外付脳内そっ閉じメモ

脳内に澱のように溜ったものの単なる置き場デス。そっ閉じ必至。

交換様式Dと周辺地域、そして反復強迫:柄谷行人『力と交換様式』へのコメント(後)

前篇からの続き。

Ⅷ 交換と交通の差異

柄谷は、『世界史の構造』では、人間と人間の関係である交換が、人間と自然の関係よりも優位にあり、前者が後者のあり方を一方的に規定すると主張していた。ところが『力と交換様式』では、 M・ヘスの交通概念に着目して、人間と人間の間で成立する交換は、あくまで、自然を初めとする他の存在者との関係である「交通」の一例に過ぎないと捉え直したため、人間と人間の関係と、人間と自然の関係との間の優劣関係が曖昧にされてしまった。これはすでに指摘した点なのだが(Ⅰ章)、『力と交換様式』では、この問題に対する答えは結局最後まで与えられていなかった。そこで、議論をより整合的なものにするために、大胆にも、この優劣関係をはっきりと逆転させてしまった方がよいのではないか。自分としてはそう提案してみたい。もちろんこの提案は、交換関係よりも生産関係を重視した、柄谷以前の従来の立場に立ち戻ることを意味するわけではない。そうではなく、生産関係以外の、多様な人間と自然との関係の方を重視していくことを意味している。そうすると、交換様式Dはいったいどのような姿を見せるようになるだろうか。

もともと交換様式Dは、交換がまだ生じていない原遊動民の状態に戻るよう私たちを促すものだった。だからこそそれは、無機的な状態に戻ろうとする死の欲動タナトス)と重ね合わせられたのだが、しかし、そうであるならば、交換様式Dは、交換関係の一つの様式であるというよりは、むしろ交換関係そのものの否定として捉えた方がよかったのではないか。つまり交換様式Dは、端的に「もう交換をやめよ」という要請や命令として私たちのもとに届くものだったのではないか。それでは、そうした要請や命令はどこから届くのだろうか。当然それは、交換の相手であった人間という存在者以外の、他の存在者たちの方からだろう。そうした存在者たちの方から、人間同士の関係である交換ばかりを行なうのではなく、他の存在者とも関係を切り結ぶようにと、というよりも、他の存在者との間の交通関係を、人間同士の交換関係よりも優先させるよう訴えかけていたのだと思われる。人間同士の交換関係とは区別される交通関係というものは、一応自然と人間との関係として一括りすることができるのかもしれないが、しかしこの場合の「自然」とは実は雑多なものであり、その中には様々な存在者が含まれていた。もちろんそこには地球環境が重要な存在者として控えているのだが、実際にはただそれだけではなく、人間以外の生物種や死者たちの群れ、あるいは増殖していく機械群なども同時にひしめき合っていて、それらが皆、(もはや交換様式BやCに支配されたままになっている)人間同士の交換関係よりも、自分たちとの交通関係の方を優先させるようにと訴えていたのではないだろうか。多分交換様式Dの実態は、こうした雑多な存在者たちの無数の訴えかけだったのだと思われる。

柄谷は、原遊動民たちの生活様式の記憶痕跡の方から交換様式Dは到来するとしたわけだが、それと同時に次のようにも述べていた。当のその原遊動民(狩猟採集民)たちは、交換関係(この場合は交換様式A)を結ぶ相手の人間のうちに想定されていたアニマを自然の方にも投影して、無意識なまま自然とも交通していたのだと。もしそうならば、原遊動民の記憶の方から到来するとされる交換様式Dは、やはり、その自然との交通を無意識裡にではなく意識的に改めてやり直せ、という要請として立ち現われることになる。たが柄谷は、すでに第Ⅰ章で批判的に取り上げたように、関係を切り結ぶ相手に対してアニマという観念的・霊的な存在を想定するのは、あくまで人間同士の関係の中でだけであり、本来人間と自然との関係は純粋に物質的なものでしかないと捉えていた。たとえ自然のうちにもアニマという存在が想定されたとしても、あくまでそれは、人間同士の関係で生じたアニマという観念的な存在が、事後的に自然に投影されただけのものに過ぎなかったのだ。

しかし、人間同士の交換関係を人間と自然との交通関係よりも根底におく、こうした人間中心的な見方はもはや維持することはできないだろう。むしろ逆に、到来した交換様式Dは、自然や他の存在者との交通では、もはや〈観念的・霊的/物質的〉という対立図式が成立しない以上、そうした図式とは異なる枠組を作ったうえでそれらと関係するよう強く求めていたのだと思われる。そうであるならば、異なる枠組とはいったいどのようなものなのだろうか。それについてはまだ誰にもわからないままなのだが、しかし、手がかりとなるものはすでに存在していたと言える。

第Ⅲ章で、なぜ柄谷は交換様式Dの到来を、フロイト的な超自我だけではなく死の欲動とも性急に重ね合わせ、超自我死の欲動という、一見粗雑にも見える等式を提示したのか、その理由がよくわからないと指摘したのだが、実は交換様式Dが死の欲動として発動するという事実こそが、まさに人間以外の存在者との新たな交通関係の形成するための手がかりだったのではないだろうか。到来する交換様式Dは、死の欲動の発動として到来することを通して、人間同士の交換関係を優先するのをやめよと要請し、またそれと同時に、無機物への回帰を求める自らのあり方を手がかりにして、世界そのものや様々な存在者との新たな関係の仕方を形成するようにと促していたのかもしれない。

Ⅸ 到来した交換様式Dの内実と「周辺」地域

死の欲動が求める人間の生き方

それでは、無機物への回帰を手がかりにすると、世界や存在者への人間の新たな関係の仕方はどのようなものになるのだろうか。単純に考えれば、反出生主義よろしく、自分たちが現実に存在すること自体の意味をはく奪して、生命が誕生する以前の状態に戻ろうとすることになるのかもしれないが、それではあまりにも非現実的である。また実際の反出生主義も、現実世界でできることは、次世代を生産するのを控えることぐらいしかないのだった。これではあまりにも消極的だろう。タナトスに従おうとする、もっとほかの仕方は存在しないのだろうか。実はここで大きな参照先として浮上してくるのが、前章Ⅶで触れた、近代の超克の論理の適用が失敗することによって生じた、亜周辺地域とは区別された周辺地域の現在の状況である。そこは、帝国的覇権の再現を目指す複数の勢力圏が互いに影響力を行使し合い、両者の草刈り場と化すとともに、かつての歴史的惨禍の瓦礫や残骸がうず高く積まれ、しかも環境を汚染する廃棄物も蔓延していた。周辺という地域に住む者たちは、こうした状態の中でも生き続けられるように、何とかそこを居住可能な空間へと変えていかなければならない。またそうするためには、同時に人間の側もその生き方に関して大きな妥協というか変容を強いられることになる。もうこれ以上瓦礫の山を高くしないために、下手にそれを片づけたりせずに(そうすると歴史の過ちを忘却して、再び新たに瓦礫を積み上げる破目に陥るだけになるだろう)、追想の作業を続けながら、それに囲まれて暮らす新たな仕方を案出する必要が出てくる。同じく、もう除去が難しい汚染物質の存在を無視したりせずに、その存在が周囲の環境にすでに組み込まれていることを前提としたうえで、それからの負の影響を最小限にとどめながら、汚染物質との共存を何とか可能にするような新しいライフスタイルの創出も重要になってくる。

こうした生き方は過剰な活動を抑制して、不動状態や仮死状態にできる限り近づいていくようなものになるはずだ。それはまさに、無機的な状態に戻ろうとする死の欲動を優先させることによって、初めて実現されるような生の営み(の不在)になる。そう、自然や人間以外の存在者たちから到来する、交換関係よりも交通関係の方を優先せよという要請が、なぜ死の欲動として発動したのかと言えば、それは今確認したように、柄谷の言う交換様式Dが、まさに人間的諸活動を抑制させることによって、人間以外の存在者との間の交通関係が優位になるような状態を実現せよと、実は求めていたからである。

〇周辺地域に住む人々こそ、交換様式Dの要請をもっとも受けとめやすい

柄谷は、交換様式Dは、自然との交通関係を無意識裡に結んでいた原遊動民の方から到来するとわざわざ主張し、しかも、それは交換関係以前の状態に戻るよう求めていたとまで認識していた。多分、相関的な交換関係を重視する人間中心的な立場を脱することができなかったために、そこまで踏み込んだにもかかわらず、原遊動民の記憶痕跡の方から到来するとされる交換様式Dの、以上のような内実を明確にすることができなかったのだろう。そもそも交換様式Dというものが、人間的な諸活動を抑制することを求めていた以上、そうしなければ生き続けることができない、歴史の瓦礫と除去不可能な廃棄物とに囲まれた、現在の周辺地域で生活している者たちこそが、実はその要請をもっとも受けとめやすかったのだと思われる。それは言い換えれば、現在の周辺地域に多く存在する瓦礫と廃棄物こそが、実は交換様式Dを召喚させる一種の依り代として機能していたことを意味しているのだった。残念ながら柄谷は、亜周辺とされた地域でこそ交換様式Dは到来する(そこにしか到来しない)と考えてしまったために、こうした周辺地域の重大な特徴を捉え損なってしまったのだろう。

とはいえこの周辺地域でも、柄谷が強調していた、自由と平等は交換様式Bの肥大と交換様式Cの暴走に抵抗する限りでしか実現しないという、交換様式に関わる特有の構造は、やはり同じようにあてはまると言える。つまり周辺地域では、歴史の瓦礫の追想に徹して交換様式Bの肥大(専制政治)を抑えることに徹しない限り、自由というものは実現されないわけだ。またそこでは、除去できない有害な廃棄物とやむなく共存するために、皆でその面倒くさい処理や管理に関わり続けなければならないのだが、その作業に徹していけば、交換様式Cの無闇な加速や暴走も同時に抑えられるようになる。その結果、有害物質のリスクに誰もが等しく曝されることを通して、ある種の平等が実現されていくだろう。しかし、このようにしてそこで実現される自由と平等というものは、柄谷が想定していたものとはかなり趣が異なるものになるはずだ。それらは、過去に存在したとされる原遊動民のライフスタイルの記憶に由来するものではないし、そもそも、――これはすでに何度も強調してきた点なのだが――独立して自律した個人同士の間で実現されるようなものでもなかったのだから。

そうした自由と平等は、(もし実際に存在したならばの話だが)かつての原遊動民が無意識裡に切り結んでいたとされる、地球環境や死者たちなどの人間以外の存在者との間の交通関係を、改めて意識的・意図的に結び直せという、交換様式Dの要請に従うことによって新たに形成されるものである。しかもその結び直しは、歴史の惨禍が刻印された瓦礫の山のうちに安らいながら、汚染物質と何とか共存していくという試みを通してしか進められないものなのだった。自由と平等というものは、本来こうした交通関係の結び直しの努力の過程で、瓦礫と廃棄物の下でかろうじて実現されるものでしかなかったのではないだろうか。

〇周辺地域における低次元での回復と高次元での回復

もし、以上のような周辺地域への交換様式Dの到来にも、低次元での回復と高次元での回復との区別が存在するならば、むしろそれは柄谷が捉えたのとは正反対のかたちを取るようになると思われる。その場合、低次元での回復とは、アルカイックな狩猟採集民の共同寄託というかたちであれ、前近代的な土地共有制というかたちであれ、いずれにせよ、無意識なまま自然と交通していたかつてのあり方を再現しようとするものである。そこでは、歴史の惨禍が刻印された瓦礫と有害な廃棄物の山など当然想定されてはいなかった。そのため、かつてのあり方を無理に再現しようとして、こうしたものたちの存在を無視したり、強引に除去することにしかならないだろう。一方高次元での回復とは(こちらの方は、もはや厳密には回復とは呼ぶことができないかもしれないが)、かつて無意識裡に行われていた自然や人間以外の存在者との交通を、意図的・意識的に新たな仕方で構築しようとするものである。そこでは当然、歴史の瓦礫の山と汚染物質の蔓延は想定されていて、むしろ、そうした存在との共存の仕方の追求を通して、自然や他の存在者との間の新しい交通関係の創出が試みられていくだろう。

つまり低次元での回復とは、無意識なまま行われていたかつての交通関係をただ再現しようとして、瓦礫や廃棄物の存在を受け入れずに無視してしまうからこそ、そう呼ばれるのだった。一方高次元の回復とは、かつての交通関係を、意識的・意図的に改めて構築しようとするばかりではなく、瓦礫や廃棄物の存在を受け入れて、まさにそれらと共存する努力を通してそうしようとするからこそ、高次元なものと見なされたのである。

Ⅹ 革命的メシアニズムと強迫反復、そして黙示録的終末論

〇革命的メシアニズムと、アルカイックなものの回復との混同

それでは、そもそもどうして柄谷は、かつて存在したあり方の回帰の方を高次元での回復であると見なし、新しいあり方の創出の方をそうとは見なさなかったのだろうか。多分それは、実現が阻まれた未来が今度こそ実現するよう求めて回帰することと、すでに失われてしまった何かや満たされなかった願望が、その回復や充足を求めて改めて回帰することとを混同してしまったからだろう。簡単に言えば、実現されなかった未来の回帰と、すでに失われてしまった過去の回復とが混同されてしまったのだと言える。未来の方から回帰するものは、決して単に以前の状態の回復や、かつて満たされなかった願望の充足を求めてそうするわけではないのだ。つまり未来の回帰と過去の回復とは、本来まったく異なる現象だったのである。この肝心の違いが見失われてしまったのは、多分柄谷が、ブロッホベンヤミン的な追想(希望なき希望)と、アルカイックな社会に垣間見られた、自由と平等の完全なかたちでの実現を求めてやまなかった、一部の人類学者に見られた「ルソー的な原始主義」(グレーバー)とを安易に重ね合わせてしまったからだと思われる(ブロッホの論述スタイルが、本来鋭く対立するものを一緒くたにしていく問題含みのものであったから、こうした不適切な重ね合わせを誘発させてしまったのかもしれないが)。

しかし、両者は本来まったく別のものである。革命的メシアニズムに基づいた追想とは、単にいまだに満たされない願望を今こそ満たすために行われるようなものではない。そうではなく、逆に、満たされないままになっていた願望を今度こそ満たそうとしては失敗を繰り返してきたという、歴史の世界に頻繁に見られた反復強迫のパターンを脱するためにこそ、わざわざ追想という作業は実施されるのだった。かつて存在していたが失われてしまったものを、未来でより完全なかたちで復活させたい、あるいは、求めては得られなかったものを今度こそ獲得したい。そう考えて今度こそは成功するはずだと期待して、思わず力を入れ続けてしまう限り、どうしても私たちは失敗を繰り返してしまう。しばしば取り返しのつかない破局まで引き寄せることになり、あとには、それによって生じた残骸や瓦礫だけが取り残されていく。『力と交換様式』で展開された議論に即して言えば、交換様式Cに対する交換様式Aの抵抗を押し進めようとすると、しばしばその交換様式Aと交換様式Bとをいわば悪魔合体させてしまい、歴史的な破局を招来させることになるわけだ。革命的メシアニズムが重視するメシアというものは、実はこうした歴史の世界の反復強迫を何とか脱するための手がかりを携えて、というよりその手がかりそのものとして、まさにこの世界に到来するものだったのである。いったん手がかりが得られてしまえば、たとえ社会をよりよいものにしようとする企てがうまくいかなかったり失敗したとしても、それは常に必要な試行錯誤の範囲にとどまるようになり、新たな破局を招いて残骸や瓦礫の山をさらに積み重ねていくことなど、決して生じなくなるだろう。革命的メシアニズムが追い求めた革命や救済とは、本来こうした事態の実現のことを指していたのである。

また、このメシアニズムが行う死者たちの追想とは、決して非業の死によって生を絶たれてしまった者たちの思いや願いを、あとからそのまま満たしたりかなえたりしてやるようなものではない。この点も誤解してはならない。たとえば、国のために身を捧げる決意をして戦地に赴き、すぐに戦死してしまった若者の願い自体は、生き続けてもっと国のために尽くしたかったというものだろう。しかしメシア的追想は、こうした思いをそのまま掬い取って、それを何らかの仕方でかなえてやろうとしたりはしない。そうではなく、戦死した若者が、そもそも国に身を捧げる決意をしたり戦地に赴くことなどなかったという、未成のままにとどまった未来の方こそが、その実現を求めて回帰してくるのであり、それゆえ追想という作業は、戦争という破局の強迫反復から何とか逃れようとしていた、こうした未成の未来のかすかな痕跡を拾い集めては、それを責任をもって受けとめ、新たな仕方で成就させる道を模索していくのである。

反復強迫を乗り越える努力と、反復強迫の運動そのものとの同一視

柄谷は交換様式Dの到来を、失われたものの単なる回復や、満たされなかった願望の新たな充足を求める動きと重ね合わせてしまったため、上述のような革命的メシアニズムのあり方を正しく捉えることができなかったと言えるだろう。しかしその帰結はかなり重大だったと思われる。なぜなら、反復強迫の運動を乗り越えようとした革命的メシアニズムの努力を、当の反復強迫の運動と同一視するという錯誤を犯してしまったことになるからだ。柄谷は、交換様式Dの特有の現出の仕方を、人間の意思や願望ではどうにもすることができない、唐突な到来や執拗な回帰というものとして捉えていたのだが、こうした運動形態は、実際には、単に満たされなかった願望や、かつて存在していた何かが、その充足や再現を求めて回帰する際に取るものでしかなかっただろう。ここで重要なのは、到来の仕方が唐突になったり回帰の仕方が執拗になった原因は、願望の充足やかつて存在していたものの回復がいったん失敗したことに求められるという点である。失敗によってトラウマが生じたため(J・デリダ的に言えばこの失敗は構造的なものであり、その克服不可能性に対する新たな対処の仕方を発明しない限り、乗り越えられるようなものではなかったのだが)、回帰の仕方がまさに反復強迫的になって、人間の意志や願望ではどうにもならない唐突で執拗なものになってしまったわけだ。

〇革命的メシアニズムとは

もちろん、革命的メシアニズムが着目しているメシアの到来も、人間の意志や願望ではどうにもならないものだったのだが、しかしその到来の仕方は、決してただ単に唐突で執拗であるわけではない。もっと別の複雑なあり方をしていたのだ。何かが唐突に到来したり執拗に回帰すると、人はすぐにその到来や回帰に気づくことができる。だからこそ驚いたり慌てたりしたわけだ。それに対してメシアは、普通は誰にも気づかれないまま、いつのまにか到来してしまう。だからこそメシアの到来に対する気づきは、すでに到来していたことに気づいていなかった事実に、あとから気づくというかたちしか常に取ることができなかったのだった。そのようにしてあとから気づくと、しまったと思って、焦ってメシアの到来に対応するしかなくなるのだが、その対応は必然的に不本意で性急なものにならざるを得なくなる。また、どうして気づくことができなかったのかと後悔して、もう遅いと思いながらメシアの到来に対応するしかなくなるのだが、そうなるとその対応は、どうしても投げやりなものになってしまう。この種の性急さとなげやりさとは決して払拭できないものなのであり、だからこそメシアの到来への対応の仕方には、適切なものは原理的に存在しないということになるのだった。

このようにメシアの到来への対処の仕方は、常に性急で投げやりな不適切なものにならざるを得ない。そこで今度は、この原理的な不適切さをどう受け入れていくかが大きな課題となる。ところがこの課題の存在を認識することができなかったり、あるいはあからさまに否認してしまうと、人間の意志や願望でどうすることもできなかったものの到来に対しては、人間はただ無力なままにとどまり、何もなすすべなどないのだと誤って考えられるようになる。多分柄谷はこう考えてしまったからこそ、反復強迫を克服するために誰にも気づかれないまま到来したメシアというものに対応することの難しさと、唐突かつ執拗に惹起する反復強迫というものを前にしたときの無力さとを充分に区別することができなかったのだろう。そのため前者を後者のうちに解消してしまったのだと思われる。原理的に適切な対応の仕方が存在しないものに対する対処の難しさというものが、単純に対応の仕方が存在しないと見なされたものを前にしたときのただの無力さへと、すり替えられてしまったというか平板化されてしまったわけだ。

ところで、ここではもう詳論できないが、メシアの到来に対する原理的な適切な対応の仕方の不在という事態を受け入れるための努力は、Ⅸ章で検討したような「周辺」地域でこそ充分に行われるようになるのではないだろうか。なぜならそこでは、決して適切な仕方で受けとめたり受け入れることができない、歴史の瓦礫の山や蔓延する汚染物質との共存が強いられていたからだ。そうしたものとの共存は絶えずやり直され、仕切り直される必要がある。そのためその過程で、メシアに対する適切な対応の仕方の原理的な不在に対する受けとめ方をも、同時に鍛えられていくことになるだろう。瓦礫が山積みにされ汚染物質が蔓延したこうした周辺地域でこそ、到来する交換様式Dのメシア的契機が際立たせられるようになり、それが、単に満たされなかったものやすでに失われてしまったもののただの回帰から明確に区別されるようになるはずだ。つまり、まさにそこでこそ、メシアの到来への対応に常につきまとっていた、性急さや投げやりさともうまく折り合っていくことができるようになると思われる *1

〇ただの黙示録的終末論と誤解される

以上で確認したように、柄谷はメシアの到来と、単なる反復強迫的な回帰とを識別できなかったわけだが、『力と交換様式』の多くの読者はこの二つを識別できなかったどころか、さらに、交換様式Dの到来の唐突性、執拗性に対する柄谷自身の強調と、革命の好機の到来への単純な期待や希望に対する肯定とをすら充分に区別できていなかったように思われる。どうも多くの読者が、交換様式Dの到来の唐突性、執拗性の強調を、もっぱら革命やその好機の到来への希望をただ正当化するものとしてしか読んでいなかったようだ。こうした誤読の原因は、やはり柄谷自身の著述の仕方にあったのだと思われる。交換様式Dの唐突な到来や執拗な回帰を前にしては、人間は何もなすすべがないと強調したすぐあとで、それこそ唐突に、「希望がないところにこそ希望がある」という、革命的メシアニズムのあり方について述べたブロッホの言葉を、まるで符牒のようにただ繰り返すだけだったのだから。これではこの言葉が本来持っていた複雑な意味が単純化されてしまうだろう。まず「希望がない」とは、人間の側から革命の実現を求めて意図的に働きかけることができないから無力だという意味に、また、だからこそ「希望がある」とは、何もこちら側から働きかけることができないのなら、革命の実現をただ期待して待ち続けるだけでよい、というより待ち続けることが大切だという意味に、それぞれ平板化されてしまうのだ。

交換様式Dの到来は唐突で執拗であり、それに対して人間の側は何もなすすべもなく無力である。だがその一方で、交換様式Dの到来は確実に生じるのだから、ひたすら期待して待っていさえすればよい。――こう捉えられるようになると、交換様式Dの教説は、通俗的な黙示録的終末論と実質的には何も変わらないものになってしまう。黙示録的終末論とは、救済が生じる終末というものは確実に到来するのだから、ただそれを期待して待っていさえすればよいのだと見なす立場のことである。この立場では、人間の側からの働きかけや努力で終末の到来を早めたり確実なものにすることはできないなどと、人間の無力さが強調されると同時に、逆にそうだからこそ、期待して準備し続けること自体が重要になるのだとも必ず付け加えられるのだった。期待して準備していれば、いざ終末が到来したときにはすでに気づくことができるし、また適切に対処できるはずだからだ。こうした考え方は、メシアの到来に人は基本的に気づくことができず、またそれへの適切な対処の仕方も原理的に存在しないと強調した、革命的メシアニズムとは似て非なるものである。交換様式Dの到来は人間の意志や願望ではどうすることもできないという、『力と交換様式』での柄谷の強調に対して、それはただの神秘主義にしないと見なして否定的にしか評価しなかった者も、また、将来の革命の到来に対する期待を持つことができて元気が出たなどと述べて、肯定的に評価してやまなかった者も、交換様式Dの教説をただの黙示録的終末論の変種としてしか受け取っていなかったという点では、実はみな同じ穴のムジナだったのではないだろうか*2

Ⅺ 可能性/現実性、潜在性/顕在性という図式

〇可能性/現実性、潜在性/顕在性という思考図式を克服する必要性

それでは、どうして柄谷本人のものも含めた以上のような誤解が生じてしまったのだろうか。つまり、どうして反復強迫を克服するための革命的メシアニズムが反復強迫そのものと誤認され、さらに、なぜ反復強迫の惹起に対する人間の関与できなさの強調が、革命や終末への期待や希望の肯定へと誤読されてしまったのだろうか。

この問題については今はあまり詳しく論じることはできないが、どうやら誤解の根本の原因は、人間が物事について考える際に、「可能性/現実性」、「潜在性、顕在性」という図式*3にどうしても依拠せざるを得なかった事実にあるように思われる。これらの図式に依拠してしか思考できないために、すぐに私たちは、何か素晴らしい潜在的な可能性が人間や社会の中には存在していて、それを顕在化させて何らかのかたちで現実化しさえすれば、物事はすべてうまくいくという発想をするようになる。だからこそ満たされない願望や満たされたり、いったん失われそうになっていた何かがより完全なかたちで回復されることは、潜在的だった可能性が顕在化して、なんらかの形態で現実化することに等しいから、それらは基本的によいことだと見なされてしまうのだ。

しかし実際には、特定の形態への現実化が失敗して災厄がもたらされる可能性がそこには潜んでいて、顕在化の運動が始まると、むしろその可能性の方が、というより常にそれだけが現実化されることになるのではないだろうか。というのは、潜在的な可能性が顕在して現実化することへの期待というものは、実は、歴史の反復強迫の運動が私たちに仕掛けた罠に過ぎず、私たちがそうした期待を抱くことは、単に新たな反復強迫が生じるためのきっかけとしてしか機能していなかったからだ。つまり、何らかの潜在的な可能性が顕在して現実化していく運動があらかじめ存在し、その運動が何らかの要因であとから妨げられたり挫折して初めて反復強迫の運動が立ち上がるのではなく、逆に反復強迫の運動が生じて初めて、潜在的な可能性が現実化することへの期待が、当の反復強迫の運動を続けさせるための罠、仮象として課せられるようになるのだった。反復強迫の運動と、潜在的な可能性が(そのテロス=目的の実現として)現実化することへの期待との間のこうした絡み合いを、初期デリダは「代補」の論理として定式化し、柄谷も当然そのことを知っていたはずなのだが、『世界史の構造』以降、アルカイックなものの高次元での回復を尊重するルソー的原始主義の立場に立ってしまったために、以上のような反復強迫の問題から彼は目をそらしてしまったのだろう。

また、可能性/現実性、潜在性/顕在性という思考図式に依拠したままでいると、たとえ革命や救済などの素晴らしい可能性の現実化が、人間の意志や努力だけで成し遂げるのは可能だと判明したとしても、そうした可能性自体はよくて素晴らしいものなのだから、必ずいつかは現実化するはずだと勝手に思い込み、しかも、むしろ待つことに徹した方がよいのだとまで誤解してしまうことになる。しかし実際には、現実化の失敗による災厄の方が顕在化するだけだったのだから、そうした災厄が二度と発生しないよう、人間の側が積極的に関与していく必要があったはずである。交換様式Dの到来は、人間の意志や願望でどうにでもなるものではないとただ一方的に強調すると、結果としてこの必要性を否認してしまうのだ。革命的メシアニズムにせよ、神からの恩寵と人間との協働であったテオーシスにせよ、本来は、災厄を繰り返しもたらす歴史の反復強迫の運動を何とか解消するための、人間の側のこの種の関与の仕方の模索や試みだったはずであるにもかかわらず(そもそも人間の「原罪」というものは、反復強迫の原因に対する神話的表象だったと解釈できるだろう)。

とはいえ、潜在的な可能性の顕在化、現実化への期待から距離を取りながら、反復強迫の運動を解消させていくのは、実際にはかなり難しい作業になる。というのは、その期待は単に人間の側にのみ存在した一方的な錯覚だったわけではなく、何らかの潜在的な可能性を顕在化させようとしては、その失敗による歴史的惨禍の方だけを現実化してきた、反復強迫の運動が現実の世界の側にも実際に存在していたからだ。そのため、たとえ可能性/現実性、潜在性/顕在性という思考の枠組から私たちが解放されたとしても、そうした運動が歴史的現実の世界の方に相変わらず残り続けてしまうことになる。従って、従来の思考の枠組から自由になると同時に、現実世界の中に実際に存在していた反復強迫の運動に対しても積極的に働きかけていく必要が出てくる。たとえこの運動をすぐに停止させるのは無理だとしても、徐々にそれをとりとめのない戯れへと無害化する努力を続けていかなければならないわけだ。何か素晴らしい潜在的な可能性が現実化することへの期待というものから自由になりながらも、同時に、そうした期待によって引き起こされる反復強迫の運動をも無害なものにしていくよう努めること。当然これは、かなり屈折した戦略にならざるを得ないだろう *4

〇「生命」の論理と「精神」の論理

さて、こうした戦略を確固としたものにするためには、宗教的伝統や秘教的伝統の中では常に混同されていたり、あるいは意識的に重ね合わせられてきた、「生命」の論理と「精神」の論理とを改めて明確に分離していく必要があると思われる *5。なぜなら生命とはまさに、何か潜在的なものが顕在化して、特定の形態へと現実化していく運動のことだったのだから。またそれ特有の論理は、なぜ私たちは、潜在的なものが顕在化しようとするこの運動に通常は抗うことができないのか、しかも、どうしてそこには破局的な事態の周期的な反復というものが伴うのか、その理由を説明してくれるものでもあった。一方精神とは、この生命の運動の影響から自由になるために、それが繰り返し地上にもたらしてきた破局を何とか消し去ろうとする努力を意味している。また、それ特有の論理に従うことによって初めて、潜在的なものが現実化することへの期待から離脱したり、反復強迫の運動を停止させるための工夫や技法を生み出すことができるようになるのだった。物事が本来持っていたとされる、豊かな可能性が現実化しさえすればうまくいくという発想から距離を取りながら、同時に、そうした発想に多くの人々が囚われることから生じる、歴史の反復強迫の運動を停止させるために、その運動に積極的に介入していくということ。この屈折した二重の戦略は、以上のように生命の次元と精神の次元とを明確に区別することによって、初めて確固としたものになるのだろう。

〇G・アガンベンパウロ論の問題点

上述したように、歴史上の災厄の反復強迫を解消するためには、潜在的だった可能性を顕在化して現実化させるのはよいことだという発想を克服していく必要があったのだが、私見では、その発想の実際の克服にかなりのところまで迫ることができたのが、G・アガンベンパウロ論だったと思われる。アガンベンはそのパウロ論(『残りの時』上村忠男訳、岩波書店、2005年)で、単に終末を待望するだけの終末論と、終末を待望することによって既存の制度や規範の効力が無効化(不活性化)することから生じる、一種の解放空間の方に着目したメシア論とを峻別したのだった。そのうえで、終末とは区別されるメシアの到来とは、むしろその解放空間の出現それ自体のことだったのだと見なしていく。その空間の中でこそ、自由と平等が実現されることになるのだから。終末の到来とメシアのそれとをこのように分けること自体は適切だと思われるのだが、しかし、私たちを縛ってきた既存の制度や規範の無効化(それらの存在がもはやどうでもよくなること)を、単にその実効力が再び潜在化してしまった状態としてしか捉えていなかった点が、まだ議論としては不十分だろう。なぜならそれでは、潜在性/顕在性という思考図式が相変わらず温存されてしまうことになるのだから。アガンベン自身としては、全ての存在者がいったん潜在化した状態が実現されて、そこで実現された解放の境地を一度経験してしまえば、再び何かが顕在化したとしても、それが私たちの自由を損なうような実効性(リアリティや重み)をもつことなどもはやなく、やがて、何かが顕在化しようが潜在的なままに留まろうがどうでもよくなり、そのようにして、どうでもよい、どっちでもよいという自由自在の境地がやがて実現されるはずだと考えたのだろう。こうした境地が実現されて初めて、あらゆるものが潜在的な状態なままにとどまり続けることによって生じる、地上世界特有の豊かさを十全に経験できるようになるわけだ。そこでは、ニュアンスに満ちた兆しやほのめかし――つまり豊かな表情――が全世界を覆うようになるのだろう。

しかし、地上世界は果たしてそのように豊かなものだったのだろうか。すでに指摘したように、中心や亜周辺とは区別された周辺地域では、歴史の過ちから生じた瓦礫や残骸がうずたかく積まれ、ときには放射能を帯びた汚染物質や有害な廃棄物が四方に転がっているのだった。こうした環境の下で生き続けなければならない者たちは、果たして世界の豊かさなど経験できるのだろうか。というより、そこでも世界というものは相変わらず豊かなままであり続けられるのだろうか。決してそうではないだろう。瓦礫の山と汚染物質に囲まれた環境の下で生きなければならなかった者たちにとっては、地上世界は、もはやいかなる潜在的な可能性も枯渇してしまった、人間にとって基本的によそよそしいというか、禍々しいものとしてしか立ち現われないはずだ。もしそうであるならば、瓦礫の山や廃棄物と何とか共生していかなければならない、周辺地域を生きる者たちこそ、真っ先に潜在性/顕在性、可能性/現実性という図式を払拭していく必要があったと言えるだろう。そしてこの必要性は当然、これ以上瓦礫の山を積み重ねたり汚染物質を蔓延させないようにするための、歴史の反復強迫の運動を解消する努力とセットにならなければ意味はないのだったのだが。

超自我死の欲動との同一視についての再論

潜在性/顕在性という思考図式の払拭と、反復強迫の解消とのこのセットのあり方を考えるための手がかりは、実は、人間に自由をもたらすとされた超自我と、ひたすら無機的な状態に戻ろうとする死の欲動との、柄谷が行ったあの謎の同一視に存在していたのではないだろうか。すでに述べたように、なぜ柄谷が超自我死の欲動を同一視したのか、言い換えれば、交換様式Dの到来においてなぜその二つが一つのものになるとしたのか、今一つその理由がよくわからないのだった。そこで、まず次のような理由を推測してみたのである。交換様式Dは、交換そのものを否定せよという倫理的要請として到来する。そのために柄谷は、この点に着目して、生の活動そのものを否定して無機物に戻ろうとする死の欲動と、倫理的要請をする超自我とを取りあえず重ね合わせたのだろうと。こう推測したうえで、さらに自分は、次のような解釈を与えてみた。むしろ、亜周辺から区別された周辺地域に到来する交換様式Dの方こそ、そこでは瓦礫の山や蔓延する汚染物質とのギリギリの共存が常に求められていたから、生の活動そのものを抑制せよという、より死の欲動の側面が前面に出たかたちで倫理的要請が到来することになったのではないかと。

そして今や、超自我死の欲動との重ね合わせを正当化する、もう一つの理由を挙げられるようになった。すでに論じたように、革命的メシアニズムというものは、歴史的惨禍の反復強迫的回帰を乗り越えようと努めるものだったのだが、その当の反復強迫は、通常は死の欲動の惹起を通して生起するものである。また、人びとに自由と平等を実現するよう促す超自我の命令も、実際にその命令を発動する際には、死の欲動の力を借りざるを得なかった。そこで行使される強い禁止の力は、もっぱら死の欲動に由来するものだったのだ。ところがこの死の欲動の惹起が、反復強迫の生起と結びついた状態のままにあると、超自我死の欲動に頼り続けていくうちに、その超自我の発動がやがて反復強迫の運動の中に飲み込まれていくことになる。そのため、超自我による命令の発令と反復強迫の生起との間の区別がやがてつかなくなってしまう。しまいには超自我自体が大きく変質して(いわゆる超自我の猥雑化)、反復強迫の運動は、もっぱら超自我の発動を契機として生起するようになるのだ。

これは一種の倒錯状態だと言えるだろう。この状態から逃れるためには、死の欲動の惹起と反復強迫の運動の生起との間の結託、両者の一体化を何らかの仕方で改めて解きほぐしていく必要がある。その解きほぐしの作業が進んでいけば、超自我を発令する際にたとえ死の欲動に依拠したとしても、特に問題は生じなくなり、またそうなって初めて、超自我死の欲動とは心置きなく一体化できるようになるだろう。あるいは両者が元来一体のものだったならば、そのとき初めて、当の一体性が前面に出ることが可能になるのではないだろうか。

すでに触れてきた、反復強迫を解消させるための様々な努力は、以上のような両者の一体化をより強固で完全なものにしていくためのものだったと思われる。というより倫理的要請として到来した交換様式Dは、超自我による命令と死の欲動の惹起とが一つのものになるように人間の側は努力せよと、まさに私たちに要請していたのではないだろうか。つまり、超自我の発令と死の欲動との同一性とは、人間の側がその実現のために努力しなければならない、それこそカント的な統制的理念だったのだろう。

柄谷による、超自我死の欲動との謎の同一視は、多分以上のような事態を示唆していたのだと思われる。また、さらに踏み込んで言えば、超自我の命令が反復強迫の生起から距離を取って、死の欲動との一体化の度合いを徐々に高めていくと、それは、「何々せよ」と特定の行為をするよう求めてくる、カント的な倫理的な要請とは異なるものになるはずだ。たとえば、自らで何かを実現しようとする企てからの離脱を求めた、マイスター・エックハルトの言う「放下」や、あるいは、何かを実現しようとする企て自体の断念を求めた、A・ショウペンハウアーの言う「意志の滅却」により近づいていくだろう。

ただし、エックハルトの放下にせよショウペンハウアーの意志の滅却にせよ、いずれも人間と絶対者との間の相関関係が想定されていたり、あるいは、人間の精神と絶対者の精神との間の高い次元での同一性が前提にされていたままなのだった。この点には注意が必要である。これでは放下や意志の滅却という営みは、もっぱら、何らかの潜在的な可能性を顕在化させて実現させようとしている絶対者(神や生命、あるいは絶対無など)の運動に全身で身を委ね、それに全面的に従うということにしかならないだろう。残念ながらそうなると、反復強迫の運動を生起させる動因となっていた、例の可能性/現実性、潜在性/顕在性という図式は温存されたままになる。そのため、反復強迫の運動が立ち上がるのを充分に抑え込むことができなくなって、絶対者の運動により完全に従おうとしては、ただ失敗や挫折を繰り返すだけになるはずだ。あるいは、自分が絶対者の運動により完全に従うことを通して、絶対者自身が求めていた何らかの可能性を、実際に歴史の中で実現させようと企てては、逆にその実現の破局的な失敗を呼び寄せてしまうことを繰り返し、新たな惨禍を歴史の中にもたらしていくだけになるだろう。こうした轍を繰り返さないようにするためには、やはり同時に、可能性/現実性、潜在性/顕在性という図式を克服する努力をしていく必要があると思われる。つまり、何らかの可能性を実現しよう運動している絶対者や実在を想定したり、そうした存在を信頼したりせずに、意志から離脱したり、意志を滅却していく仕方を模索していかなければならないのだ。さらに、これらのことを実現するためにも、前の節で強調したような、生命の運動と精神の努力とを明確に区別する努力にも力を入れていく必要があるだろう *6

Ⅻ 批判点についてのまとめ

『力と交換様式』で展開された議論に対するないものねだり的な批判が思わず長くなり過ぎてしまった。しかし、自由と平等を実現するよう人々を駆り立てる交換様式Dの到来を、すでに存在していたものの高次元での回復求める運動と混同してしまった代償は、想像以上に大きかったようだ。一度も実現しなかったことの実現を求める要請が回帰することと、かつて存在したもののより完全なかたちでの回復を求める要請が回帰することとは、本来まったく別の運動だったというのに。

こうした混同によって、まず、アルカイックなものが色濃く残っていた「亜周辺」という地域が特権化されることになり、さらにそこでこそ、通常の歴史の発展段階を「飛び越える」かたちで、未開性から一息で先進性が実現されるという「近代の超克」の論理が歴史上成功を収めると見なされた。しかしこうした柄谷の見立てでは、資本と国家に抗う対抗運動を立ち上げたり鼓舞することになる交換様式Dの到来は、もっぱら亜周辺地域でしか起こらないことになる。国家の暴力に一番蹂躙されてきた「周辺」地域では、高次元での回復を求めるアルカイックなものはすでに存在していなかったのだから、たとえそこで歴史の発展段階を飛び超えて一息に先端性を実現させることが試みられたとしても、典型的にはロシア革命のように、必ず失敗してしまうことになるからだ。そのため、そこには結局交換様式Dが到来することも、また資本と国家に抗う対抗運動が立ち上がることもないとされてしまう。

しかしグローバル化を経た現在では、巨大な帝国的な権力が君臨する中心地域から相対的に独立したままでいられる、亜周辺地域などもはや存在しないだろう。中心以外のあらゆる地域が、帝国的な統治を何らかのかたちで再現し始めた複数の勢力圏同士が、そのうえで勢力争いを繰り広げている、不安定な周辺地域とすでに化していたからだ。そこで自分は、グローバル化を経た後のこうした情勢を踏まえるならば、むしろ柄谷の想定に反して、周辺地域にこそ交換様式Dは到来するはずであり、またそれゆえ、そこでの到来の仕方をこそ検討していくべきだと反論したのだった。

さらに柄谷は、せっかく人間同士の交換関係とは人間と他の存在者たちとの交通関係の一例に過ぎなかったのだと認識して、しかも交換様式Dは、交換そのものの否定として到来するとまで踏み込んだにもかかわらず、『力と交換様式』ではこうした洞察をまったく生かしていなかった。そこで自分は、むしろ交換様式Dは周辺地域にこそ到来すると想定することによって、改めて柄谷の洞察を生かしてみようと試みたわけである。もし交換様式Dが周辺地域に到来したならば、それはまさに、人間同士の交換関係よりも、地球環境などの人間以外の他の存在者との交通関係の方を優先させるようにと、しかもその関係を新たな仕方で実現するようにと要請するだろう。またこうした周辺地域では、アルカイックなものの回復など当然期待されないから(この点は確かに柄谷の言う通りだと思う)、交換様式Dの要請の内容だけではなく、その到来の仕方をも改めて検討しなければならなくなる。その検討の結果明らかになったのは、おおよそ次のような点である。

周辺地域では、国家と資本による蹂躙によって、目を覆いたくなるような破局や惨禍が強迫反復的に繰り返され、その破局や惨禍の跡である残骸や瓦礫の山が積み重ねられてきた。しかも有害な廃棄物や、放射能を帯びた汚染物質も、もはや除去不能なかたちで蔓延しつつある。こうした状態にある周辺地域に到来した交換様式Dは、当然次のようにも求めてくるだろう。残骸や瓦礫の山をさらに積み重ね、廃棄物や汚染物質をよりまき散らすことしかしない、破局や惨禍を新たにもたらすことはもうやめるようにと。また、そうした破局や惨禍を繰り返すだけの歴史の強迫反復の運動から、人間たちはもういい加減卒業すべきであるとも。交換様式Dからのこうした要請を正面から受けとめるためには、私たちは、残骸や瓦礫を下手に片づけて過去の破局や惨禍を忘却したり、あるいは、除去不可能な破棄物や汚染物質を無理に隠したりして、従来と同じ生活を続けるのをもはや断念する必要がある。その代わりに、残骸や瓦礫の山を前にして歴史の追想の作業に徹したり、さらには、共存が難しい、廃棄物や汚染物質との新たな共存の仕方を模索しなければならないのだ。

周辺地域特有の以上のような事情を確認していくうちに、さらに重大な事実に遭遇することになった。実は、柄谷が交換様式Dの到来の特有の仕方として重視していた、唐突性や執拗性というものは、歴史の反復強迫の運動の生起の仕方と共通のものでしかなかったのだ。そのために彼は、この共通性に騙されてしまい、自由と平等を歴史の中で実現せよと要請する交換様式Dの到来と、逆にそうした試みを歴史の中で常に打ち砕いてきた、反復強迫の生起とをどうやら混同する羽目に陥ってしまったようだ。本来交換様式Dは、まさに歴史上の反復強迫をもう克服せよという要請として到来するものであったにもかかわらず。この混同の結果、交換様式Dの到来に関しては人間の側は何も関与することができないと、その受動性、無力性を一方的に強調することしかできなくなってしまったのだろう。

そうした強調は明らかに不適切なものだったと思われる。そこで交換様式Dの到来と、反復強迫の生起との混同を回避する仕方を解明するための手がかりを求めて、改めて、柄谷が超自我死の欲動とを同一視したことの意味を検討してみた。そもそも超自我死の欲動との同一視が意味を持つようになるのは、まさに死の欲動反復強迫の運動との間のつながりを絶とうとするときだったのではないだろうか。このつながりを絶とうとするためにこそ、倫理的要請を行う超自我は、死の欲動を自らの側に引き寄せようとしたのではないか。つまり反復強迫の運動を停止させるために、従来はその運動を生起させる役割を引き受けさせられていた死の欲動を、改めて自分の側に引き寄せ、それが持っていた強い否定の力を、反対に反復強迫の運動の方に差し向けようとしていたのだと思われる。

同一視の再検討によって以上のような機序が明らかになったわけだが、この機序を正しく理解して、倫理的要請が死の欲動として発動する、交換様式Dの到来の内実と、単なる反復強迫の運動の生起とを混同しないようにするためには、さらに、次のような思考態度も必要になるのだった。その態度とは、「潜在性/顕在性、現実性/可能性」という、私たちが知らずうちに従いがちな思考の枠組からあくまで距離を取ろうとすることである。この態度が必要になる理由については今回は詳しく述べることはできなかったが、簡単に言えば、この思考枠組に従って、何らかの豊かな可能性の潜在を想定し、その可能性が顕在化して現実化するのを期待し続けている限り、歴史の反復強迫の運動からどうしても逃れることができなくなるのだ。いずれにせよ、それが一番の理由である。柄谷自身が従っていた、かつて存在していたものの回復を求める発想や、あるいは、物事の始まりを反復することによって事態を打開しようとする発想も、明らかにこうした期待に基づいているままだった(ついでに言えば、M・フィッシャーの亡霊論、憑在論も明らかにそうである)。物事の始まりの反復によって事態を打開するとは、いったん現実化に失敗して可能性のままにとどまっていたものを、その現実化のプロセスを初めからやり直して、それをさらに先にまで進めようとすることである。こうしたことが試みられるのは、当然、押しとどめられていた可能性を現実化しさえすれば、それだけで事態はより改善されると想定されていたからだろう。

いずれにせよ柄谷は、交換様式Dの到来の仕方について論じる際に、せっかくブロッホベンヤミン的な革命的メシアニズムに言及したにもかかわらず、以上で確認したように、単なる反復強迫の運動の生起と、当のその運動の解消を求める倫理的要請の到来とを区別できる視点を持ち合わせていなかったために、その存在意義を充分に汲み取ることができなかったのだと言える。メシアの到来への対応である革命的メシアニズムにせよ、もしくは神からの恩寵への対応であるテオーシスにせよ、これらは皆、まさに歴史の反復強迫の運動を停止させるために人間の側に課せられた努力の仕方だったはずであるというのに。

以上のような柄谷の轍を踏まないようにするためには、反復強迫の運動の生起の仕方でしかなかった、単なる唐突性や執拗性というものと、メシアや恩寵が到来する際の特有の仕方とを明確に区別していく必要がある。メシアは常に誰にも気づかれないまま到来し、それに対する人間の側の適切な対応の仕方は原則として存在していないのだった。また今回は論じることができなかったが、(テオーシスの前提となる)恩寵の到来とは、世界内に存在する目の前の何気ない現実が、突然、世界の外部に存在する者からの一方的な贈与に変容してしまうことである。こうした現象を、ただの反復強迫の生起から正確に識別するためには、すでに指摘したように、「潜在性/顕在性、現実性/可能性」という思考の枠組から距離を取る必要もあったのだから、それを間違いなく行なうのは実際には中々難しいのだった。革命的メシアニズムせよテオーシスにせよ、さらにはより死の欲動に基づいた否定の力が前面に出ていた、意志からの離脱(エックハルト)や意志自体の滅却(ショウペンハウアー)の試みにせよ、現実の世界の中では(特定の宗教的伝統が独占していたりするために)まだこの思考の枠組と強く結びついたままだったのだから。従って、反復強迫の運動を骨抜きにしながら何とか止めようとしてきたこれらの実践と、何らかの潜在的な可能性を想定して、その現実化を強く期待してしまう思考の枠組との間の結託を解きほぐしていくのは、今後の重要な課題になるだろう。

XIII 到来と感染

〇到来という現出様式の特殊性

さて次は、ないものねだり的な批判ではなく、別の解釈の可能性を少し探ってみたい。柄谷によれば交換様式Dとは、とにかく「到来」という仕方で現出するものなのだった。今までは、同じ到来と言っても、実際にはその種類は色々とあったはずだから、本来はそれらの種類をはっきりと区別すべきだったと批判してきたのだが、そこでは特に到来という現出の仕方自体は問題とはされていなかった。しかし少し考えてみれば、到来というのは、極めて特殊な物事の現出の仕方でしかなかったのではないだろうか。

自由と平等を世界の中で実現せよ、社会全体を自由と平等が実現されたものへと変革せよ。――世界のあり方や社会の全体に関わる普遍性を持ったこうした要求が、突然人々のもとにとどき、しかもその要求の実現は、私たち一人ひとりの対応如何にかかることになる。突然到来した倫理的要請に対して、その到来したという事実自体をまず認めるのか否か、さらに、その要請を果たして受け入れるのか否かという決断が迫られるわけだ。倫理的要請がこうした到来という現出様式を取る場合には、世界や社会全体のあり方を変えよという、有無を言わさず普遍性を持った要求が一方的に私たちに突きつけられることになり、それに対して私たちの側は、その要求の実現の成否がひとえにこちらの態度如何にかかるようになる、特権的な例外者として対峙せざるを得なくなる。

普遍性を持った要求の到来と、それと対峙する、当の要求の実現の成否が自らの決定次第になってしまう特権的な例外者。――こうした構図は、あまりにも男性的ではないだろうか。柄谷が想定していた、高次元での回復を求める交換様式Dの運動が帯びるようになる、唐突性や執拗性という特徴は、実はこうした構図を前提としていたと言えるだろう。というより、この構図があらかじめ存在していなければ、何かを回復しようとする運動が、唐突性や執拗性という特徴を帯びることなどなかったのではないか。また、何かの回復を単に求める運動からは一応区別されていた、メシアの到来運動もまた、実は同様の特徴を持っていたと言える。メシアが到来した事実は事前には誰にも気づかれないために、後からそのことに気づいた際には常に手遅れになるのだった。そのため私たちには、この事実に誤魔化すことなく直面し、またどこまでもそれに耐えていくしかない。それゆえここでもまた、厳しい現実に直面してはそれに自分ただ一人で対処するしかない、雄々しくて男性的な主体が要請されていたと言えるだろう。つまりメシアの到来においても、向こうから一方的に到来する、受けとめることが難しい何らかの要求に対して、その受けとめることの難しさをどこまでも引き受けていかなければならない主体とが対峙するという、同様の構図が前提とされていたのだった。

一方恩寵という到来様式の方は、目の前の現実に新たな出来事が特につけ加えられるようなものではなかった。既存の現実が、世界の外部からの贈与であったと新たに捉え直されることによって、それがそのまま別のものに変容することを意味しているからだ。そのため、以上のような男性的な構図が恩寵にもそのまま当てはまるかどうかは微妙である。大きく変容した目の前の現実や自分自身の存在に気づいたならば、あとはそれらを改めて受け入れていくしかないのだが、その受け入れの作業は常に個別性を帯びていて、決して(世界や社会のあり方に直接関わるという意味で)普遍性を目指したりはしないからだ。多分こうした恩寵への対応の仕方は、すぐ次で論じる、「感染」という現出様式への非男性的な対応の仕方とかなり重なっていくと思われるのだが、しかし今は、この点について検討することは控えたい。

さて話をもとに戻すと、柄谷が交換様式Dの現われ方であると見なした、到来という現出様式は、やはり実際には極めて特殊なものでしかなかったと思われる。交換様式Dは、到来という仕方以外でもいくらでも現出するものなのだろう。というのはすでに上で確認したように、到来という現出様式は、普遍的全体とその外部に位置する特権的な例外者という、極めて男性的な図式を前提としたものでしかなかったからだ。そこでは当然、普遍性を持った要求の実現を一手に引き受けることができるような、強くて男性的な主体がもっぱら想定されていたのだった。それ以外のあり方をする主体の可能性は最初から排除されていたと言える。

ところで注意しなければならないのは、男性的主体特有の強さとは、もっぱら世界に能動的に働きかけて、積極的に作り変えていくことだけを意味していたわけではないという点である。柄谷は、交換様式Dの到来は、人間の願望や意志でどうにかできるような事柄ではないとしきりに繰り返し、その到来を前にしたときの人間の無力さの方をむしろ強調していた。だが騙されてはならない。というのはその無力さの正体とは、実は能動的に働きかけることの単なる反転像でしかなかったからだ。受動性や無力性が男性的能動性の反転像でしかない場合には、その受動性や能動性に徹していけば、必ず単純な男性的能動性と同じ効果が得られると想定されることになる。押してだめだったならば、逆転の発想をして、引いてみさえすればよいのだろうと。そして、まさに多くの者がそのように考えたからこそ、交換様式Dの到来を前にした際の人間の側のなすすべのなさの強調は、もっぱら革命の到来を待つことに徹する姿勢や、あるいは、こちら側から下手に働きかけるのを控えることに徹する態度を正当化するものとして受け取られてしまったのではないだろうか。人間の側にはなすすべがなく、無力なままだというのなら、中途半端に働きかけたりせずに、逆にそのなすすべのなさ、無力さに徹してしまいさえすればよいのだと。しかし、何か一つの姿勢や態度に徹してそれを突きつめさえすればよい、そうした方が結局は物事はうまくいくという発想ほど、男性的で独りよがりなものはなかっただろう。この種の独善的な発想もまた、あの、潜在していた何か素晴らしい可能性を現実化しさえすれば物事はうまくいくという発想と同じように、世界に数々の災厄をもたらしてきたのではないだろうか。そうであるならば、「到来」という仕方以外の交換様式Dの現出様式にもなおさら着目する必要が出てくるだろう。

〇「感染」という別の現出様式

稲垣諭は、その著書『絶滅へようこそ』(晶文社、2022年)で、一般に「西洋的なもの」と呼びならされることが多かった、自由や平等、さらには人権や民主主義などの一連の法的・倫理的観念は、決して西洋という特定の地域にしか通用しなかったり、あるいは、他の地域に対する西洋の支配を正当化するようなものではなかったと指摘していた。そうではなくそれらの観念は、書物や研究や討論などを通じて、西洋による植民地支配に抵抗していた者たちの間にまで、狭い西洋の範囲を越えて世界中に広がっていったのだから、実際にはまるで「実体もなければ、場所も問わずに伝染するミーム」のようなものだったという *7。稲垣のこの見方を参考にするならば、「到来」という仕方以外の交換様式Dの現われ方として考えられるのは、まさに伝染や感染というものだったのではないか。つまり、到来という現われ方が極めて男性的なものだったならば、その非男性的・女性的な現われ方は、「感染」というものになるのだと思われる *8

感染という特有の立ち現われ方の特徴は、人間はそれに対してその都度個別的な対応しかできないという点に存在する。一般に私たちが何かによる感染に気づくのは、自分の身近な周囲が、さらには自分自身の身体や自我の状態そのものが、感染によってすでに変化していたという事実に気づくときである。身近な周囲や自分の身体や自我がすでに変化していたならば、それに対して新たな対応をする必要が当然出てくるわけだが、その対応は、常に人それぞれに異なる個別的なものにならざるを得ない。身近で自分自身に直接関わるものが変化したのだから、当然、各人の個別的な対応が求められることになるわけだ。

そしてここで重要なのは、こうした個別対応は、感染の影響から免れられないという意味で、感染の進行という全体状況の内部にあくまで位置するものでしかないという事実である。感染を基本的によいことと見なして、それを積極的に受け入れたりさらに拡大させていこうとするにせよ、あるいは逆に、感染を避けるべきことと見なして、あくまで自分が感染するのを回避しようとしたり、これ以上の拡大を断固として阻止しようとするにせよ、その点は基本的に変わらないのだった。つまり、感染の進行という普遍的な事態の外部に私たちは決して出ることはできず、いつまでもその内部にとどまり続けるしかない。しかし他方で、感染の受けとめ方は各人各様にならざるを得ないから、その仕方は必然的に多様になり、その具体的なあり方の決定は、あくまで一人ひとりの自由に委ねられることになる*9。つまり感染が生じているところでは、感染という普遍的な事態の外部は存在しないのだが、一方その内部では、当の事態への対応の仕方は無限に多様になり、唯一の正解など存在しなくなるのだった。こうした〈外部の不在/内部での無限の多様性〉というあり方は、〈普遍性を帯びた閉じた全体/その外部に位置する特権的例外者〉という、男性的論理特有のあり方とは対照的なものである。それゆえ、上述のようなあり方をする感染とは、男性的論理を体現していた到来とは明確に区別される、女性的な(非男性的な)現出様式だったと言えるだろう。

なお、普遍的な要求の実現の成否が、その要求の外部に位置する特権的な例外者の態度如何で決まるという、到来という現出様式で見られた男性的論理の特有のあり方は、それが著しく歪められると次のように誤解されてしまう。特権的な例外者自体が実は普遍的な要求を所有していて、その実現は、当の例外者の意志(欲求)次第で決定されるようになるのだと(例外者の主権者化、主意主義の成立)。それと同じように、感染において見られた女性的論理の場合でも、それが著しく歪められると、女性的論理特有のものだった質的な個別性は、単なる量的な多数性へとすり替えられてしまう。そもそも女性的論理では外部というものは存在しなかったのであり、それゆえ、閉じた全体を構成する普遍的傾向(たとえば、人権重視の傾向やハラスメントを許さない傾向など)自体にあらがうことは本来無意味なのだった。そのため、あらがえないその傾向に対する各自の個別対応が求められることになるのだが(普遍的傾向を積極的に受け入れる立場に立とうが、それからあくまで距離を置く立場に立とうが関わりなく)、そうした対応がうまくできないままにとどまると、その無力さから目を逸らすために、もっぱら量の多寡を競うようになる。つまり、自分が選んだ立場が、対立する立場よりも多数派になるよう努力することしかできなくなるのだ。残念ながらこれでは、個別対応というものは、もっぱら普遍的傾向をさらに促進させるか、あるいは抑制させるかのどちらかの役割しか果たさないものへと矮小化されてしまう。個々人が単に多数派を形成するための駒の一つとして動員されるだけになるから、その個別性が事実上否定されてしまったに等しい。しかし実際には、普遍的傾向をさらに促進させる立場に立つにせよ、あるいはそうではない立場に立つにせよ、どちらかの立場を多数派にするための努力自体にはあまり意味はないのだった。自らが選択したどちらかの立場に従いながら、普遍的傾向に対する、自分なりの個別的な対応をしていくことの方があくまで重要だったのだから。

もちろん、個別的な対応をするためには何らかの集団性に支えられなければならないのだが、その集団性を維持するのは、決してすでに形成された多数派や、あるいはこれから多数派を形成しようと目論む運動ではない。そうではなく、各人が個別的な対応をできるようにするために、互いにヒントや手がかりを出し合い、実際に協力し合いながら各人の個別的対応を推し進めていくような場や関係性のことである。もちろんそれらのものは、社会運動とは無関係なところで成立することはないのだが、しかし当のその社会運動がもっぱら多数派の形成を追求するようになると、すぐに消失してしまうから厄介なのだった。相互に協力しながら互いの個別性を支えるという「連帯」の論理が、いつの間にか、多数派の形成のために個々人に働きかけていくという「動員」の論理にすり替えられてしまうからだ。社会的連帯はけっして単なる動員ではなかったというのに*10

〇「変容」ではなく「変質」

さて、Ⅷ章で確認したように、交換様式Dは、(特に周辺地域では)人間同士の間での交換関係それ自体を否定するものとして現われ、人間と人間との間の関係である交換よりも、人間と他の存在者との関係である交通の方を優先せよと求めてくるのだった(もちろんこれは、あくまで自分の一方的な解釈でしかなかったのだが)。もしそうであるならば、それ特有の現出様式は、突然の到来よりも、むしろ上で論じたような、徐々に蔓延していく感染の方がふさわしかったと思われる。というのは人間以外の存在者との関係は、それを受け入れたり受け入れなかったり選択できるようなものではなく、また、その関係が存在していたことに気づいてから、あとから慌てて新たな関係を結び直すことができるようなものでもなかったからだ。そうではなく、今まで当たり前のものとしてなじんできた、当の自分自身の身体や自我意識そのものの中心部に人間以外の存在者との関係が穿たれていたり、あるいはそれどころか、この関係に支えられて初めて自らの身体や自我が成立していたという事実を、人間の側が否応なく突きつけられるようなものである。それでは、こうした事実を新たに突きつけられると、私たちはいったいどうなるのだろうか。多分、今までなじんできた身体や自我は途端によそよそしくて見知らぬものに変わってしまうだろう。しかも、交換様式Dの要請に従いながら人間以外の他の存在者との関係を重視して、それを意識的・意図的に増やし始めると、周囲の身近な世界や自分自身の存在も、ますますよそよそしくてなじみのないものと化していくはずだ。とはいえこうした変化は、目に見える形態そのものが大胆に別のものへと変わっていくような、雄々しくてダイナミックな「変容」(メタモルフォーゼ)や「生成変化」ではなく、むしろ、身近な世界や存在の成分や組成、そして質感がいつの間にか別のものへとすり替わっていく、(たとえば、自分の身体の中に放射能を帯びた有害な成分が増えていくというような)「変質」として捉えた方がよいものだと思われる。

目の前のなじんだ世界や自分自身の存在がよそよそしいものに変化していくこの変質の過程に対しては、いったんよそよそしくなった状態を再びなじんだ状態に戻していく、あるいは、よそよそしくなってしまった状態に、何とかこちらからなじもうとする必要が出てくる。こうした努力を繰り返すと、身近な世界や自己の存在の変質の度合は徐々に大きくなっていくのだろう。なおこの変質の過程には、よそよそくなってしまった世界や自分自身の存在と人間の精神との間を何とか媒介、仲立ちしていく、高度なテクノロジーの存在が不可欠なものとして伴うことになると思われる。そうしたテクノロジーを援用しながら意識的に進められていく、世界と自己の緩やかな変質過程こそが、感染という出来事に対する唯一の適切な対応になるのだろう。

ところで、ここで想定されているテクノロジーの役割は、加速主義が想定したものとは大きく異なることになるから、その点は注意したい。加速主義とは、人間がテクノロジーを用いて世界や自分自身の存在を意図的・意識的に操作、改造する過程を加速させることによって、逆にその過程が、人間の意志によっては制御できない、テクノロジーそれ自体の自己増殖の運動へと反転していくのを期待してやまない立場のことである。そうした反転が生じれば、ほぼ自動的に人間は人間以外のもの(非人間的なもの)へと生成変化していくことになるからだ。つまり加速主義では、テクノロジーというものは、人間を人間以外のものへと生成変化させていくための過大な役割を負わせられていることになるのだが、世界と自己の緩やかな変質過程の中では、テクノロジーがそこまでの役割を果たすことはまずない。よそよそしくなってしまった身近な世界や自分の存在を、再び親しめるものにしていく際に、その親しさの内実(質感など)や親しみ方自体を、従来のものとは少しだけ異なるものへと変化させていく役割を果たすだけだったからだ。そうした小さな変化は、実際にはすぐには気づかれないことも多いだろう。いずれにせよそこでは、人間は人間以外のものにいっきに生成変化するわけではない。そうではなく、身近な世界やなじんだ自分自身の身体や意識そのものが、徐々に異なるものへと変質していくようになる。

XⅣ 補遺

最後に、重要だったにもかかわらず、こちらの能力不足、知識不足のために取り扱えなかった問題を三点だけ簡単に指摘しておきたい。

〇「世界宗教」「普遍宗教」という用語の問題

柄谷は宗教について論じる際、一貫して「世界宗教」、「普遍宗教」という用語を使用していたのだが、現在の宗教学では、基本的にこれらの用語が用いられることはない。「世界宗教」という言い方はたまにされることはあるかもしれないが、それも「世界の様々な宗教」というほどの意味で用いられるに過ぎず、「世界的な宗教」、「世界の三大、あるいは四大宗教」という意味で使用されることはまずない。「普遍宗教」という用語に到っては、むしろ積極的に避けられているとすら言える。

こうした経緯と理由については、増澤知子世界宗教の発明』(みすず書房、2015年)の内容を紹介した、みすず書房こちらの頁で簡潔に確認されていた。「世界宗教」という言い方をあまりしないのは、どこまでが非世界的で、どこからが世界的になるのかの線引きが恣意的で曖昧だったからである。また「普遍宗教」という言い方を避けようとするのは、それが「民族宗教」の対立概念になるからである。民族的/普遍的という対立が設定されたのは、キリスト教や仏教のような普遍宗教は、ユダヤ教徒ヒンズー教などの、先行する民族宗教の限界を「批判」し「超克」することによって成立したのだという、極めて近代主義的なシナリオに根拠を与えるためのものだった。しかしこのシナリオは明らかに事実に反していたため(ユダヤ教ヒンズー教はときにはナショナリズムと結びつくこともあるが、しかし両者とも、基本的に誰でも信者になることができる相応の普遍性をもっていた)、現在の宗教学者の間でこうした近代主義的な見方を維持している者など、もはや存在していないのが実情である。さらにこの「普遍宗教」という概念は、比較言語学の濫用というか誤用に基づいた、反セム主義(=反ユダヤ主義+反イスラム主義)とも明白に結びついていた。こうしたいわくありげな用語が使用されなくなるのは、あまりにも当然だと言えるだろう。

にもかかわらず柄谷は、「世界宗教」だけではなく「普遍宗教」という用語をも相変わらず使い続けていた。その理由は、まずは、これらの用語が普通に使われていた19世紀に書かれた、エンゲルスの原始キリスト教論で展開された議論を発展・継承させようとしていたという点に求められるだろう。また、従来は実質的にほぼ同じ対象を指示すると見なされていた、これら二つの用語の意味を明確に区別し、その区別を通して自らのオリジナルな観点を展開していったという点も、もう一つの理由として挙げられる。これらの理由はそれなりに納得できるものなのだが、しかし、「世界宗教」と「普遍宗教」という時代錯誤的な用語を使い続ける限り、現代の宗教学や宗教哲学と対話できる土俵に上がることが難しくなるという点だけは指摘しておきたい。

〇帝国と中国の問題

次は、まさに「世界宗教」と「普遍宗教」という二つの用語に意味を区別することから展開された、柄谷のオリジナルな観点に関わる問題である*11。『世界史の構造』と『力と交換様式』の間に出版された『帝国の構造』(青土社、2014年)では、交換様式Dは、交換様式Aが残存する亜周辺地域に特に到来するとは見なされてはおらず、むしろ交換様式Bが優勢な状態にあった、帝国の「中心」地域の方にこそ、「普遍宗教」というかたちを取ってそれは到来すると強調されていた。その一方で、交換様式Dの到来は、交換様式Aの高次元での回復であるとも同時に明確に指摘されていたのだった。それに対して『力と交換様式』では、交換様式Dが交換様式Aの高次元での回復であった以上、交換様式Aが残存する亜周辺地域にこそ、それは到来するはずだともっぱら強調されるようになった。またそのことと比較されるかたちで、交換様式Aがすでに失われてしまった、帝国の支配領域である中心や周辺地域で自由で平等な社会を実現しようとした、ロシア革命の失敗にも焦点が当てられていたのである。

ここには明らかに理論上の混乱が見られると思う。いったい交換様式Dは、亜周辺と中心のどちらに到来するものなのだろうか。もちろん『帝国の構造』では、交換様式Dが中心地域に到来する仕方であった普遍宗教というものの解明が試みられ、他方『力と交換様式』では、交換様式D が亜周辺地域に到来する仕方であった社会主義運動の解明が試みられたのだから、この二冊では、交換様式Dの異なる到来の仕方がそれぞれで解明されていただけだったのかもしれない。つまり交換様式Dは、本来、中心地域と亜周辺地域のどちらにも到来するものだったのであり、ただその到来の仕方が大きく異なるだけだったわけだ。しかし『帝国の構造』では、一方では交換様式Dとは交換様式Aの高次元での回復であると指摘されながらも、他方では、交換様式Bが優勢であった帝国的なものの、高次元での回復が必要であるとも述べられていた。普遍宗教と呼ばれるものは、現実の帝国の秩序の下で不完全ながら実現されていた、様々な民族や宗教の多元的な共存をより完全なものにすると見なされていたから、むしろそれは、帝国的なものが高次元で回帰した姿だと解釈すべきだったのだろう。こうして『帝国の構造』と『力と交換様式』の議論を改めて並べてみると、交換様式Dは果たして交換様式Aの高次元での回復であるのか、あるいは交換様式Bの高次元での回復であるのか、よくわからなくなってしまうのだ。たとえ、普遍宗教と社会主義運動という二種類の到来の仕方が現実に存在し、また中心と亜周辺という二種類の到来場所が実際にあったにせよ、それらの間の違いを決定するものや、あるいはそれらの間のあるべき関係とはどのようなものなのか、まったく不明なままなのである。

また『帝国の構造』では、普遍宗教の成立が帝国的なものの高次元での回復と関連づけられた際に、今まで同一視されてきた世界宗教と普遍宗教とが新たに区別されるようになる。そして、その区別の重要性がしきりに強調されるようになった。柄谷はこの区別に依拠しながら、次のような議論を展開する。交換様式Bが肥大化した世界帝国の専制体制を根底から批判してやまない「普遍宗教」は、逆にその帝国の世界性(広域性)を基盤にしなければ成立できない。つまり帝国を根底から批判する普遍宗教は、もっぱら当のその帝国によって可能になるのだった。さらにそのようにして成立した普遍宗教を、今度は帝国の側が、自らの秩序を正当化するためのイデオロギーとして取り込んでいき始める。帝国の側が新たに始めたこの努力に抗うことができないままにとどまると(通常はそうなるのだが)、普遍宗教だったものは、まったく逆の、帝国の専制体制を単に支えるだけの「世界宗教」へと堕落、変質してしまう。その結果、世界的に広がった同一の宗教の内部に、帝国の秩序を批判する普遍宗教の側面と、帝国の秩序を正当化する世界宗教の側面とが同時に存在することになり、その両者が絶えず拮抗し始めるのだ。そのため歴史上の世界宗教は、帝国の不正な秩序を根底から批判する、普遍宗教の側面が定期的に蘇るというダイナミズムを抱え込むことになり、たえず内部からの刷新、改革運動に直面せざるを得なくなるのだった。

世界宗教と普遍宗教を区別することによって得られた以上のような柄谷の見立ても、実はあまりにも近代主義的なものだったに過ぎず、各宗教固有の論理を無視していたと言わざるを得ないのだが、今はこの点には踏み込まない。さしあたり問題となるのは、帝国の秩序を根底から批判する普遍宗教は、当の帝国の専制体制が強化され、交換様式Bが肥大しない限り立ち上がってこないという点である。そのため、普遍宗教の意義や可能性を肯定的に評価する際に、その成立の基盤となった、専制的な帝国の存在をも同時に肯定的に評価せざるを得なくなるのだった。これは一種のアポリアなのだが、柄谷が『帝国の構造』で、現代の中国が帝国化(権威主義体制の強化)していく必要性を強く主張した際にも、実はこの同じアポリアに陥っていたと言えるだろう。

実はこのアポリアは、発達した資本主義の下でしか共産主義革命は起こらないと見なした、マルクス主義の教説がかつて遭遇したのと同じ種類のものだった。すでに資本主義が発達していた地域では、資本主義の発達が社会に新たにもたらした不正や悲惨さを告発し、もうこれ以上の不正や悲惨を生まないために共産主義革命を起こすべきだと、堂々と訴えていきさえすればよかった。ところがまだ十分に資本主義が発達していない地域では、資本主義の発達が新たにもたらすはずの不正や悲惨さを強調すると同時に、将来の共産主義革命を可能にするために、当の資本主義の発達をもさらに促進させていかなければならなくなる。そうなると実質的に、新たな不正や悲惨をもたらすことにこちらから手を貸すことになってしまうのだ。このアポリアを回避するためには、共産主義革命は、資本主義がまだ十分に発達していない地域でも可能だという立場に立つしかなかったのだが(第三世界革命を推進した多くの者がそうしたように)、残念ながらその選択はうまくいかず、かんばしい成果を挙げられなかったのだった。

現代中国の帝国化の必要性、必然性を『帝国の構造』で強調してやまなかった柄谷は、敢えてこのアポリアを引き受けようとしたのだろう。しかし、その代償は当然大きかった。中国国内の民主化運動の弾圧や、少数民族の権利の蹂躙の問題を軽視したり無視したりすることにしか、結局は行き着くことにしかならなかったのだから。また、同じく帝国の中心地で生じた革命であるロシア革命に対しては、なぜか一転して否定的な評価を下していた。実はこの評価の違いの根拠もよくわからなかった。『帝国の構造』では、中国革命が成功して定着したのは、毛沢東マルクス主義の原則を踏みにじってまでも、中国伝統の帝国的な王朝支配の様式を踏襲したからであり、また他方でロシア革命が失敗したのは、伝統的な帝国的な統治が放棄されたからだと見なされていた。スターリンは、一見ロシア帝国の伝統的な統治体制を復活させたように見えるのだが、実はそうではなかったのであり、彼が行なった統治は、帝国的なものではなく単なる帝国主義的なものに過ぎなかったのだ。だからこそロシア革命はうまくいかなかったのだという。ところが『力と交換様式』では、ロシア革命が失敗した原因は、国家権力の力(交換様式B)を借りて革命を起こそうと企てたこと自体に新たに求められるようになり、そもそもそうした企てをして革命が成就することなど原則的にあり得ない以上、それは最初から失敗を運命づけられていたのだと、冷淡に切り捨てられるようになる。どうやらここでは、『帝国の構造』での見方とは異なって、国家権力が肥大化して交換様式Bが優勢になった帝国的なものには、いかなる肯定的な側面も存在しないと見なされるようになったようだ。

しかしそうなると、二つの革命に対する評価の間で大きな齟齬が生じてしまう。中国革命は、交換様式Bが優勢な帝国的な統治を尊重したからこそ成功したのだが(『帝国の構造』)、それに対して、逆にロシア革命が失敗したのは、同じく交換様式Bが優勢な国家による統治にこそ依拠してしまったからである(『力と交換様式』)。いったい、交換様式Bが優勢な専制的な体制に依拠すれば革命は成功するのだろうか、それとも逆に失敗してしまうのだろうか。『帝国の構造』と『力と交換様式』で展開された二つの議論を並べると、この肝心の点がよくわからないままになるのだ。

〇NAM経験の問題

『世界史の構造』と『力と交換様式』を読み比べるとすぐに把握できるのは、前者では「資本と国家への対抗運動」を立ち上げていくことに期待がかけられていたのに対して、後者では一転して、そうした運動を人間の側の努力だけでは立ち上げることができず、ただ交換様式Dの到来を待ち続けるしかないと強調されていた点である。二つの著書の間でのこのスタンスの違いはあまりにも明らかだったのだが、そこには、柄谷が主導したNAM(New Associationist Movement)をめぐる経験を、彼自身がどのように咀嚼していったのかという問題が深く関与していたと思われる。そうした事情もあるため、自分としてはこの問題には敢えて立ち入ることはしなかった。自分とは異なってNAMの運動に関わった経験がある者なら、『世界史の構造』以降の柄谷の理論的展開のうちに、NAMでの経験を彼自身がどのように昇華していったのか、あるいは、そこでどのような面を相変わらず否認し続けているのか、色々と見通すことができるのかもしれない。従ってこの問題についての分析は、そうした人々に委ねたいと思う。

*1:なお、性急さと投げやりさという不適切な対応は、物事を初めからやり直すことや、そもそも物事を一から新たに始めることの不可能性に遭遇した際にも同じように生じるものである。この問題については、議論の展開が途中で中断されたままの こちら のエントリーを参照。またそれゆえ、始まりをめぐる不可能性に遭遇することと、メシアが到来することとは本来表裏一体の出来事であったと思われるのだが、この問題についての検討は他日を期したい。ところで、最近荒谷大輔が、フロイト死の欲動とは、物事を絶えず初めからやり直したり、新たに一から始めることを可能にする「ゼロ地点」へと立ち返ることへの欲動、快楽だったのではないかという説を提出していたのだが(『使える哲学』講談社、2021年、204‐205頁)、しかし、実際には事態はむしろ逆だろう。死の欲動が私たちに自由と平等をもたらすものとして機能するときとは、かえって物事を初めからやり直すことの不可能性に直面し、それを受容するときのことなのではないだろうか。つまり死の欲動とは、物事を初めからやり直す/新たに一から始めることの不可能性を受容して、その状態に自足することをこそ求める欲動だったのではないか。こちらの点についても詳しい検討は他日を期したい。

*2:この点についてはすでにこちらの一連のツイートで指摘していたのだが、ただしそこでは、革命的メシアニズム特有の機制と、反復強迫的な回帰特有のそれとをまだ明確に区別できていなかったため、議論が混乱したままだった。

*3:この二つの図式同士の関係については議論が煩瑣になるので、ここでは省略する。簡単に言えば、潜在化/顕在化という区別は純粋な運動に当てはまるものであり、その運動が一定の形態を取ると、今度は可能性/現実性という様相を特に帯びることになる。

*4:議論が煩瑣になるから、この問題についてはこれ以上掘り下げないが、さらに一点だけ指摘しておきたい。潜在的な可能性が現実化することへの期待から自由になることは、決して単なるシニシズム相対主義に立場を選ぶことではない。この点は誤解しないようにしたい。確かに素晴らしい可能性がいつか現実化することへの期待を保持し続ける限り、たとえ取り返しのつかない破局が生じたとしても、その取り返しのつかなさを充分に受けとめることができないままにとどまって、今度こそは可能性をうまく現実化できるはずだという錯覚に再び囚われていくことになる。そのため、また似たような破局を引き寄せてしまう。そして、人はこうした愚かな現実にもう倦み果てると、ただのシニシズム相対主義に陥っていく場合が多いのだが、しかしこれらの立場を選択することは、決して潜在的な可能性が現実化することへの期待から自由になることでも、あるいは、生じてしまった破局の取り返しのつかなさを充分に受け入れることでもなかった。この点も注意したい。シニシズム相対主義の立場に立つというのは、単にそれらの努力自体を放棄したり断念してしまったことのしるしに過ぎないからだ。
 それに対して、潜在的な可能性が現実化することへの期待から自由になるというのは、その種の期待にもはや頼ることをせずに、現実社会の中に自由と平等が実現するよう、再び行動できるようになることを意味している。また、破局の取り返しのつかなさを充分に受け入れるとは、破局によって喪失されてしまったものの回復を下手に求めたりせずに、むしろその喪失状態をこそ所与の不動の現実と見なしたうえで、あくまでその状態の中で改めて自由と平等の実現を追求していくことを意味していた。いずれにせよ、以上のようにふるまうことによって初めて、自由の追求が不平等の放置や強化につながったり、あるいは逆に、不平等の是正が特定の規範の強要によって自由を毀損することになるというような、自由と平等の追求に常につきまとっていたディレンマからも解放されていくことになるだろう。

*5:この分離の作業は、精神固有の運動を生命固有の運動に重ね合わせて、むしろ生命の運動の方から精神の運動のあり方を解明しようとしたアリストテレス主義的な発想に対する、(新)プラトン主義的な発想からの批判を新たな仕方で反復することを意味している。アリストテレス主義に対するプラトン主義からの批判は、歴史上異なる文脈で何度か繰り返されたのだが、それらの批判との関係や異同については、残念ながらここでは触れることはできない。

*6:ただしここで言われている生命と精神との間の区別を、単なる盲目的衝動と、それを意図的に遮断、操作しようとする意志との間の区別と混同してはならない。衝動と意志との間の区別や、両者の対立を設定することは、むしろ生命の反復強迫の運動を生起させるためのトラップでしかないからだ。衝動を意志によって何とか遮断、操作しようとすると必ず失敗してしまうのだが、反復強迫の運動は、常にその失敗を契機として立ち上がってくるものだったのだから。それゆえ、精神は生命ではないどころか、衝動を一方的にコントロールしようとする意志(自由意志)ですらなかったことになる。その種の意志とは、単に自らが精神であると錯覚するようになった生命のことでしかなかったのだろう。つまり、精神と生命との間には本性の差異は存在するが、衝動と意志(自由意志)との間には程度の差異しか存在していなかったことになる。

*7:稲垣諭『絶滅へようこそ』、200‐203頁。

*8:なお、ここでは暫定的に非男性的なものを女性的なものと等置したが、当然これは不適切で不十分な措置である。本来は、非男性的なもののうちに存在していた、女性的なものと、男女の二分法そのものを掘り崩していくクィア的なものとの間の異同を詳しく見ていかなければならないのだが、残念ながら今回はそのための時間を取ることができなかった。

*9:ここでは、あらがえないものから自由になることができる「自由意志」は存在しないが、あらがえないものへの対処の仕方は自由に決定することができる、「選択の自由」だけが存在していたことになる(ただし、そこでの選択肢は限られたものではなく、無数に存在しているから、その点は誤解しないようにしたい)。こうした自由の捉え方は、中世までのヨーロッパ哲学ではむしろ標準的なものだった。

*10:こうしたすり替えを生じさせる要因としては、さらにSNS上のコミュニケーションの特性も挙げることができるだろう。SNS上のコミュニケーションでは、単に内輪で盛り上がることと、外側に存在する敵に攻撃を加えていくこととの間の区別が失われて、両者がなし崩し的に一体化していきがちである。そのためしまいには、内輪で盛り上がることを通してしか敵を攻撃していくことができなくなってしまう。あるいは逆に、外側に存在する敵と見なされた勢力に攻撃を加えていくことを通してしか、内輪で盛り上がることができなくなる。これでは敵への攻撃は、ただのからかいや嫌がらせと区別がつかなくなり、また内輪での盛り上がりは、集団でいじめ行なうときの淫靡な高揚感と等しいものになっていくだろう。しかし、内輪で盛り上がって結束を固めることと、外側に存在する敵対勢力に対して、効果的なダメージを与えるために攻撃をしかけていくこととは、本来はまったく別の営みである。それゆえ、両者をあくまで区別していく必要があったのだ。こうした両者の区別を無効にしてしまう、SNS上のコミュニケーションの以上で見たような特性もまた、個別性を支え尊重するはずの連帯が、個別性を利用し軽視するだけの動員にすり替えられてしまう現象に深く関与していたと思われる。

*11:この節で述べる、帝国と中国の評価に関わる問題点は、自分が参加した読書会で大杉重男さんが特に強調していたものである。