外付脳内そっ閉じメモ

脳内に澱のように溜ったものの単なる置き場デス。そっ閉じ必至。

ひきこもりと抵抗Ⅲ:収縮への意志

前回の続き。初回はこちら

「何ものも意志しないことへの意志」

ドイツ観念論の哲学者F・W・シェリングには『諸世界時代』と呼ばれる草稿群が存在しているのだが、その記述は極めて混乱して錯綜していた。そのため様々な解釈の余地が生じてしまい、一部の者たち(たとえばジジェクなど)からは強く注目され、独自な解釈が色々と提出されるようになっている。自分もここでその記述を強引かつ恣意的に解釈していってみたい。シェリングによれば、生の「絶対的自由」とは「何ものも意志(欲動、意欲)しない」状態を享受することだったのだが、こうした状態の維持や実現を意志自体が明確に意志するようになると、たちまち深刻なジレンマに陥ってしまうことになる。『諸世界時代』の草稿群は、そのようにしてジレンマに陥ってしまった意志の、その後の様々な運命を辿ったものだと見なすことができるだろう。そもそも、意志が何ものも意志しない状態の実現自体を意志すると、どうしてジレンマに陥ることになるのだろうか。それは意志というものが、元来「何か」特定のものを意志(意欲)することしかできないものだったからである。ところが、何も意志しないままでいられる状態とは、特定の限定されたあり方ではなく、まさに何ものにも限定されない、文字通りの意味で無限定な(トアペイロンな)あり方のことなのだった。或る特定の限定された存在者やあり方を求め続けるしかない意志が、何ものにも限定されないこうしたあり方を意志することなど、到底不可能だろう。

意志すること自体の否定への意志=無への意志

この袋小路を前にして、意志には次の2つの選択肢が与えられる。まず1つは、意志することそれ自体を否定すること。それは、意志すること自体の否定を通して、端的な無の状態に還ろうと意志することである。つまり意志自体の否定への意志とは、無への意志のことだったと言える。意志しない状態への意志は、世間一般では、この意志すること自体を否定することへの意志、無への意志とすぐに混同されてしまいがちなのだが、しかしこの意志に従うとなると、何も意志しなくてもよい状態をもはや享受することができなくなるから、実際にはこちらの意志の方はすぐに却下されてしまう *1。この意志の対応からわかるのは、意志しなくてもよいという絶対的自由の状態とは、無になって存在しなくなることでも、特定の存在者として存在し続けることではなく、実はそうした無と存在の彼方、あるいは、存在しなかろうがしようがどっちでもよい/どうでもよいという境地であったという事実である。そこでもう1つの選択肢は、意志自身がなんとかこの境地を目指そうとするものになる。それが「収縮」への意志だ。

収縮と点

ここで言われる「収縮」とは、広がりも重みも時間的持続もない、純粋で抽象的な「点」の状態を目指し、それと一体化しようとする運動のことである。なぜわざわざ点の状態を目指すのかと言えば、それは「点」というものが、限定した存在者しか存在することができない「存在」の領域と、無限定なまま何らかの仕方で生が存続できる、存在と存在しないことと間の区別をすでに超えた境地の領域との間のちょうど接点というか、この二つの領域の間の「閾」、境界線だったからである。当然、「何ものも意志しなくてよい」状態は後者の領域に属している。限定された、何か特定の存在者しか本質的に目指すことができなかった意志というものが、それでも、何ものによっても限定されない、何も意志しなくてもよいその境地を目指そうとするならば、こうした、限定されたものしか存在しない領域と、限定というあり方からすでに解放された境地の領域との間のギリギリの接点、境界線上への到達を目標とするしかなかっただろう。この接点、境界線に相当するのが点だったのであり、またそれを目指す運動が収縮だったのだ。

けれども、この収縮の運動自体もすぐに新たな袋小路に陥ってしまう。限定的なものの領域と無限定なものの領域との間の接点、その境界線上にある純粋に抽象的な点に対しては、収縮する運動は実際にはごく瞬間的にしか触れることができなかった。そのため収縮運動は、その点に触れた状態を何とか持続させるために、収縮するという自らの動きを絶えず「反復」させるしかなくなるのだが、これが大きな罠となる。というのは、反復という運動自体は、というか反復というあり方自体は、もっぱら限定されたものの領域に属するものでしかなかったために、それに依拠すると、限定された領域から脱しようとして、かえって当のその領域に閉じ込められてしまうからだ。収縮する運動は、無限定なものの領域との接点である抽象的な点には瞬間的には触れることができ、従って、限定されたものの領域から一瞬だけ距離を取ることはできた。しかしそれでは不十分だと感じて絶えず触れ続けようとすると、この収縮運動を反復せざるを得なくなり、今度は逆にその反復という運動に囚われてしまうことになる。この反復というあり方が曲者だったのだ。なぜならそれは、限定された同じ特定の形態をいつまでも取り続けるよう強制される状態に等しいから、限定されたものの領域の中でも特に限定の度合が高い、殆ど動きがとれない極めて不自由なあり方でしかなかったからだ。限定の度合や不自由さの度合のいわば極限であるとすら言ってよいだろう。限定された領域からの解放を求めて、いわばそこからの小さな出口として指し示されていた、抽象的で純粋な点に触れようとしたら、その途端に、かえってそれに一瞬だけ触れる運動を機械的に反復するよう強制されてしまい、反復以外の運動の仕方が一切できなくなる。また、特定の運動しかできなくなるという意味で、逆により強く限定されたあり方に囚われていくことになる。――ここでは明らかに、束縛からの解放を求めると、解放を求める当の運動自体がより強い束縛に転化してしまうという、弁証法的反転が生じていたのだった。というよりここでのこの反転こそが、あらゆるその種の弁証法的反転の原型(プロトタイプ)だったのだろう。

「収縮」から「展開」へ

シェリングは、収縮する運動が陥ってしまった、こうした機械的な反復運動のことを「盲目的な回転運動」と呼んで、それは極限的な閉塞状態に他ならないと強調してやまなかった。重さも広がりも持続もない純粋に抽象的な点に触れようとしたら、そうした点の粗雑な模造物でしかないとともにその弁証法的な反対物でもある、機械的な反復運動に閉じ込められてしまったわけだ。その状態はまるで、何かをやめたくてもやめられずに苦しんでいる、嗜癖というか使用障害(依存症)の症状のようなものなのだろう。

反復運動への閉塞というこうした第二の袋小路を脱するために、意志(欲動)は、今度は収縮とは異なる別のあり方を新たに求めるようになる。それが「展開」というあり方だ。展開、伸び拡がりとは、絶えずより複雑なものに自分自身が分化・分裂していきながら、常に今までとは別のものに自らで変化していこうとする運動のことである。もちろん、たとえこの運動に従ったとしても、存在することと存在しないこととの間の区別を超えた、無限定なものの境地に到達することはできないのだが、しかしそれでも、自分が別のものに変化し続けていく限り、またこの変化していく運動自体をずっと続けていく限り、生を特定の存在者のあり方に閉じ込め、動きを取れなくさせる限定の作用からはとりあえず免れていくことができる。とりあえず免れるというよりは、かろうじてかわし続けるに過ぎないと言った方がより正確なのだろうが。コミュニティやアソシエーションにおける場のあり方に揺さぶりをかけたり挑発するかたちで、場をよりよいものに変えていこうとしていた攪乱や生成変化の運動も、基本的にこの展開運動の一種だったと言える。また、収縮の運動を極限的な閉塞状態に追いやってしまった反復運動も、この展開運動の中に折り込まれ、その一環として生じる限りでは、決して閉塞状態をもたらすことなどはない。かえってそれは、展開していく運動におりおりの節目を与えたり、特定のリズムをもたらしたりして、その運動を促進していくことになるだろう。

それでは意志(欲動)というものは、この展開の運動を見出したことによって完全に袋小路を脱することができたのだろうか。いや、断じてそうではない。シェリング自身は、収縮への意志の行き詰まりから新たに選択されたこの展開への意志は、決して前者の意志の完全な代わりになるものではなく、むしろこの二つの意志の間の対立、拮抗は永遠に克服されることなどはないと考えていた。彼によれば、そもそもこの二つの意志の間の対立が解決されなかったからこそ、そのことの効果として(地上に)現実世界というものが生成されてきてしまったのであり、また、両者の意志が絶えず拮抗して緊張状態にあるからこそ、現実世界は存在し続けるのだった。

展開偏重への反動?

それゆえ、意志はいったん展開する運動の方を選んで、それを求めるようになったとしても、収縮する意志との対立を克服できなかったため、再び袋小路に陥ることになる。この第三の袋小路は、先に少し示唆したように、いくら展開の運動を続けても、何も意志しなくてもよい無限定な状態など決して実現できたりしないことから生じてくるのだった。展開の運動を続けていく限り、自らの生に課せられた限定は常に生成変化し、決してその重みに押し潰されてしまうことはないのだが、しかし、しょせん何らかの限定されたかたちであり続けるしかないだろう。また展開運動それ自体も、絶えず自らをより複雑化させ、別のあり方に変化させるよう強制されているに等しいものなのだから、その意味で、限定が課せられた特定のあり方をしていることには変わりがないのだった。――意志がこうした展開運動の限界に遭遇し、それに対して苛立ちを募らせ始めると、再び収縮への意志が頭をもたげ始めてくる。実は、展開の運動の只中で収縮への意志がそのように再び自己を主張し始めたことこそが、ひきこもりという現象と大きく関係していたのではないだろうか。というよりそれこそが、ひきこもりというものの存在論的核心だったのではないか。現代では、異質なものに触れて自分を組み変えていくことや、新しいものに触れて視野を広げていくことがもっぱら望ましいとされ、現代人もそうした生き方をするよう絶えず強制されている。こうした展開の運動一辺倒の時代に対する一種の反動として、ひきこもりという現象が生じ始めたと思われて仕方ないのだが、果たしてどうなのだろうか。

差異か同一性か

とは言っても、だからと言ってひきこもり体質を持つ者たちは、変化や視野の拡大の強要に対して頑なに対抗するかたちで、自分の現在の状態に固執し、それを維持するよう汲々としていたわけではない。より抽象的に言い換えれば、「差異」や「多様性」をもたらすことよりも、「同一性」や「同質性」を強化させることの方を優先させていたわけではない。この点は誤解しないようにしたい。同一性や同質性を維持強化させるふるまいというものも、しょせんは、すでに展開の運動に参加し、それに身を委ねたことによってしか可能にならないものなのだった。従って、収縮への意志が自らの中で頭をもたげたことによって、展開の運動に身を委ねること自体に抵抗せざるを得なくなった、ひきこもり体質がある者たちにとっては、差異や多様性へと開かれていく生成変化の運動だけではなく、同一性や同質性に固執し、それを強化させようとする排他的な運動もまた、同じように躓きの石とならざるを得ない。そうした運動にもうまく関わることができずに、ただ途方に暮れてしまうだけだ。つまりひきこもりにとっては、差異か同一性か、多様性か同質性かなどという区別はどうでもよいというか、あくまで副次的なものに過ぎなかったのだ。それよりもはるかに重要なのは、差異と同一性の区別がその中で初めて主要な選択肢として機能することになる、現実世界における生の展開運動に参加していくか、あるいは、あくまでその運動には参加しないように留まるのかという、もう一つの区別の方だったのである。

展開と収縮の「狭間」、そこでの「停止」

この選択肢を前にすると、再び自己主張し始めた収縮への意志に囚われているひきこもり体質者たちは、もちろん、展開運動に参加するのを控えるという、後者の選択肢の方を選ばざるを得ない。というよりそうするよう、収縮への意志によって強制されていたと言える。展開への意志ばかりが重視されてきた現代では、現実世界そのものが、すでに展開の運動が優位の下で構成されるようになりつつある。収縮の運動がかつて関わることができた反復という運動も(すでに見たように、その運動によって収縮運動が自らを維持させようとした途端、とんでもない閉塞状態に陥ってしまったわけなのだが)、もっぱら展開運動の支配下に置かれ、その運動を(リズムを与えたり折り目をつけるというかたちで)促進させるだけの地位に甘んじてしまった。また展開運動が現実世界にもたらした、変化の促進や多様性の増大という動向に何とか対抗しようとした、同一性や同質性への排他的な固執も、しょせんはそうした動向に対する単なる反動というか、慌てた後ろ向きの対応でしかなかったため、展開運動の優位や専制自体を覆すことなどできはしなかった*2

こうした状況下で再び頭をもたげ始めた、展開への意志と全面的に対立する収縮への意志は、当然、現実世界そのものとも大きく対立するかたちでしか、つまりその世界の外部というかその傍らの何らかの無世界的な領野のうえにしか立ち現れることができないだろう。ではそうした領野で収縮への意志は、(再びまた)収縮運動に徹していくことになるのだろうか。いや、絶対にそれはあり得ない。すでに何度も確認してきたように、収縮していくだけの運動は「盲目的な回転運動」(シェリング)にしかならず、恐ろしい閉塞状態しかもたらさなかったのだから。ここでまた、収縮運動に徹することも、展開運動が支配する現実世界に参加していくこともできないという、新たな袋小路が生じていることになるのだが、収縮への意志はこの袋小路を前にして、次のような対応を取らざるを得なくなる。――それは、収縮運動と展開運動との間に、言い換えれば、現実世界に生まれる前の閉塞状態と、現実世界に生まれた後の、ただそこで展開運動に翻弄されるだけになった状態との間に穿たれた、一種のエアポケット空間、その両者の「狭間」の空間に、「収縮」でも「展開」でもない第三の運動形態を取って新たに到来することである。その第三の運動形態とは、一言で言えば「停止」というものだ。収縮と展開との間に穿たれたエアポケット空間、現実世界に生まれる前と現実世界に生まれた後の狭間で、「停止」という運動形態を取ること。収縮への意志のこの新たな形態こそが、実はひきこもりというものの存在論的次元での正体だったのではないだろうか。そして、すでに何回も示唆してきたように、この停止という生の様態こそ、あらゆる「自然的断定」、つまり世界への意味付与を作動停止させて凝固させる、フッサール流の現象学的還元を可能にしていた当のものだったのではないだろうか。

現象学的還元と停止

もちろん、現象学的還元を可能にする条件が、収縮への意志の新たな形態での起動だったなどという主張は、現象学ドイツ観念論の専門家からすればとんだ妄言に過ぎず、すぐに一蹴されてしまうのがオチだろう。とはいえ現象学的還元というものは、世界へと向かっていた意味付与作用の遠心的な運動を強引に逆向きにさせ、その意味付与作用を作動停止させるような新たな求心的な運動を始めることだったのだから、そこでは明らかに、そうした運動を惹起させる何らかの意志(欲動)が関与していたはずである。決意や決断によって還元が遂行できてしまうのも、そこにあらかじめその種の意志が存在していたからではないだろうか。より詳しく言うと、決意や決断などという不自然な行為によって、上滑りすることなく思わす還元が遂行できてしまったのも、またそれゆえ、還元を完璧に遂行できて、現実世界の成り立たちを全てこの目で確かめることができる(=完全な明証性を実現できる)はずだという錯覚にフッサール自身が思わず陥ってしまったのも、まさにそうさせてしまう何かがあらかじめ存在していたからではないだろうか。

もちろん、前回のエントリーで述べたようにその後の(存在論的な)現象学の主流は、むしろ還元が決して完全には遂行されないという事実の方に着目し、その遂行を不完全なものにさせる何らかの還元の残余物の方が、より根源的な次元に存在すると見なしていったのだった。そして、還元の完全な遂行を妨げるものが逆に当の還元という操作を可能にするという、逆説的な事態の不思議さに魅了され、そこに色々と奥深い意味を読み取っていくようになっていった(ちなみにデリダの「汚染」や「代補」の論理は、この逆説的な事態に対する過剰な意味づけにあらがうかたちで、そこでの逆説の形式的な論理だけをドライに取り出していったものだと言えるだろう)。また最近では、還元が完全に遂行されるかどうかという問題にはもはや拘泥しなくなり、常に不完全にしか遂行されない現象学的還元というものは、あくまで数ある学問的な方法論の一つでしかないのだと割りきる見方の方が主流になりつつある。そうした見方をする人々は、現象学認知科学とを接続させたりしながら、もっぱら現実世界の構造をよりよく理解し、その中でよりよく生きることを可能にするための手段としてしか、現象学を捉えていないかのようだ。しかしそれでは、現実世界の中を生きることを可能にする意味付与(「自然的断定」)そのものの作動を停止させようとした、現象学的還元が本来持っていたラジカルさが見失われるのではないか。多分そのラジカルさを捉えていたのは、還元を遂行する者は、未だ現実世界を一度も生きたことがない程の、世界にとってよそよそしい傍観者の境涯に追いやられると喝破した、E・フィンクだけだったのだろう。こうした境涯に追いやるものこそが、私見では、まさに「停止」という形態で新たに顕在化するようになった、収縮への意志だったと思えてならなかったのだが*3

停止と運動

さて、なぜ収縮への意志が、停止という新たな運動形態をわざわざ取るようになったのだろうか。多分それは、停止というものが、運動する、動き続けるというあり方と、すでに動く必要がなくなった、あるいはもはや動くことから卒業してしまった、全くの不動状態との間のちょうど境界線、両者の接点上に位置していたからだろう。もちろんこのことは、純粋な点というものが、限定されたものの世界と、無限定なものの世界との間の境界線、接点に位置していたことと完全に対応している。収縮であろうが展開であろうが、何らかのかたちで運動し続ける限り、いかなる特定のものをも意志しなくてもよい、無限定なものだけが存続する世界に行き着くことはできなかったために、収縮への意志は、今度は新たに、「運動する」というあり方自体から脱しようと目論み始めたわけだ。

停止と停滞

けれども、かつて収縮への意志が、純粋な点に触れ続けようとするために反復運動を始めたら、その途端に「盲目的な回転運動」という恐ろしい閉塞状態に陥ってしまったように、今回もまた、停止という様態を実現しようとしたら、途端に何らかの好ましくない状態に陥ってしまうのではないか?――確かに事態は一見そのように見える。なぜなら、さしあたりたいていは停止という様態は、不毛な「停滞」状態としてしか経験されないからだ。いったんドロップアウトしたらあとはそれっきりになってしまったり、モラトリアム状態のままいつまでも何も始まらなかったり、あるいはループしながらいつも同じステージでバタバタしているだけだったりする。けれどもこうした不毛な生の状態は、決して停止というあり方を求めてしまったからもたらされたのではない。実際はまったく逆である。すでに停止というあり方が生じていたにもかかわらず、相変わらず運動し続けることに固執し続けたため、その停止状態が、単に(展開)運動の阻害要因としか働くことができなかったのだ。その結果、前へと進んだり別のものへと変わっていこうとする運動の展開が妨げられ、停滞というかたちしか取れなくなってしまったのである。つまり停滞という状態は、停止を求めたから生じたのではなく、逆に停止を自らで求めることができなかったからこそ、言い換えれば、すでに生じていた停止状態に自らで徹することができなかったからこそ生じたものだと言えるのだ。ここでは明らかに、停止状態を維持しようとする収縮への意志と、(現実世界に参加して)運動を展開、加速させようとする展開への意志とが新たなかたちで葛藤状態に陥り始めている。再び頭をもたげた収縮への意志によって、展開への意志が求める展開運動は、停滞というかたちを取らざるを得なくなるわけだ。

この事態を打開するためには、当然、意識的・自覚的に停止というあり方を求めるようにすればよいことになる*4。つまり、展開運動を逆に停止という状態に従属させ(=展開への意志を収縮への意志に従属させ)、現実世界の只中で停止を実現させていく、言い換えれば、停滞という状態を停止という形態へと昇華、彫琢させていく新たな運動を始めていけばよいわけだ。しかし展開運動を停止させ、単なる停滞状態を運動自体の停止へと昇華させようとする、こうした逆説的な生の運動のあり方は前代未聞なものなため、殆ど具体的にイメージできないままに留まるのが実情だ(運動自体を止めようとする運動のあり方など、イメージできなくて当然なのだが)。下手をすれば緩慢な自殺やセルフネグレクト状態と混同されかねない。また、停止というかたちを取って新たに収縮への意志が顔を出したにもかかわらず、現実世界を支配している展開への意志に相変わらず囚われたままだと、それを新たに収縮への意志に従属させることができずに、逆に収縮への意志の存在自体を強く否定しまいがちになる。そうした頑なな姿勢が引き起こす問題も注目されがちだ。収縮への意志そのものを否定する姿勢を取り始めると、二つの意志の間で生じていた葛藤状態がさらに強まって、それに対して主体はまったくなすすべがなくなってしまう。ひきこもりの渦中にある者は、よく激しい家庭内暴力を振うようになるのだが、それは、この強められた葛藤状態に対してどうすればわからなくなってしまった結果生じた、一種のアクティング・アウト現象だったのだろう。

停止を求める運動に関しては、このように緩慢な自殺やセルフネグレクト、あるいは家庭内暴力という否定的な現象の方ばかりが目立つため、それらの現象が(ひそかに)示唆していたはずの、停滞を停止へと昇華させる生の肯定的な運動特有のあり方や、その具体的なイメージはなかなか見えてこないままなのだった。そこで次のエントリーでは、そのあり方やイメージを徐々に見えるものにしていくために、とりあえずはそうする際に必要になると思われる、様々な補助線をメモ書き風に確認していくことにしたい。

次回に続く。

*1:ちなみにすぐに理解できるように、D・ベネターの反出生主義は、この意志すること自体の否定への意志にあくまで従おうとした思想だったと言える。なぜ彼がこちらの意志の方に従うのかと言えば、それは多分ベネターが、(地上に)生まれて存在するか/生まれないで存在しないまま(無のまま)に留まるかという、リジットな対立軸しか初めから想定していなかったからだろう。また当然、現在色々と取りざたされている、「価値論的非対称性」という次のような独特な論理を導入したからでもあるのだが。ベネターによれば、「快楽」が不在な状態は、すでに生まれてしまった者にとっては、快楽の実現が剥奪されたり禁止されたりしたことしか意味しないから、それは明白な「悪」でしかない。一方生まれなかった者にとっては、それは当然「善」ではないが、かといって別に特に「悪いことではない」。一見当たり前で仔細な理屈でしかないように見えるのだが、しかしこの論理に従うと、必然的に次のような結論が導かれてしまう。生まれて存在することは、「快楽」の存在という明白な「善」と、「苦痛」の存在という明白な「悪」との二つを体現していたが、それに対して生まれないで存在しないことは、「苦痛」の不在という明白な「善」と、「快楽の不在」という特に「悪いことではない」消極的な状態との二つしか体現していなかった。価値計算をすると、前者は「善+悪」であるのに対して後者は「善+別に悪くはない」になるから、その計算に従えば迷うことなく後者、つまり生まれなくて存在しないことの方を選択するほかなくなる。――こうした彼の主張に対しては、多分シェリングは、(地上に)生まれることと存在することとは決して等価ではないとすぐに反論しただろう。なぜなら、いったん生まれたうえで、存在することと存在しないこととの間の彼方、あるいは存在しようがしなかろうがどっちでもよい境地を目指すのが、彼にとっての人間的自由の本質だったからだ。また快楽と苦痛との間の関係も、シェリングはこれ程までにスタティックに捉えたりはしない。存在することとしないこととの間の彼方、あるいはそれらがどっちでもよくなる境地を目指す過程で、「苦痛を通した快楽」、つまり喜びや歓喜というものを味わっていくことこそが、彼が信じてやまない人間的生の意味だったからだ(とは言っても、こうした見方自体は極めてロマン主義的なものでしかないのだが)。

*2:こうした展開運動の優位を決定的なものにし、現実世界に対するその支配を確立させたのが、「柔軟性」や「流動性」というものを至上の価値として措定する現代資本主義である。ただしこの支配の確立は、今まで見てきたような展開運動それ自身が持つ限界を、つまり、それへの参加が強制され、永続化されることになった展開運動それ自体が、実は一つの閉塞状態でしかなったという事実をも同時に白日の下に曝すことにもなったのだが。ここで注意しなければならないのは、柔軟性や流動性という資本主義的価値に対抗するために措定された、よりよいものとされる別の(=オルタナティヴな)生のあり方(たとえばマラブーの「可塑性」や柄谷行人の「原遊動性」など)も、相変わらず展開運動の一バージョンでしかなかったため、その運動それ自体が持つ限界には対処できないままに留まらざるを得ないという点である。資本主義と展開運動との間の関係については、次回のエントリーでM・フィッシャーの議論を取り上げる際にもう少し考えてみたい。

*3:もちろん、フィンク自身は現象学的還元を可能にするものを、このような意味での停止であるとは捉えていたわけではない。むしろ彼は、還元によって超越連的領野がたとえ確保されたとしても、(フッサールが想定していたように)現実世界の姿を(いわゆる「本質直観」によって)ありのままに見て取り記述することはできず、そこで見て取られるのは、逆に現実世界との関連を欠いた模造、仮象でしかなかったという点の方に着目していた。今までの議論を踏まえれば、還元によって作動停止して凝固した「自然的断定」の姿をいくら見て取ったとしても、それはしょせん凝固してひからびた姿でしかなかったから、「自然的断定」が作動していたときの生き生きしていた姿とは大きく異なっているというのは、あまりにも当然なことだろう。彼は、そうしたひからびた姿を、作動して生き生きしていたときの姿の模造、仮象だと解釈していったのだと思われる。さて、超越論的領野で増殖し始めたそうした仮象の群れは、還元を遂行した者を新たに「非存在」(仮想現実やシミュラークル)の次元に誘っていくことになる。フィンクによれば、実はそう誘ってやまなかったものこそ、ネオプラトニズム的な一者に重ね合わされた世界というものそれ自体の、自己現出の運動なのだった。収縮への意志と新たに対立し始めた、展開への意志が支配する現実世界と、この一者としての世界それ自体との間の関係については、また機会を改めて検討していくことにしたい。

*4:フィンクの場合も、還元によって確保された超越論的領野で仮象が増殖し始めた事態を前にして、意識的・自覚的に仮象を求めるという選択をすることを通して窮地を乗り越えていったのだった。