外付脳内そっ閉じメモ

脳内に澱のように溜ったものの単なる置き場デス。そっ閉じ必至。なお、はてなダイアリーからはてなブログに機械的に移行しただけなので、現在レイアウトがかなり乱れてます。なんとか徐々に直していきたいとは思ってるのですが・・

メモⅡ

ラトゥールの思想と統治功利主義

ラトゥールの思想(ANT理論や存在様態論)からすれば、リベラリズム行動経済学進化心理学との間の関係を考える際に、市民的公共性による統御と、アーキテクチャやナッジを駆使する統治功利主義との間の対立を設定してしまうのは、あまりも抽象的というか観念論的でしかないことになるだろう。市民的公共性によって統治功利主義の暴走を統御する、逆に市民公共性が統治功利主義の暴走に屈服する、あるいは、市民的公共性による統御と効率的統治との間の区別が不分明になる――これらの見方はいずれも、市民的公共性という社会の次元と、アーキテクチャやナッジによる効率的統治という科学技術の次元とを明確に区別できる、あるいはその区別を維持しなければならないという極めて近代的な発想を前提としたままであるからだ。ラトゥールからすれば、市民的公共性による統御か/行動経済学進化心理学などの自然科学的知や、アーキテクチャやナッジなどの科学技術に基づいた効率的統治か、などという問題設定は、狭隘な近代的な発想を前提としない限りリアリティを持ち得ない、一種の疑似問題に過ぎないのではないだろうか。

それゆえ、ラトゥールの思想を用いながら、市民的公共性か統治功利主義かという問題設定を内側からいわば唯物論的に掘り崩していく必要性が出てくるだろう。そして市民的公共性のように、統治の効率性に外側から制限や制約をかける原理ではなく、内側からそれに抵抗していくような別の原理を打ち立てていくべきなのではないか。その原理は、非人間的なものに取り囲まれ、それに依存せざるを得ないような人間的主体の、或る種の〈有限性〉になると思われる。とはいえそれは、行動経済学が強調してやまない(除去不可能な私たちの認知バイアスをもたらす)「限定合理性」のような、簡単に効率的な統治に絡め取られてしまうような有限性であってはならないだろう。かと言って左派の加速主義が期待するような、科学技術との一体化によって生じる、非人間的なものへの大胆で過剰な「生成変化」とも大きく異なるものになる筈だ。統治功利主義に抵抗できる主体の有限性とは、むしろ、人間的主体とそれが息づく周囲世界が共に緩やかに〈腐蝕〉し(ハラウェイ)、〈荒廃〉し(モートン)、〈分解〉していく(藤原辰史)過程になるのではないか(この過程の果てにやってくるのは、かの〈停止〉や〈静止〉ということになるのだろうが)。もちろん、そうした過程の積極的な肯定・受容は、おもにグローバルな気候変動に人間が対応していくための試みとして模索されてきたのだが、しかし同時に、効率的統治への応接の仕方としても改めて受けとめ直していくことができるかもしれない。とは言っても、気候変動の問題こそが統治功利主義の実践によって解決されるという新たな展望が出てくるならば(そうした展望が出てくる可能性はかなり高い)、また状況は大きく変わってしまうだろうから、再び一から考え直さなければならなくなるのだが。

メモⅠ

「抵抗」や「革命」について考えるときにどういう考え方をしてはいけないのか

模倣の絶え間ない反復による内破、攪乱(構築主義の戦略)。リセットによってゼロ地点に戻り、一からやり直すこと(「始まり」の反復としての「一からのやり直し」というものを特権化する、アレント的な存在論の戦略)。資本主義にとっての外部性の空間(歴史汎通的な相互扶助の領域など)を想定し、その空間の全面的な回復を夢想すること(疎外論)。資本主義は自らの内部に別の(オルタナティヴな)あり方(IT技術の発達が可能にする社会的協働の強化、拡大など)を分泌していくと想定したうえで、そのあり方の全面開花によって、資本主義自体が別のものへと変貌してしまうのを期待すること(生産力中心主義)。――以上のような発想とはまさに別の仕方で「抵抗」や「革命」のあり方を構想していく必要があるのでは?

M・ガブリエルの構築主義批判と自然科学主義批判の問題点

M・ガブリエルは、構築主義自然科学主義とを自らの新実在論にとっての主要敵として定めたのだが、そのこと自体は的確だと思う。しかし、その際の理由づけがかなりピンボケなものでしかなかったのが気にかかる。まず構築主義が主要敵になるのは、それこそが、フェイクニュースが蔓延するようなポスト真実状況をもたらした、シニカルな相対主義震源地であると見なされたからだ。けれども実際には、構築主義が単純にシニカルな相対主義を生み出したわけではなかった。元来構築主義は、あらゆる見方は等価であり価値評価ができないという単純な相対主義を唱えていたわけではない。世界にはさまざまな見方が存在し、しかもそれぞれの見方もどんどん変わっていくという、ものの見方の多様性や生成変化性を肯定したうえで、自ら自身が、その多様性や生成変化性を最大限に肯定し受容できるような、卓越した一つの立場、ものの見方に高まろうと努めていたのだ。そうするための戦略が、いわゆる「脱構築」や「攪乱による内破」というものだったのだが(それらはいずれもイロニーとユーモアを駆使するものだった)、残念ながらこれらの戦略は、あまり効果がなく空転するばかりだったのではないか。そしてその空転の様子を傍らで見ていた右派の人びとが、構築主義の空転した形態をただの相対主義と同一視したうえで、今度は自らがその相対主義に依拠しながら、自分たちの反動的なものの見方を、もう一つのものの見方、別の真実として新たに強く押し出すようになったというのが歴史の現実なのだろう。ガブリエルは、構築主義の行き詰まりと、右派による(矮小化に基づいた)その簒奪という、こうした経緯をまったく見ていないのだった。つまり構築主義の本質が相対主義でしかなかったから問題なのではなく、多様性や生成変化を肯定・受容するための構築主義の戦略が行き詰まり、その行き詰った形態が単純な相対主義でしかないと誤認されたうえで、それが、右派が自らの反動的な主張を正当化する際に利用されるようになってしまったからこそ問題だったのである。

またガブリエルは、自然科学主義をもう一方の主要敵として定めるのだが、その理由は、自然科学主義が、自然科学的世界像を普遍妥当性を要求できる唯一の世界観へと持ち上げ、それを絶対化してしまったからである。けれどもこの理由づけもやはりピンボケだ。というのは、普遍妥当性を要求して自らが唯一の真理である僭称する世界観は、別に自然科学的世界像だけに限られるわけではないからだ。たとえば社会学的世界像(社会学主義や社会構成主義など)や心理学的世界像もまた、自らの見方が普遍妥当性を持つ、唯一の真理だと主張してやまなかっただろう。ガブリエルの理由づけが不十分なのは、複数の世界像が主張している、こうした普遍妥当性要求と、その要求に現実味を与え、説得力をもたらすものとを全く区別していないからである。自然科学的世界像は、ただそれだけでは自らの普遍妥当性要求に実効性を与えることはできないのだ。そうした効果をもたらす、さらに別のものが必要である。従来はそれは、当然単なる世界認識の仕方としての自然科学とは区別された意味での科学技術(テクノロジー)だったのだが、しかし現在では、科学技術そのものというよりは、それを用いながら巧妙なナッジやアーキテクチャを作り上げ、人々を思うように操作・誘導していく統治功利主義こそが、自然科学的世界像に真理性という効果を与え、その普遍妥当性要求に実効性をもたらしているのではないだろうか。つまり、自然科学的世界像こそが唯一の普遍的な真理であるという、自然科学主義の主張を(それこそ社会的に)支えていたのが、実は統治功利主義だったのである。ガブリエルの自然科学主義批判は、統治功利主義によるこの下支えという側面を全く見ていなかったから不十分だったのだ。

ガブリエルが新実在論の主要敵と見なした構築主義と自然科学主義。この2つのものの間に、うえで取り上げた統治功利主義を挿入すると構図全体が大きく変動することになる。まず実在論にとっての主要敵は、普遍妥当性を要求する自然科学的世界像そのものではなくなり、むしろ、その普遍妥当性要求に実効性を与えていた統治功利主義の方になる(実在論vs 統治功利主義」という対立図式の成立)。そして自然科学の営みを、統治功利主義に奉仕するものとそれに抵抗するものとに腑分けしたうえで、後者の自然科学の営みがより強く統治功利主義に抵抗できるよう、営みの現場により積極的に介入していくようになるだろう。またそうする際に、構築主義というものの位置づけも大きく変更されるようになる筈だ。構築主義が元々行っていた本質主義批判は、まさに自然科学的世界像こそ唯一の真理であると僭称する自然科学主義を批判し解体するためのものだった。しかしそうするために選んだ戦略(攪乱による内破、脱構築などの、一言で言えば〈脱〉の戦略)がうまく行かずに空転してしまったために、右派勢力からそれは単なる相対主義でしかないと誤認されることになったのだが、たとえそうなってしまったとしても、本質主義批判によって自然科学主義の専制や横暴を阻止するという初発の目論見自体は正しかった筈だ。それゆえこの目論みだけを救出し、統治功利主義に対抗できるような新たな戦略をそれに新たに実装させていくことが可能だろう。すなわち、構築主義による本質主義批判の対・統治功利主義バーションの新たな形成。

こうして、ガブリエルが提出した、新実在論構築主義と自然科学主義との間の単純な対立図式は、以下のように大きく書き換えられることになる。まず、自然科学主義そのものが単純に実在論の主要敵となるのではなく、統治功利主義と合体した自然科学的世界像のみが新たな敵となり、統治功利主義に抵抗しようとする自然科学の営み(や、そうした営み特有の世界像)は、むしろ自らの重要な同盟者となるだろう。また構築主義も単純に実在論の主要敵となるのではなく、その派生態であるシニカルな相対主義のみが相変わらず敵であり続け、元々の構築主義のうちにあった、本質主義批判による自然科学主義批判というモチーフは、統治功利主義と対峙するためにむしろ自らが積極的に継承するようになるだろう。構築主義による自然科学主義批判を参考にしながら、自然科学を武器として駆使する統治功利主義への対峙の仕方を新たに彫琢していくことになる筈だ。

ところで、なぜわざわざ実在論(の新たな潮流)に統治功利主義に対抗する役割を負わせようとするのかと言えば、それは、統治功利主義に対抗するために現在提出されている戦略があまりにも心もとないものでしかなかったからだ。その戦略とは、ナッジやアーキテクチャアルゴリズム専制や暴走に対して、あくまで市民的公共性を対置させていくものである。グローバルなプラットフォーム企業による、ナッジやアーキテクチャアルゴリズムの独占をやめさせ、それらを全て公開させたうえで、自立した市民たちの共同所有物(コモン)に新たにして、あくまで自分たちで統御、集団管理していこうというわけだ。一見尤もらしいが、これはあまりも近代的・啓蒙主義的発想でしかないのではないか。人間的主体による意志や判断と、プラットフォームによる誘導や動員との間の明確な区別が常に変動して不分明化していき、両者が絶えず混淆しながらコミュニケーションやネットワークが駆動されているというのが、SNSが普及した以降の社会の現実なのだが、こうした現実を前にしては、自立した市民による統御や管理に期待をかけるというのは、あまりにも無力な発想でしかないと思われて仕方がない。もちろん、プラットフォーム企業による独占をやめさせ、ナッジやアーキテクチャアルゴリズムを公開して私たちの共有物にすべきだという主張自体には異論はない。しかし、公開されて共有物となったそれらのものに対して改めてどう関わっていけばよいのかが問題なのだ。それらのものは単に統御したり集団的に管理できるような代物ではないだろう。統御し管理するような活動的な主体の安定した自己同一性などもはや確保されないだろうし、また効率的に統治するという欲望からの距離の取り方も相変わらず不明なままだからだ*1。ではだからと言って、ナッジやアーキテクチャアルゴリズム自体を否定、破壊したり(解体という〈反〉の戦略)、あるいはそれらのものをクラッカー的にただ内側から攪乱して骨抜きにしていけばよいわけでもない(脱構築、内破という〈脱〉の戦略)。もちろん、ナッジやアーキテクチャアルゴリズムの支配に左右されないような、何らかの(人間的で自然に根ざした)外部の領域を想定して、そこでそれらのものの支配など必要としない別の(より人間的な)生き方を模索していくというやり方も存在してはいる(無関連化、切断操作という〈非〉の戦略)。しかしこのやり方こそ、ナッジやアーキテクチャアルゴリズムの強化、暴走という事態に対して何ら積極的に関わることなく、単にそうしたものに触れたり利用するのをなるべく避けるという消極的対応しかできないから、殆ど無力なままに留まるしかないだろう。だからやはり、統御や集団管理、破壊や否定、攪乱による内破、無関連化による別の領域の確保などとはまさに別の仕方で、統治功利主義専制、横暴に対峙し、それに抵抗していく仕方の解明が現在の実在論の潮流のうちにこそ求められていると言えるのだ。

*1:またここには、統治功利主義が進める効率的な統治と、自立した市民が進める集団的な管理との間の区別が不分明になり、いつのまにか後者が前者のうちに回収されていってしまうという重大な問題も存在している。しかも市民的公共性の未成熟、未成立という講座派的観点をさらにここに挿入すると、より事態が錯綜してしまうことにもなる。市民的公共性と効率的統治との間の区別が不分明になるという問題意識は、あくまで市民社会がすでに成熟して定着しているという事実を前提にしているのだが、講座派的観点はその前提を疑問に付し、日本社会は市民社会が充分に成立していない半封建社会でしかないのだ、という歴史認識を前面に押し出してくるからだ。半封建社会ではその半封建性と統治功利主義との間の親和性が高いため、市民的公共性を欠いたまま、よりスムーズに効率的統治が社会の中に根付いて実現されてしまうだろう(そうした動向をナイーヴに言祝いでいるのが、落合陽一の一連の著作である)。その他方で、逆に統治効率主義の推進によって初めて、半封建社会である日本社会のなかに市民的公共性が根づいて実現されるようになるという可能性も捨てきれない(安藤馨の議論)。――講座派的観点からはこの二つの可能性が導出されるのだが、果たしてどちらの可能性が実現されるのか、あるいはこの二つはどのように結びついて相互変容していくのかに関しては、まだ確かなことは何も言えないから今後の議論の深化や展開を待ちたい。

潜在性の2つの側面

別様性と任意性

顕在化した出来事には、その縁暈として常に潜在性がつきまとう。そうした潜在性には次の2つの側面が存在していた。一つは、たまたまそのように顕在化したのは偶然に過ぎず、もっと別のあり方で顕在化しても構わなかったという別様性である。またもう一つは、そのあり方が顕在化したこと自体に深い意味や根拠はなく、本来顕在化してもしなくてもどっちでも構わなかったという任意性だ。

ベンヤミンは、潜在性のうちの前者の別様性の側面を特に重視し、顕在化しなかったあり方を歴史の中の挫折した試みや犠牲者の存在と重ねたうえで、挫折した試みや犠牲者が全て顕在化、つまり復活することを求めていた。それこそが、潜在的なものが全て顕在化して、潜在性と顕在性との区別自体が克服されるという意味での「救済」だ。

一方アガンベンは、潜在性のうちの後者の任意性の側面を特に重視する。彼が批判の対象としていた主権権力は、自らの中心に、「営みの不在」というものを据えていた。それは、顕在化しようと思えばできるのに敢えて顕在化しないままに留まっている状態のことであり、主権権力はこの状態を保つことによって、力を持っているものの特有の余裕を(威光や権威として)これ見よがしに見せつけ、人々をひれ伏させて営みの世界(世俗秩序)の中で営み=労苦、労働を続けるように強いるのだった(そこでは、死をもたらすと脅す権力と生き続けるよう促す権力との間の、フーコーが重視した区別が相対化されてしまうのだが)。

こうした主権権力の戦略に対しアガンベンは、パウロの「ローマ人への手紙」の中で示された、「まるで~でないかのように」という対抗戦略をぶつけていく。この対抗戦略は、営みの世界の只中で、まるで営みなどしてないかのように、その営みの拘束力や効果など自分は何の興味も関心もないかのようにふるまうことを通して、人々を営みの世界に縛りつける主権権力の効力を脱臼させようと努めるものだ(「まるで~でないかのように」というこの不活性化戦略は、「あたかも~であるかのように」という虚構化戦略とは厳密に区別される)。

主権権力を機能させてきた、顕在化できるのに敢えて顕在化しないままに留まる「営みの不在」と、パウロ的な対抗戦略によって遂行される、すでに営みの世界の中に顕在化しながらも、その営みをどうでもよいものとすることによって、顕在化しない(潜在性を保った)ままの状態と等しくなる「営みの不活性化」――アガンベンが選択したパウロ的な戦略は、この二つのあり方の区別自体が徐々に無効化(無差別化)=消滅していくことを目指していた。この不活性化戦略の積み重ねによって、営みの不在とその不活性化との間の区別が完全に消え去ってしまったときこそ、まさにかの「ユートピア」到来のときなのであり*1、そこでは主権権力が完全に脱臼され、地上からそれが廃絶されることになるだろう。もちろんそこでは、営みの世界に包摂された者と、営みの世界から排除された者との間の区別なども最早どうでもよくなっている。当然、一切の(疑似的なものも含めた)超越的で宗教的な権威なども最早成立しようもない。そして、このユートピアが到来したあかつきには、顕在性と潜在性との間の区別自体も無効化して、汚辱に塗れた世俗世界がただそれだけで(顕在化=存在しようがしなかろうがどっちでも構わないものとして)純粋に肯定=祝福されるようになるだろう。

顕在化する動きか、潜在化する動きか

なお念のためつけ加えておけば、自分は以上のようなベンヤミンの見方にもアガンベンの見方にも決して全面的に賛成しているわけではない。いずれの見方も、顕在性と潜在性との対立のうちの一方の項にウェイトを置き、そのウェイトが置かれた項こそが、人間や世界の本来のあり方であると想定したままだったからだ。それでは顕在性と潜在性との対立の乗り越え方も、実は不十分なものに留まらざるをえないのではないか。

まずベンヤミンの場合では、顕在性の方にウェイトが置かれ、実際に顕在化したものの周囲に別様性として留まっている潜在的なものは、本来は顕在化した方がよいのだと考えられていたのだった。しかし潜在的なものが全て顕在化するのは(現在の地上世界の秩序・法則の下では)不可能だったから、実際に顕在化したものと、潜在的なままに留まらざるを得ない(そうなるよう強いられる)ものとの間に緊張関係が生じ、それはいつまでも払拭することができないことになる。そのためベンヤミンは、この緊張関係を、すでに顕在化したもののあり方を批判する際の批判原理として据えていったのだった。そこでは明らかに、潜在的なものが持つ、これから顕在化しようとする動きが一番根底に置かれていたことになる。

一方アガンベンの場合では、潜在性の方にウェイトが置かれ、力の顕在化の「抑止」によって人々をひれ伏せさせ、営みの世界に縛りつけるような主権権力の統治に対抗するために、非統治者側の営むことの「留保」、つまり営みの世界からの撤退がことさらに重視されていたのだった。非統治者側のそうした一見消極的に見えるふるまいを、主権権力の統治に対して積極的にぶつけ返していくことが、パウロ的な不活性化実践なのだった。統治者側の「抑止」や被統治者側の「留保」というものは、すでに顕在化した世界の只中で新たに生じた潜在化の動きであると言えるだろう。顕在化しても潜在的なままでもどっちでも構わないという任意性は、これらの新たな潜在化の動きによって先取り的に実現(予示)されると想定されていたわけだ。潜在化の運動が全面化していけば、やがてはその任意性が地上全体を覆い尽くし、地上世界それ自体も、あってもなくてもどっちでもよい任意のものと化すことになるのだろう。

けれども、以上のように、潜在的なものがこれから顕在化しようとする動きや、すでに顕在化した世界の只中で新たに生じた潜在化の動きというものにいつまでも頼ったままでは、決して顕在性と潜在性との間の区別自体を撤廃することはできないのではないか。それでは両者の区別や、両者の間を移行する運動がいつまでも残り続けてしまうからだ。この限界を突破して、完全に顕在性と潜在性との区別が無差別化した状態を実現するためには、顕在化したものと潜在的なものとの間の緊張関係や、留保や撤退というかたちで新たに潜在化する動きに依拠するのではなく、端的な運動の停止に依拠すればよいのではないかと思う。そこで次のエントリーでは、この運動停止というものについて、より詳しく言えば、機能不全化による作動停止というものについて改めて取り上げていきたい。

*1:不活性化戦略を実践している間は、キリストが再臨した後の千年王国の時代に相当し、また主権権力による営みの不在と、パウロ的な対抗戦略による営みの不活性化との間の区別自体が克服されてしまったときとは、キリストとともに森羅万象が天国に上昇することによって救済が完了した時点に相当するだろう。

無関心、触媒、受動的攻撃性

第1段階:〈無関心、鈍感さ〉の確立。資本の自己増殖がない方がよい立場(オルタ志向の〈非〉のスタンス)でも、資本の自己増殖があった方がよい立場(ネオリベ、金融資本主義)でもない、自己増殖があろうがなかろうが「どっちでもよい、どうでもよい」、〈無関心、鈍感さ〉の立場の確立*1

第2段階:〈触媒〉作用。その立場が、「資本の自己増殖があった方がよい/ない方がよい」という対立に囚われているままの者に対して、自らは何も変わらない、何も動かないまま相手に対しては大きな変容を強いる、〈触媒〉として作用するようになる。その対立に囚われている限り行き詰まって最早先が見えなくなってしまったという、自らが置かれている現実や、また、そんな対立に囚われ続けていた自らの了見の狭さ、底の浅さを相手に察知させ、根底から崩れ折れさせることになるわけだ。こうして、資本主義に対する抵抗実践における〈非〉のスタンスから〈卒〉のそれへの移行が開始されることになる。

第3段階:〈受動的攻撃性〉の実践。資本の側からの、資本の自己増殖があった方がよいという立場の押しつけと、資本の自己増殖に参加しろというそそのかしに対して、そんなことには関心がない、そんなことは大切なことだとは思えないという無関心さ、鈍感さの立場を意識的に対置させ、いわば「能動的に」受動的攻撃を仕掛けていく。なおこの場合の主要敵は〈金融資本主義〉ではなく、資本主義のその次の段階である〈信用信用度、信用評価資本主義〉になると想定される。資本によってせき立てられた、信用度を評価するための複数の基準の間の闘争(たとえば、民主的な価値観の内面化の度合の高さによって信用度を計る基準と、国家権力に対する忠誠度の高さによって信用度を図る基準との間の闘争など)が生じている只中において、どれかの基準に特に肩入れすることなく、そうした闘争そのものや信用度の高さをめぐる競争それ自体*2にリアリティを感じない、ピンと来ないという自らの〈無関心、鈍感さ〉の立場をことさらに対置させていくわけだ。〈信用〉の実践。またそのようにしながら、いわゆる〈共産主義〉とは、互いに信用したり尊敬したりせずに、最大限に助け合ったり、最大限に互いの自由を尊重していくことであるという点をも強調していく。相互信用、相互尊敬と、(信用、信頼や尊敬の有無に関わらず成立する)相互扶助、相互尊重との間の峻別化。

*1:この立場は、複数あるセクシャリティの種類の中での「全性愛」(パンセクシャル)の特徴と対応するかもしれない。「両性愛」(バイセクシャル)と「全性愛」(パンセクシャル)との区別は元来微妙なのだが、強いて言えば、前者が男性的特徴と女性的特徴の両方に魅かれるセクシャリティであるのに対して、後者のセクシャリティでは、男性的特徴と女性的特徴との間の区別自体が最早どうでもよくなり、人を好きになる際にいかなる男性らしさや女性らしさも求めたりしなくなる。人を愛することにとって、性の区別などそもそも「どっちでもよい、どうでもよい」事柄でしかなくなるわけだ。また「非性愛」(ノンセクシャル)と「全性愛」の区別も同じように微妙なのだが、やはり重要である。非性愛が、性的欲求というものが重荷になって余計なものと化したため、性愛の領域をまるごと恋愛の領域から切断して無関連化しようとするセクシャリティだったのに対して、全性愛は、性愛の領域を支配していた性差の区別や規範など最早どうでもよくなったため、そうした区別や規範自体に無関心、無頓着になってしまったセクシャリティだと言えるだろう。つまり非性愛が、恋愛から性愛の領域自体を切断しようとする、〈〉のスタンスのふるまいだったのに対して、全性愛は、性愛の領域を支配していた性差に無頓着になり、性愛における性差への拘泥や留意自体から離脱した、〈〉のスタンスのふるまいであると見なせるわけだ。言い換えれば、恋愛から性愛の領域をまるごと切断して排除してしまうか、それとも恋愛と同時に性愛を引き続き求めつつも、既存の性愛のあり方の中に存在していた性差への拘泥、留意自体からは最早離脱していくかの違いとなるだろう。

*2:特定の信用度を計る基準をすでに受け入れたうえでの、信用度の高さそのものをめぐるベタな競争と、複数の信用度を計る基準の間での、妥当性や適切性をめぐる言論上でのメタな闘争とを区別する必要があると思われる。

④自分の立場

自分の立場が中心に据えるのは「哲学」と「運動」とがショートカットした形態であり、この形態を中心に据えることによって、「批評」というものが新たに排除されることになる。

「哲学」と「運動」のショートカット、あるいは両者の〈狭間〉

「哲学」と「運動」との間のショートカットは、現存の社会秩序(地上の秩序そのもの)に強い異和感を覚え、自明なものの見方や既存の常識が信じられなかった者が、そうしたものを乗り越え、もっと納得できる見方や世界を見出すために(つまり文字通りに「哲学」を実践するために)、社会をよりよいものに変えていく「運動」に(うっかりかつ性急な仕方で)関わってしまうことから生じるものだ。このような「哲学」と「運動」との結びつき方は、残念ながら「哲学」と「運動」の双方から邪道や野合であるとしか見なされず、忌避されてしまう。自明なものの見方や既存の常識を疑い、それらを乗り越えようとする「哲学」の営みは、社会をよりよくしようと努力する「運動」とは全く別のものであり、決してその種の努力によって遂行されることなど当然ないからだ。同じく、社会をよりよくしようと努力する「運動」も、自明なものの見方や既存の常識を疑い、それらを乗り越えようとする「哲学」の営みとは全く別のものであり、決してその種の営みを通して実行されることなど当然ないからだ。もちろんときには「哲学」の側が、単なるリップサービスとして、自明なものの見方や既存の常識を疑うことは、社会の現状を批判し、よりよくしていくことに役立つことがあると述べたりするかもしれない。同じく「運動」の側も、一種の自己宣伝として、社会をよりよくしようと努力することは、自明な見方や既存の常識を疑い、それらを乗り越えることにつながるとしばしば強調したりはする。しかし本来、この種の甘言はまともに受け止めてはいけないのだが、にもかかわらず或る種の人々(ヘンタイ・パフォーマーたちや亜インテリたち*1)はまともに受け止めてしまい、社会をよりよくすることを通して既存の常識を否定しようとしたり、あるいは、自明な見方を否定することを通して社会をよりよくしようと努め始めてしまったのだ(何と的ハズれな努力だろうか)。

以上のように「哲学」と「運動」をショートカットさせると、正当な「哲学」と「運動」の〈狭間〉に穿たれたエアポケット空間にハマり込んでしまい、そこで動きがとれないまま空転し、ただ崩れ折れていくだけになるのだが(だからこそ「哲学」と「運動」の双方から、的外れなふるまいに過ぎないとすぐに切り捨てられてしまうのだが)、自分の立場は、敢えてこうしたポジションを方法的拠点として設定していくものである。但しあくまで方法的拠点とするのであって、動きが取れない空転状態や、身を持ち崩した状態をより望ましい状態に改めようとする精神療法をことさらに実践していくわけではない。また、エアポケットにハマり込むという特有の経験にナラティヴを与えることによって、その経験自体を新たに間主観化していこうとする当事者運動に特に従事するわけでもない。もちろん、これらのものがもたらす知見を最大限に援用していくことにはなるのだろうが。

「デザイン」の専制に抗して

「哲学」と「運動」の〈狭間〉というエアポケット空間への閉じ込められ、足の掬われというネガティヴな状態を敢えて方法的拠点としたのは、この状態こそ、「デザイン」の専制*2に抵抗して、それを機能不全に陥らせることが期待されるからだ。ゲンロン派の立場(≒東浩紀の「理論」)は、「哲学」に支えられた「批評‐理論」によって、(下部構造としての)「思想」なき「デザイン」を制御、再デザインしながら、そのことを通して同時に(単なる上部構造としてのイデオロギーとは異なった)「思想」の再建をも目指していくというものだった。それに対して自分の立場は、「デザイン」の専制を機能不全に陥らせる拠点として、「哲学‐運動」というショートカット態(両者の〈狭間〉)を新たに確保し、あくまでこのショートカット態の上にとどまりながら、「デザイン」の機能不全を受容したり、それに対処する仕方を検討しつつ、同時にそのことを通して「思想」の構築をも目論んでいくものになるだろう。

その際焦点になるのが、「運動」(社会運動、政治運動)というものの位置づけである。ゲンロン派は、「運動」は「デザイン」によってほぼ代替されると主張していたわけだが、或る面では自分もこの主張を受け入れたことになる。「デザイン」の専制に対抗できるのは従来の形態での「運動」(スルニチェクらの言う「フォーク・ポリティクス」に相当)ではなく、「哲学‐運動」という、「哲学」と「運動」との不純なショートカット態であると判断したのだから。このショートカット態は、「デザイン」が「運動」を代替しようとする際に、鈍感さや鈍重さというかたちで*3その代替を不完全なものとし、それに抵抗していくものだと言えるだろう。

けれども他面では、自分の立場はゲンロン派のそれとは真っ向から対立することになる。「哲学‐運動」という不純態は、「運動」に参加しなければ決して生じないものなのだから。それは、「運動」の昂揚が必然的にもたらした副産物、もしくはそこから必然的に排出されてくる廃棄物のようなものだろう。

ゲンロン派:「デザイン」 → 「批評‐理論」 → (まだ存在しない、来たるべき)「デザイン思想」

自分の立場:「デザイン」 ↔ 「哲学‐運動」 → (まだ存在しない、来たるべき)「(予後不良者の?)思想」

なお、「哲学‐運動」という形態が「デザイン」を機能不全に陥らせる仕方は、おおよそ次のような段階を踏むと思われる。1)まず「哲学」と「運動」をショートカットさせたために、両者の〈狭間〉の空間に閉じ込められてしまい、その中で動きが取れなくなり、空転しながら徐々に身を持ち崩していくことになる。2)そのため、何とか生き続け、身を持ちこたえようとして、自動的に最良の生き方を選択するよう仕向けてくれる「デザイン」(アーキテクチャ)に過剰依存し始めるのだが*4、3)過剰に依存し過ぎたために(あるいは過剰に依存することしかできなくなってしまったために)、われわれに自動的に最適な選択肢を与えてくれる「デザイン」の性能がいかによくなろうとも、もはやそれによって、自らが陥っている動きの取れない空転状態を殆ど改善することができなくなってしまう。こうして(おもに亜インテリたちやヘンタイ・パフォーマーたちが陥った予後不良状態として体現されている)「哲学‐運動」というショートカット態が、「デザイン」の専制に対する除去不可能な障害として立ちはだかるようになるのだ。

「デザイン」と「アート」の〈狭間〉

ところでこの「哲学‐運動」という不純な形態が、「デザイン」に対する障害として立ちはだかる仕方を解明する際には、「デザイン」と「アート」との間の区別というものが参考になる。「デザイン」と「アート」の違いに関してはすでに様々なことが言われているが、とりあえずここで一番ありふれた区別を取り上げれば、それは、〈デザイン=より有用で効率的な仕方で問題を解決すること/アート=表現や創造行為を通して既存の有用性や効率性自体を疑問に付し、新たな問題提起をすること〉*5というものになるだろう。「哲学‐運動」という不純態は、「デザイン」による問題解決を無効にしながらも、新たに別の問題を提起をできるような優れた表現や創造行為を特にするわけでもないのだから(とはいえ、この不純態を体現しているヘンタイ・パフォーマーたちは表現や創造もどきのことをしてやまないから、まだ問題なのだが・・)、まさに「デザイン」と「アート」との間に開かれた〈狭間〉のうえに位置づけられることになる。それゆえ、「デザイン」と「アート」との間の区別が生じる所以や由来を究明していけば、この不純態のあり方やその正体の解明にも役立つのではないだろうか。その際注意しなければならないのは、「デザイン」の望ましいあり方や、「アート」の本来のあり方が決して問題になるわけではないという点である。あくまで「デザイン」と「アート」との間に区別が存在すること自体が問題なのであり、この区別が生じる由来と、それが維持される理由の解明が主眼になるのだ*6。(今回は詳論できなかったが)「哲学‐運動」というショートカット態は、「哲学」と「運動」の〈狭間〉に位置するだけではなく、同時に「デザイン」と「アート」の〈狭間〉にも位置することになる筈なのだから。

「デザイン」と「アート」の区別の存在理由や、その区別のあり方の解明を通して、「デザイン」の機能不全の受容の仕方や、それへの対処の仕方を追究していくことが、「哲学‐運動」というショートカット態にとっての「理論」の新たな役割になるのだろう、多分。(未完)

*1:ちなみにこれらの人々は、アートの一般化や知の大衆化がもたらした産物であり、同時にそれらのものの鬼子であると言えるだろう。

*2:これこそが、ティクーン派が破壊しようとした「メトロポリタン」的なものの正体ではないだろうか。

*3:この(無関心さに基づいた)鈍感さ、鈍重さというものを、〈卒〉というスタンス特有の新たな抵抗のスタイルとして、従来の〈逸脱〉や〈過剰〉や〈残余〉という諸々の抵抗のスタイルと区別しながら改めて彫琢していく必要があるのだが。

*4:この過剰依存状態は、かつてギデンズが唱えた、近代の再帰化によって生じた複雑性の上昇や不透明性の増大に対処しようとして陥る嗜癖状態とは明らかに異なるものだ。「デザイン」とは、まさに複雑性の上昇や不透明性の増大を処理、縮減し、むしろわれわれがそうしたものと対峙しなくとも済むようにさせる仕掛けのことだったのだから。

*5:「デザイン」とは、新たな問題(課題)とそれに対する解決法を同時に提起するものだという別の見方も存在するのだが。

*6:一方ゲンロン派にとっては、「デザイン」と区別された「アート」は、「デザイン」に方向を示して導いていく「思想」の構築をその中で模索できる、格好の探索場所になるのだろう。まだなき「思想」を模索する場所としての「アート」。

③ゲンロン派

「運動」の排除と「デザイン」の導入

ゲンロン派は、柄谷派が形成した、「批評」と「理論」と「哲学」との間の以上のような閉じたトリアーデを前提としたうえで、さらに、この3つ以外のもの(「運動」と「思想」)との間の従来の関係も組み替えていこうとした。その結果新たに排除されるようになったのが、実は「運動」なのだった。また、「運動」が排除される代わりに新たに導入されるようになったのが、人間の行動を自動的に最適化する仕掛けや仕組みを設定するという広い意味での、「デザイン」というものである*1。つまりゲンロン派の間では、衰退した「運動」の代わりになるのは「デザイン」だと見なされていたのだった。そして「哲学」に支えられていた「批評理論」は、この「デザイン」というものと、衰退して今や不在のものと化してしまった、進むべき方向や包括的なヴィジョンを人々に与える「思想」とを結びつける役割を新たに引き受けようとし始める。

「批評理論」による「デザイン思想」の構築

人間の行動を自動的に最適化するアーキテクチャを「デザイン」(設計)するためには、それにふさわしい「デザイン思想」(設計思想)が必要なのだが、残念ながら現在ではそうした思想は欠けたままである。そのため、一番効率的で負担がかからない課題解決の仕方を見出しさえすれば、とりあえず最適な状態は実現される筈だと見なして、ひたすら効率化と負担の削減を追求していくことしかできないのだった(最適化=効率化という短絡)*2。また解決すべき課題の提示も、すでに社会の中にあらかじめ存在していたものを改めて取り上げ直すことしかできないままである(よく「デザイン」は、解決すべき新たな課題をわれわれに提示すると言われるが、実際はそれは見かけ上のことにしか過ぎない)。こうして現在のアーキテクチャの「デザイン」は、人々があらかじめ解決すべき課題だと考えていたものを(たとえば「持続可能な開発」など)、とりあえず後から新たな仕方で解決しようと試みることしかできず、また、現在の社会では効率化と負担の最小化こそ最適化だと普通に見なされているから、とりあえずはその意味での最適化を、最新のテクノロジーを用いながら改めて追求していくしかないのだった。つまり、まさに社会システム論的な意味で(現存の社会の外部にいかなる参照枠も目的も持たずに)自己準拠化していたことになるのだが、「哲学」に支えられた「批評理論」は、現在の「デザイン」の現在のこうしたあり方の可能性と限界を検討していくとともに、それらの検討を通して、自己準拠化した「デザイン」に改めて意味と方向を明確に与えることができるような、新たな「デザイン思想」の構築を目論んでいく。「思想」なき「デザイン」というものの可能性と限界の検討を通した、新たな「デザイン思想」の構築。

「運動」と「デザイン」の両立不可能性

以上のような立場にとって、「運動」などというものは、しょせん、やがては消滅すべき余計なノイズに過ぎないだろう。「思想」なき「デザイン」の自己準拠性がうまく作動せずに、自動化や最適化が実現しなかった際の――この現象は故障やバグの発生と等しいものと見なされる――突発的反応や、あるいは「思想」なき「デザイン」の自動化や最適化の追求が、向かうべき方向や落ち着くべき場所を見出せずに暴走してしまったことから――それは性能や仕様の限界と等しいものと見なされる――生じる、一時的な混乱や困惑でしかない筈だ。こうした「運動」は、アーキテクチャの「デザイン」がよりよいものになったり、さらには、「デザイン思想」によって「デザイン」に適切な方向が与えられるようになれば、やがては生じなくなると見なされている。あるいは、「デザイン」の自己準拠化の不完全性や、「思想」なき現在の「デザイン」の原理的な限界や問題点を、「批評理論」の側にその都度告げ知らしてくれる役割を果たしてくれるものとして、かろうじて評価されるのがせいぜいだろう。「デザイン」の重視による「運動」の蔑視。

*1:こうした対応の仕方は、90年代末以降に生じた、ネオリベラリズムグローバル化)に反対する「運動」の世界的な盛り上がりに対して、脱政治化された「批評理論」をあくまで守ろうとする防御的な反応として解釈できるかもしれない。

*2:一応行動経済学が、人間の非合理で非効率的な行動のパターンを取り上げることによって、最適化と効率化との間のズレにひたすら焦点を合わせ続けているのだが。ただしこうした行動経済学の知見も、殆どがそのズレを再び縫合するためにしか用いられていないのが実情だろう。また加速主義者たちが注目し、さらに促進させようと目論んでいる加速化という現象は、効率化としての最適化を求める「デザイン」と、テクノロジーの進化との間に新たに生じつつあるズレのことなのかもしれない。

②(NAM以前の)柄谷派

「批評理論」の誕生

「運動」と「思想」の力が衰弱したため、両者を架橋する役割を果たしていた「批評」と「理論」だけが後にポツンと取り残されてしまった。全く新たなこの状況を踏まえて、「批評」は、「運動」と「思想」の力が衰えてしまった現実を正直に認めて受容していくと同時に、こうした現実のもとでも「運動」や「思想」が本来持っていた力や可能性が維持できるよう尽力する役割を新たに引き受けるようになった。「運動」や「思想」が力を持たない新たな現実の認識と、その新たな現実の只中での「運動」や「思想」の力の維持・継承。この二つのことを同時に実現するために、「批評」は「理論」というものに全面的に依拠するようになり、自らを単なる時代批評、状況批評ではなく、一個の「批評理論」(批評=理論という新たな境地)へと高めようと努力し始めたのである。「運動」と「思想」なき時代の只中で「批評」が存続するための、「理論」との一体化を通した「批評」の自立化の実現。

「哲学」の新たな役割の発見

また、「批評」を「批評理論」へと高めようとする努力の過程で、常識的な見方を疑問に付してきた「哲学」特有の営みが改めて見直されることにもなった。「運動」や「思想」の力を自明視した従来の見方が崩壊したことの意義や、その必然性に対する認識を深めたり、「運動」や「思想」が力を持たない新たな現実の中で、敢えてそれらのものの可能性に固執する反時代的な姿勢を貫いていく際に、常識に対する執拗な懐疑や前提それ自体の粘り強い問い直しという、従来からの「哲学」のふるまいが大いに参照されるようになったのである。こうして「批評理論」という、「批評」と「理論」の一体化を可能にすると同時にそれを下から支える、「哲学」の新たに重要な役割が確認されるに至ったのだった。