外付脳内そっ閉じメモ

脳内に澱のように溜ったものの単なる置き場デス。そっ閉じ必至。

「政治/実存」図式の別ヴァージョンの話・他もろもろ

なんてこったい! 上巻をほとんど読み進めていないにもかかわらず、小熊英二『1968』の下巻がもう発売してたのかヨ。ゆっくりした結果がこれだよ! ・・それはさておき、前回の「『政治/実存』という対立図式」の節で論じた、あの有害な「政治/実存」という図式の別ヴァージョン(というより殆どその言い換え)を発見したので、ここにご報告を。

橋本努氏の朝日でのコメントがヘン

朝日の先月の論壇時評の中にある、今月の注目論文についてのコメント(09・07・27朝日朝刊文化欄、橋本努「雇用対策で必要なもの」)の中で、橋本努氏は、フリ労の山口素明氏らが出ていた『情況』の鼎談(山口素明・伊倉秀知・菅原秀宣「座談:今、労働の問題に向かうために」、『情況』09・07月号)の内容について、次のように述べてました。

…若者たちのメーデーを組織化してきたフリーター労組副委員長の山口素明は*1、[この鼎談]で今年の祭典にはやや行き詰まり感があったと告白する。どうも雇用の現場から排除された人々はコミュニケーション能力が不足気味で、抵抗の社会運動よりもメンタルヘルスを求めているのではないか、という深刻な現実が示唆される。

従来の「社会運動」では解決できないその残余として「メンタルヘルス」という問題があり、それが運動の現場で新たにせり上がってきた。――こういう捉え方って、例の、従来の「政治」では解決できない、その残余として「実存」(の承認欲求)の問題というものがあり、それが新たに政治の課題として焦点化されてくるようになったというたぐいの議論の構図とまったく同じものですよね。というわけでこの「社会運動/メンタルヘルス」という図式を、「政治/実存」というそれの言い換えと見なしても構わないのでは。

むしろ話は逆だろ

さて、橋本氏が取り上げていた『情況』誌の鼎談の本文を実際に読んでみると、あれっ・・!?

確かに山口氏は、今年のメーデーの祭典には行き詰まりを感じたと述べてました。けどその理由は、橋本氏が言うのとはまったく違うものだったんですけど・・。

従来は、いわゆる自己責任倫理の内面化によって形成された、「『内向きの暴力』として自分を責めるような回路を外側に向けていこう、ということをイデオロギーとして」掲げ、とにかく「何を言ってもよい」という(いわば放言・絶叫を奨励・促進する)戦略でやってきたのだけど、今年はそれが定着してしまい、祭典が「仲間意識」に閉塞するただの「ピア・カウンセリングの場になりきってしまうというのはどうなのか」と(『情況』09・07月号、145頁)。しかも、世界大不況によって労働からはじきれ出された人々が急増してしまった今年は、文字通りに「物質の問題が急迫し」始めたため、ただの「観念」(=イデオロギーの問題)でことを済ませることができなくなっている云々(同126頁)。

なんだよ、話が逆じゃん! 今年の祭典は「ピア・カウンセリングの場」みたいになって、いわば「メンタルヘルス」的な問題に焦点を当てるようなものになりつつあったけど、世界大不況によって「雇用の現場から排除された」人が急増してしまったから、そういう人々の文字通りの意味での「生存」を何とかしなければならない新しい「社会運動」(=単なる「労働運動」とは区別される「生存運動」)が必要になってきた、というわけじゃん。オイオイ、橋本先生大丈夫なのかおww

メンヘル問題は別に運動からこぼれ落ちた残り滓じゃねーよ

さらに読み進めてみると、またあれれ? 「どうも雇用の現場から排除された人々はコミュニケーション能力が不足気味」で、そういう人々は「抵抗の社会運動よりもメンタルヘルスを求めている」なんてことはそもそも誰も言ってなかったし、そんなことはまったく読み取れなかったぞ、橋本先生! ちょwwwおまwww本文まともに読んでねーだろwwww

確かに労働からはじきだされたメンヘルな人の話が出てきたんだけど、それはあくまで地方というものが置かれてる状況のキビしさを表す例としてでしかなかった。北海道の北見でとりあえず労組を立ち上げてはみたんだけど、勤め先を初めまわりは皆知り合いばかり。そんなところで争議を始めたら「街から出ていけ」ということになりかねない。どうも地方には、こういう「関係そのものの構造的な閉塞」(同148頁)が存在していて、労組員はどうもそれに押しつぶされてしまったらしく皆メンヘルぎみだった。この関係の閉塞を何とかするには、(デモや争議に重点を置いた)「今までの意味で『労働運動』と呼べるものでは明らかに限界がある」と(同頁)。

つまりメンヘル問題というのは、橋本氏が言うように決して従来の「抵抗の社会運動」が扱わずにそこからこぼれ落ちていった問題なのではなく、まさにこの問題は「構造的な閉塞」の産物に他ならなかったのだから、(単なる「労働運動」より守備範囲が広い「生存運動」という意味での)「社会運動」がモロに扱わねばならないものだったんですよね。そもそも鼎談の発言者たちは、メンヘル問題を、社会問題からはこぼれ落ちる別のものとして扱うなどということはこれっぽちもしていなかったし、あくまで、「個人が追い詰められた先」の「救われない四択」――自殺、犯罪、メンヘル、ホームレス――の一つとして扱っていたんですけど・・(同149−150頁など)。

コミュニケーション能力が問われるのは運動の担い手の方だって

それから、「雇用の現場から排除された人々はコミュニケーション能力が不足気味」などという、いかにもな決めつけも、鼎談の参加者の誰もしてませんでした。確かに山口氏は発言の中で「コミュニケーション能力」という言葉を使ったけど、それはあくまで運動の担い手の方に求められるものでしかなかった。いわく、メーデーの祭典で活躍できるのは労働からはじかれた、昼間から準備に参加できる人々なんだけど、彼/女たちの間では「人間同士の関係性の懐が深くなる」。けれども、利潤追求型の人間関係よりも懐の深い関係に移行するためには、「ある程度の『割りきり』と『コミュニケーション能力』が必要とされる」と(同148頁)。

そしてこの発言を受けて、司会の菅原氏が、「コミュニケーション能力」などという、いかにもネオリベっぽい言い方に懸念を示したのか、「コミュニケーション能力の不足が、人間を労働現場からの排除する格好の口実となったりもするでしょう」と、一言急いで注釈を加えました。この注釈からもわかるように、決して鼎談の参加者は、コミュニケーション能力が不足している(と見なされた)人間が雇用から排除されることを、仕方がない、不可避の事実として受け取っていたわけではありません。実際にそんなことが起こったとしても、それは、たまたま「コミュニケーション能力不足」(と見なされてるもの)が首切りのための口実として使われたに過ぎなかったわけでしょう(雇用主が、コミュニケーションが重視される職場の空気に安易におもねたりして)。別にそこに、どうすることもできない深い必然性などありません。

この菅原氏の注釈のあとに、山口氏は運動の側の「難しい課題」として、コミュニケーションでトラブルを起こしがちな、(その意味で)メンヘルぎみな人とのコミュニケーションの問題を取り上げてマス。ここを読むと、橋本氏のコメントで言われてたこととはまったく異なって、決して「メンタルヘルス」の問題は「抵抗の社会運動」の問題とは別のものではないこと、また、コミュニケーションの問題で苦しんでる人が、決して「抵抗の社会運動よりもメンタルヘルスを求めている」わけではなかったことが、ホントよくわかりマス。いわく、相談者の意向や希望に対して

「ここまではできるけどそれはできない」とか切り分けると、極例では「じゃあ死にます」とか「ならばお前らも敵だ」とかいうディスコミュニケーションに引きずり込まれることがある。これはお話にならないと切り捨てるのは簡単だけど、そう追いやられている面があるというのは事実だからこれにどう当たっていくのかは難しい課題です。

そういう状況の人をある種福祉的に取り扱うべきという話にしちゃうと、つまり保安処分につながっていっちゃったり。……(中略)……そういう対応をせずに、追い詰められて関係から外れよう外れようという回路が固定化しつつある人とどう関係するか。そこが難しいんですよ*2。(同149頁)

このように社会運動上の問題と、メンタルヘルスに関わる問題は常に一体のものとして運動現場では突きつけられてくるのであり、そこで生じるディスコミへの対応能力こそが、運動の側の方に求められる究極の「コミュニケーション能力」だということになるわけなんデス。まぁ「能力」と言うと、何らかの結果をすみやかに上げるという成果主義的な臭いが払拭できなくなるので、何らかの困難を引き受けて持ち応え続けるという意味での、「力量」と言った方が(運動界隈用語的には)より適切なのでしょうが。

どーしてこうなるのかなー

以上見たように橋本氏はとてもあっぱれな誤読をしていたわけだけど、どーしてこうなるのかなー? それはもちろん、あの有害な「政治/実存」という図式のせいだとは思うんだけど、この図式に足を掬われてしまう人ってなんか共通してるよなぁ・・。一言で言ってしまうと、政策テクノクラートの上から目線で社会をより公正で倫理的なものに改造しようと目論むタイプのうちの、良心的リベラルということになるのかなぁ? そう言えば橋本努氏というのは、社会のネオリベ化の肯定的側面というものに、それに対する左からの批判を百も承知の上で敢えて拘泥しながら、ネオリベ社会がもたらしたネガティヴな混乱をこそ逆に起爆剤にして、資本制や市場のあり方をより倫理的なものに高めていこうと目論んでやまない、リベラル右派(ハイエク左派?)の典型だったのでした。彼は、オルタ・グロ運動のような、資本制に対抗・抵抗する運動の意義というものを、もっぱら資本制社会をより倫理的なものに高めるためのきっかけとして、つまり資本の運動をより円滑なものにするための一種の補完作用としてしか見てなかったんだよなぁー。また68年の運動というものの意義を、人間の「潜在能力」が「全面開花」する可能性を資本主義社会に見せつける点にあったことだとする、凄い総括を提出してみたり(こりゃ68年世代は喜ぶわw)、あるいは、グローバル資本主義に抵抗する運動の「実力や力量」というものを、資本制下の労働の生産性や効率性をさらに高めるという、もっぱら「能力」の観点からガチに評価しようとしたりして、何か独自路線をひたすら突っ走ってるという感じですねぇ〜。

多分こういう発想の延長上で橋本氏は、従来の抵抗運動がメンタルヘルスの問題を無視していたのに対して、これからの運動は、それにも新たに目を向けざるを得なくなったから、その意味でより「成熟」したものになって、メンヘルな人々を扱いあぐねている現在の資本制社会に対する補完機能をキチンと果たしていくと、勝手に好意的に受け取ってしまい、ああいうトンデモな誤読をしてしまったのかも・・。

小熊英二『1968』が読み進められないんですけど

ここからは雑駁な印象論というか感覚レベルの話になりますので、あしからず。

実はあることに思い当たってしまって以来、小熊氏の『1968』を読み進められなくなったんですヨ。小熊氏というのは基本的に、『〈民主〉と〈愛国〉』で扱った戦中世代の進歩的文化人というか、旧左翼のリベラル左派の人々を持ち上げる一方で、ただ騒いだだけでその旧左翼の遺産を後続世代に継承するのに失敗してしまった、全共闘団塊)世代をdisっていくというスタンスを取るわけなんだけど、そのdisり方に何か見覚えがあったんですよネ。『1968』を読んでてキツイのは、方々でそのdisった軽蔑のまなざしが顔を出しているからなんですが、どうもその軽蔑の質って、80年代に、小熊氏もそのうちに含まれる新人類世代(≒おたく第一世代)が、上の全共闘世代を散々バカにしたときのそれとまったく同質だったような気がしてなりません。

結局アイツらは、イデオロギーを安易に絶対化して大騒ぎしただけで何ももたらさなかったじゃないか。後にはただどうしようもない空虚感と閉塞感が残っただけ・・。けどウチラの世代は、最初からイデオロギーなんかに頼らずにその感覚を直視することからことを始めたから、少なくともこの点ではアイツらより偉い筈!*3――今改めて全共闘世代へのdisり方を振り返ると、だいたいこんな感じになりますかネ。で、小熊氏のまなざしがこれとまったく同じだということに気づいてしまってから、80年代的なものにウンザリぎみの自分としては、戻りたくない過去に強引に引き戻されたような感じになり、かなり落ちてしまったんですヨ。

しかもこの『1968』には、自分をさらに落ち込ませるようなからくりも仕組まれていました。以下、それについての説明を少し。

『〈民主〉と〈愛国〉』の段階での全共闘世代に対するdisり方というのは、おもに、この世代が短絡的な「戦後民主主義批判」に走ったことによって、桶のお湯と同時に赤子まで流すというかたちで、その可能性まで台無しにしてしまったと同時に、つくる会からネウヨに到る者たちに、短絡的な「戦後民主主義批判」の言説資源まで与えてしまい、結果として社会の右傾化に加担してしまったと糾弾するというものでした。ところが『1968』になると、全共闘運動がダメなのは単にそれだけではなく、さらに、本当は生の実感の喪失やアイデンティティ・クライシスという豊かな社会特有の「心」の問題(『1968』下巻790頁の言い方)に突き当たったのに、それを正面から取り上げることができないまま、政治に依拠することでその問題を疑似的に解決しようとしたため、実際の政治的効果を無視してやたら暴走するだけの、青春の自我の空疎な燃焼運動で終わってしまったという点にもあるということになりマス。

この本は、もっぱらこういう観点から書かれていたから、これでもかというくらいに(あくまで上巻の方ですけど)、バリケードやデモの中で初めて生きている実感や、自分と社会とのつながりを実感したと嬉々として語る、いかにも厨二病的な証言がえんえんと引用される始末で、読んでる方は正直言ってツライだけでした。バリケードやデモなんてしょせん自己改造セミナーのたぐいといっしょだろと言いたいのは、もうわかったからさぁー・・。しかし小熊先生は、ただdisるためだけに『〈民主〉と〈愛国〉』の2倍強の量の本を上梓するなんて、いったい何やってんですかねー*4

そんでもって、政治に託した青春の自我の燃焼運動という、このベタベタな全共闘像というのも、自分にとっては強い既視感があったんだよなぁ。あ、そうか。これって、1984年に出た『全共闘グラフィティ』という写真集(高沢皓司『全共闘グラフィティ』新泉社、1984年)が、自分より1つ下のバブル世代の者たちに与えた全共闘運動のイメージそのものだったじゃん!! バブル世代の一部の者たちは、当時の軽薄な社会風潮に反発して、真面目な努力が称えられ報われるような世界を代償的に求めたんだけど、その種の世界の一つとして、当時再発見された全共闘運動があったんだよナ。しかし真面目な努力が報われると言っても、そういう世界の実際のモデルは、同時流行っていた、少年ジャンプ的かつファミコン的な格闘ゲーム(あるいはガンダム)のそれでしかなかったので、バブル世代の全共闘趣味者たちは、まるでTVゲームの細かいアイテムや隠しキャラやラスボスに詳しくなるのと同じようなノリで、セクトの系譜や離合集散の過程にオタク的に詳しくなっていったんだよなぁ〜。この様子をハタで見ていた自分は、何やってんだコイツら? 主観的にはバブルの軽薄なノリに反発してるつもりでも、客観的には同じように軽薄なゲーム感覚にズッポリはまってるだけじゃん! と思ってチト軽蔑してしまいました(小熊氏の分析によると、全共闘世代も主観的には高度成長のノリに反発しながらも、客観的にはその影響から免れなかったみたいですけど)。

というわけで小熊氏の1968年論は、自分的には、同じ新人類世代が持っていた全共闘世代に対する反発や不信を、下のバブル世代が持ち出してきた、或る意味で戯画化された全共闘像をダシにしながら再確認し、ひたすら彼/女たちの世代に対するいら立ちや軽蔑を強めていっただけという、極めて閉じたことをやってるものとしてしか読めなくなってしまいました。なんかこれはないわー、もう勘弁・・。自分にとっては黒歴史でしかない80年代のノリがマザマザと甦ってくるって、いったいどういうことなの?

そもそも自分は、全共闘的なものを小馬鹿にして、ニヒリながらセンス・エリートを求めた同じ新人類世代のノリも、また、学生運動の世界に、「友情・努力・勝利」の少年ジャンプ的な世界と同じようなものを求めて熱中したバブル世代のノリも大嫌いで、その双方から逃れるために、自己確認や生の実感の獲得などというベタなことは、あくまで入口としてのきっかけに過ぎず、その向こうにはめくるめく世界が広がっている筈なんだ!と思い、思想や哲学としての左翼を選んだわけだったんですけどね。まあその結果は、行き場がなくなり、この歳でここにこんなどうでもよいことを書きつけてるザマなわけなんですけど(情けない)・・

・・ってもう時間がなくなった。本当はこれからが本論だったのに・・。というわけで、この続きはまた改めて。まぁ、こうした予告をしても絶対に守れないのがいつものことなんですが。つかそれよりも前に、そもそも、『1968』に対する感想を述べるという最初の計画から明らかに話がズレてるんじゃね? うーん、最初の目的を見失って脇道に逸れるのは、昔からのことだからもう仕方ないわー。しょせん仕事や生き方のうえでは、この癖はいつも残念な結果しかもたらさないんだけど、こんな「誰得動画」ならぬ「誰読ブログ」では別にいいと思われ・・。(続く)

急遽補足

さっきまた本屋に行って、たまたま目についた本を手に取ってみたら、なんと! 例の「政治/実存」という図式や、それと「承認欲求」という胡乱な言葉との関係について、ほぼ完璧に説明してる文章に出会ってしまいました。というわけで、チトみっともないけど、その文章をえんえんと引用することにします。この件について自分が言うことは、もう特にないわw

秋葉原事件の容疑者が、「誰かにとめてほしかった」「自分のことを知ってほしかった」と供述していることについて、「社会的承認を求めている若者はたくさんいる」というように、これを若者問題として一般化する社会学者、心理学者たちがいる。ここで問題なのは、承認という機制、あるいは疎外という機制が取りこぼす、民衆にとっての重要な論点である。それは何か。それは、承認する決定機関、疎外する決定機関という問題機制が、最初から民衆を主体ではなく、客体として設定してしまうことである。そうすると、人は社会的なものの中では、承認される〈対象=客体〉、〈疎外の対象=客体〉である以上の身分をもてないということになってしまう。

つまり、承認、疎外という論点は、民衆が、政治的〈主体〉として自分たちに何ができるかを考えるための舞台を最初から除外してしまう。民衆は、貧困に追いやられているという状況、政治的に無力にされているという状態にあるが、承認、社会的疎外、心理的孤独という論点は、こうした状態から脱するべく、政治的に力をもつにはどうすればいいかという問いを立てる場所を最初からもたないのである。つまり、政治的な力をもつ場所としての《外》は、承認や疎外や貧困や孤独を問題にする〈社会的なもの〉からは、つねにすでに抹消されてしまっている。

したがって、社会問題という問題機制は、それ自体において、民衆から政治を奪うことに貢献していないとはいえないのである。というのも、政治的動物として認められないまま、社会的なものの内部に閉じ込められた人びとは、《外》に対して不満や願望の声を発するための手段をもたないがために、時として外向的破壊explosion(犯罪など)、あるいは内向的破壊implosion(自殺など)に向かうことがあるが、社会問題化とは、これを観察し、これらの破壊の原因を、社会的なものの中に見つけ出すことに終始するからである。

これに対し、内向化する(不満のような)情動を、《外》との接続へと向け直そうとするのが、民衆の政治(ランシエールの言う《デモクラシー》)である。
(和田伸一郎『民衆にとって政治とは何か』、人文書院、09年、14-16頁)。

チトわかりにくいですが、ここで言われてる「社会的なもの」とは、「政治的なもの」と対立するアーレントの概念になるわけなんデス。この対立は、アガンベンがこだわってる「ゾ―エー/ビオス」という対立とも重なるわけなんですけど、まあ簡単に言ってしまうと、「社会的なもの」とは保護や管理の空間のことであり、そこでは人間はもっぱら為政者の恣意的な操作対象でしかないゾ―エー(動物的生)に還元されてしまう。それに対して「政治的なもの」とは、その中で公的事柄に関わることを自分たちで決めていく、それ自体が公的である討議空間のことであり――具体的には広場や街路――、そこで人間は初めて、言葉や判断力を持ったビオス(人間的生)として立ち現われるようになる、という感じかな。

うーん、確かに「社会的なもの/政治的なもの」というアーレントの区別を持ち出してくることによって、社会的「承認」ということを重視する発想のヤバさが明確になったのは認めるのにやぶさかではないけれど、しかしそもそも、この区別がもはや成り立たないというか、不分明化してしまったのが現代の特徴だったのではないでしょうか? つか、もともとフーコーの「生権力」という概念こそが、そういう事態を指し示すために導入されたんじゃね? もちろんそうなんでしょうけど、どうも、反時代的でガチなハイデゲリアンである和田氏からすれば、まさにそのように時代の(結局は表面的なものでしかない)変化にひたすらおもねる姿勢こそ、思考の頽落以外の何ものでもないことになるわけだから、敢えて確信犯的にこの種の古典的な区別を堅持したみたい。こうした姿勢を貫くからこそ、「社会的なもの」の閉域の《外》にあるとされた、本来の「民衆の政治」なるものも、既存の新左翼的な政治運動とも、ボランティアやNGOという形態を現在は取りがちな従来からの市民運動ともまったく別のものとして想定している模様。うーん、《思想》というものが持つとされる力によって、現実の動向とはまったく別の道を指し示そうとするのもわからなくはないけれども、それではあまりにもリゴリスティックなんじゃね? 自分的にはもっと穏健に、既存のラジカルな政治運動やリベラルな市民運動がすでに持っている筈のポテンシャリティに、キチンと言葉を与えていくことの方に努めていきたいと思ってるのですが・・。というわけで次回のエントリーでは、そういう作業の一端を示したいと思いマス。つかこんなチラ裏的な事情なんて、まあ、なんでも、いいですけれど・・。

*1:正確に言うと副執行委員長だったのは08年度のみ。

*2:ただ、「追い詰められて関係から外れよう外れようという回路」の固定化という現象は、コミュニケーションにかかわるメンヘル状態の、誰にでもわかる一番目立つものに過ぎないから、もっぱらそれのみに焦点を当てるのでは不十分だとは思いますけど。さらに、そこにまで到りつく前の言わば前駆状態や、すでにそこに到りついてしまった人が、そういう状態から出ようともがいてこちらに送ってくる微妙なサイン――当然これらのものは、自分たちが置かれている関係性のあり方と常に連動してるわけですが――まで察知できるような、繊細な感性を養っていく必要があるのではないかと。

*3:小熊氏はこの空虚感や閉塞感を、生きる実感の喪失やアイデンティティ・クライシスなどの「現代的不幸」として定式化したうえで、全共闘世代はそこに生硬なマルクス主義の政治用語を当てはめたことによって、そういう不幸を正面から見据えることから結局逃げてしまったと批判してやまないのですが、しかしこの見方には大きな問題が存在していマス。というのは彼と同世代の自分から言わせてもらうと、空虚感や閉塞感とどう関わるかという問題を、単なる「生きる実感の喪失やアイデンティティ・クライシス」などの「心の問題」としてしか捉えようとしなかったことこそ、いわば問題の心理(学)主義的な矮小化に他ならず、まさにそうすることで空虚感や閉塞感というものを正面から見据えることから逃げてしまったと言わざるを得ないからデス。むしろ逆に、後に残ったこの空虚感や閉塞感こそが68年の運動の正当な遺産(もちろん負の意味も含めて)だったのであり、そこに籠められている潜勢力を解き放っていくことこそが、その運動を転位させつつ継承させていくことになるのではないでしょうか(自分にとっては、80年代文化の究極の課題はここにあったのだと思えてならないんですけどね)。また同時に、小熊氏はこのように問題を心理主義化してしまったからこそ、例の「政治/実存」という図式(=「政治の問題」の残余として「心の問題」というものを立てるふるまい)にも足を掬われがちなことにもなると言えるわけなんですけど・・。まぁこれらの問題はあまりにも重要なので、――三上治氏の疎外論的な言説に全面的に依拠しながら心理主義化を推進させつつも、その疎外論的言説への依存を否認してやまないという、いかにも症候的な態度に対する分析をも含めて――後日改めて論じることにしマス。

*4:下巻になると、今度は、心の問題としての「現代的不幸」から目をそらさせた第2のものである――ちなみに第1のものは、当時からその有効性が失効していたとされる、生硬なマルクス主義の用語だったわけですが――「一九七〇年パラダイム」なるものを、全共闘世代が70年代になって新たに作リ出していったという話が出てきます。しかしこのパラダイムは結局、「プロレタリアートの代用品であるマイノリティ」を持ち上げる以上のことはできなかったから、結果としてマジョリティの日本人に語りかける言葉を失ってしまい、90年代後半以降の歴史修正主義の台頭に対しては無力なままにとどまざるを得なかったと、小熊氏は極めて否定的にしか評価してませんでした(下847−849頁など。しかも、これ以外の何かポジティヴな可能性があったんなら、誰か他の人がちゃんと言ってよとまで言い放つ始末・・)。なんか彼の手にかかると、この世代はホントに何もロクなものを生み出せなかったことになってしまいますネ。もう踏んだり蹴ったりというか…。