自体を断ち切って、自足した別の世界を形成していくようなふるまいのことである。一方「卒」とは、システムを作動させることへの執着から離脱して、その作動自体を停止させようとするふるまいのことである。詳しくは次回のエントリーで説明する。

*5:なお、こうした主張に対しても次のような反論が加えられるかもしれない。いくら始まりを反復しても回収したり受容したりできないものが生じるようになったのは、単にその反復の仕方が硬直して儀式化し、前回のやり方を機械的に踏襲するだけになったからではないか。それゆえ、工夫して反復の仕方をよりよいものに改善すれば、今まで回収・受容できなかったものも、新たに回収・受容が可能になるのではないか。――確かにそうかもしれない。ただそうなれば、新たな可能性を発揮できるようにして活力を甦らそうとした、当の勢力圏や伝統自体が、まったく別のものに変貌してしまう可能性の方が高くなる。これでは、その勢力圏や伝統が始まった原点に改めて立ち戻り、そこで始まりを反復することによって、何とか衰退や消滅を回避しようとした試み自体が無駄になってしまうだろう。勢力圏や伝統というものは、いつまでも汲み取ったり受け入れることができないものが存在していたからこそ、常に同じものとしてとどまり続けることができたのだから(デリダも言うように、自己同一性の成就の障害となっていたものこそ、実は当の自己同一性を可能にする条件として機能していたのだから)。また他方では、今まで回収・受容できなかったものを新たにそうすることを通して、別のものへと変身、生成変化していくことの方を、かえって積極的に推奨していく考え方、立場というものも確かに存在している。この立場からすれば、逆に、自らの始まりの反復によって、別のものへと変化することの方こそが本来目指されるべきものなのであり、従って、始まりの反復というものは、新たなものを回収し受容できるよう、その都度別の仕方で行なわれねばならないのだった。ただこうした立場自体も――続きのエントリーでアーレントの始まり観を取り上げる際に改めて詳しく述べるが――、始まりの反復によってその都度別のものへと生成変化することを望ましい事態として固定してしまった途端、同じ轍を踏むことになるだろう。絶えず別のものへと根本から変化できる状態を、自らが固持すべき1つの伝統へと祭り上げてしまうことになり、その結果、その伝統を維持するような、特有の始まりの反復の仕方(いわゆる「常に差異を孕む反復」)に固執せざるを得なくなるからだ。そうなれば当然、この立場もまた硬直化や衰退を免れなくなる。