外付脳内そっ閉じメモ

脳内に澱のように溜ったものの単なる置き場デス。そっ閉じ必至。

根本語としての〈居直り〉

一般に左翼理論は、何か特定の抵抗運動や革命運動を分析・評価する際、常にそこへと戻っていくべき出発点というか、もしくは、そこからの偏差で運動の変質や逸脱具合を測るような基準点のようなものとして、或る一つの構えというか態勢を設定している。たとえば<異議申し立て>(ケネス・ケネストン)や<拒絶>(ジョン・ホロウェイ)のように。また、こうして設定された態勢の多くは、基本的に(自分を否定してくるものを否定し返していくという意味で)<否定的なもの>が多かったと言えるだろう。そしてそうであったからこそ、いわゆる「68年の思想」を自認したフランスのポストモダン左翼は、スピノザニーチェ主義を標榜しつつ、従来のように運動の出発点に何か〈否定的なもの〉を置くことに強く反対し、それに対して、自らの存在に固執しながら、今までよりヨリ何かできるようになろうとしている力の横溢や、今とは常に別のあり方を秘めたる生の潜在性の次元を大胆に肯定して解き放っていくような、いわゆる〈ディオニュソス的肯定〉というものをことさらに対置していったのだった。
こうして、何らかの対抗的な運動*1の初発に存在する構えは果たして〈否定的なもの〉なのか、もしくは〈肯定的なもの〉なのかという、ものの見方の大きな対立が生じたわけなのだが、しかし実際は、この両契機は不可分だったのではないだろうか。そしてそうであるがゆえに、この否定性と肯定性とが一つに結びついた状態というか、この両者の相関性そのものを、初発に存在するものとして(理論的に)設定していく必要性が改めて出てくるのではないかと思われる。

それでは、そうした否定性と肯定性とが一つに結びついている構えとして、どのようなものが想定されるだろうか。ここではとりあえず〈居直り〉というものを、こうした対抗運動の初発にある構えとして設定してみることにしよう。つまり〈居直り〉というものを、理論の一つの〈根本語〉として設定してみること。

居直り、なげやり、性急さ

そもそも〈居直り〉とは、自分を否定してくる何らかのものに対抗するためにそれを自らで否定し返そうとする際、果たして否定してくるものの否定の強さに自分が耐えられるのか、あるいは、うまくそうしたものに自分が否定し返していくことができるのか、という点を何ら検討しないまま、もしくは、その種の耐久力や反撃力を自らに身につけさせるための準備も何もしないまま、何もわからず徒手空拳のままあがいているだけの、もしかしたら何もないかも知れないこの自らの状態を、慌ただしい中でとりあえず〈肯定〉してしまい、しかも、その〈肯定〉によって得られたなけなしの(多分幻想かも知れない)解放感や勢いだけで、自分を否定してくる巨大な敵に立ち向かっていくことである。

ここには明らかに、“何もできないからどうしようもない、だから、そのどうしようもなさをぶつけていくしかない”という〈なげやりさ〉と、“後先考えずに、とにかく、そのどうしようもなさをぶつける闇雲の行動と、その際の勢いに身を任せていくしかない”という〈性急さ〉とが存在しているのだが、こうした二つの生の様態こそが、まさに否定と肯定との相関性を体現していると言えるだろう。〈なげやりさ〉とは、自分を否定してくる敵対的なものによって無残にも否定されてしまった自らの無力で惨めな状態を、そのまま〈肯定〉してしまうことであり、また〈性急さ〉とは、肯定された、そうした無力な状態のみに頼って、自分を圧殺してくるものを〈否定〉し返していこうとすることだからである。

さらに言えば、この〈性急さ〉という様態にのみ基づいた対抗の姿勢は、いわば敵によって集中的に打撃を受けてダメージを受けた箇所を、反撃するために敢えてこちらから敵の攻撃の前に突き出していくということに等しいから、当然ことさらにダメージを受けることになってしまう。つまり、敵対するものによる自己の〈否定〉がさらに深まっていくということになるわけだ。否定されたことによる自らの無力で無残な状態は、対抗、反撃することによってさらに強まることはあれ、決して弱まっていくことはない。言わば戦えば戦う程、逆に自らの負けが深まっていくというジレンマ状態*2。そしてそれゆえにこそ、敵によって再び否定し返されたことによって深まる一方の、(傍らからは、勝手に一人で負け戦をやっているようにしか見えないかも知れない)この無力で無残な状態を改めてどう〈肯定〉すれば、敵への対抗・反撃を有効なものにしていくことができるのかという一つの課題が、〈居直り〉という生の構えを根本に据えた運動体には絶えず突きつけられていくことになる*3

難行と易行、西田と田辺

なお、こうした〈居直り〉という態勢から出発する運動は、日本仏教的に言えば、〈難行〉に対する〈易行〉であると言えるかも知れない。また否定と肯定の相関性を、極限的な存在と無の相関性のレベルで問題とする日本思想としては、西田幾多郎田辺元の哲学が挙げられる。そうした極限レベルで否定と肯定の相関性を問題とすることは、いわば哲学的知の追求を通した〈難行〉の実践ということになるだろう。

有限な個が現れては消えていく過程を、全体である絶対者の自己分裂の過程として捉えようとしたヘーゲルに対して、それではまだ個の自立、かけがえのなさが充分には捉えられてはいないと見なした西田は、絶対者の根底に、さらにすべてを包み込む場所としての絶対無というものを設定して、こうした絶対無に触発されるからこそ絶対者は自己分裂を起こしていくと考えた。そしてこれは(少なくとも自分には)大変倒錯的なことなのだが、有限な個が、全体性としての絶対者の剥き出しの現れである歴史の運行や残酷な運命(一言で言えば戦争のようなもの)に翻弄されて、無慈悲に〈否定〉される極限的な瞬間においてこそ、はかない個は、逆に歴史や運命を主宰する絶対者を越え出て、その根底に存在していた、すべてを包み込む無に直接触れることができ、そのことによって逆説的にも――いわゆる「逆対応」的に――(かろうじて)自らのはかなさが〈肯定〉(≒救済)されることになるという。こうして西田にとっては、個が全体によって圧殺される瞬間においてこそ、単なる有限な一存在者でしかない個が、全体としての絶対者の根底に存在していた絶対無とショート・カットすることによって、肯定と否定、存在と無の相関性が初めて実現されることになるわけだ。

一方田辺の場合は、そうした相関性は、対照的に、日常の今ここでのいわば微分的な極限において実現されることになる。今ここにおいて、存在は絶えず無に浸食されて否定され、また無の方もたえず存在に浸食され、自らを肯定して存在に何らかの作用を及ぼさざるを得なくなる。こうした存在と無の相互反転として、両者の相関性は実現されるわけだ(「絶対媒介」としての絶対無)。この相互反転は、日常的には、何らかのものに働きかけながら世界に変化というものをもたらしている、人々の行為というかたちですでに実現されてはいるのだが、田辺にとっての課題とは、こうした相互反転を常に最大限の仕方で発揮している何らかの特権的なものに依拠しながら、歴史的世界や人間の生き方に最大限の変化や不安定さをもたらす仕方を解明していくことだった。その種の特権的なものとして想定されていたのは、戦前では、自らの勢力拡大のために歴史の流れに無闇に介入して、人々を翻弄してきた(「種」としての)「民族」というものだったのであり、また戦後では(厳密には戦争末期以降)、一転して、そうした民族や国家の横暴なふるまいによって無残に殺されていってしまった死者たちと、残された生者とが何とかつながるためになされる、絶えざる宗教的回心としての「懺悔道」というものになったのだった。

〈決断〉と、その諸々の他者たち

以上のような西田と田辺の、肯定と否定との相関性を極限的なレベルで捉えようとする発想は、その相関性の実現を途方もない〈難行〉と見なしていくものであると言える。その極限的なレベルというのは、言い換えれば、そこでこそ〈決断〉や〈覚悟〉が生じるようなトポス*4のことだろう。〈決断〉し〈覚悟〉するのは稀で〈困難〉なことであり、また、そうしたものによって開かれた高い境地を何とか維持するのも、とても〈大変〉で苦労が多いことになる筈だ。それに対して、取り敢えず後先考えずに〈居直って〉対抗運動を始めてしまう/そうした運動に関わってしまうことは、何と〈容易〉なことだろう。けれども、すでに述べたように、〈居直り〉から始めた運動は、戦えば戦う程ダメージを受けるだけだから、深まっていくだけのそのダメージ*5を逆に戦いの際の強みに転化させていくという、とても〈厄介〉な課題を課せられることになるのだった。とは言っても、確かに〈決断〉するのは極めて〈困難〉なことだから、〈決断〉をよしとする立場からは、こうした〈居直り〉などというものは、しょせん自らとは似て非なる、単に安易であるだけの、その非本来的な派生態にしか見えないだろう。

だが、いったん〈決断〉がなされた後に、そのことによって開かれた境地を維持することの〈大変さ〉と、〈居直り〉によって始めた運動が課せられる課題の〈厄介さ〉とを比べてみると、果たしてどうだろうか。いったい、どちらがヨリ安易なものになるのだろうか。正直言って、境地を維持することの方は、やるべきことはすでにわかりきっていて、何とかそれに徹し続けてやめないようにするだけでよいのだから、後は気合や根性次第ということになる。実は、このように気合や根性に頼ることができることこそが、〈決断〉という〈難行〉というものが本質的に帯びている安易さを表していたのであって、それに対して〈居直り〉という〈易行〉の方は、絶えず深まっていく無力さや無残さを、その都度戦いの際の有効な武器に転化させることが求められていたわけだから、当然気合や根性などに頼ることなどできないことになる。また、やるべきことがあらかじめわかっていることも、原則としてあり得ない。以上のように実は〈易行〉の方が、いったん始めた後の対応が遙かに難しく面倒くさかったのであり、気合や根性で何かに徹してやり続けるという、安易な対応は決して許されないのだった。

ところで、〈決断〉をよしとする立場からは、〈居直り〉はその非本来的な派生態としか見なされないかも知れないと今述べたが、実はこの点を逆手に取って、本来的なものとされた〈決断〉からは非本来的なものとしか見なされない、いわばその〈決断〉の他者の方にこそ、逆により多くの可能性を見てとろうとする考え方がすでに色々と存在していた。最後に、そうした考え方のエッセンスをごく簡単に見ていきながら、〈決断〉の派生態としても受け取ることができる〈居直り〉というものを、〈根本語〉として、これから展開される議論の根底に置くことの意義を改めて確認していくことにしたい。

まず、本来的な状態を実現するとされたハイデガー的な〈決断〉に対して、ブランショは、決断の不可能性としての、〈逡巡〉や〈彷徨〉というあり方を対置させていた。それらが、死や消滅が無限に近づくというかたちで無限に遠ざかっていく、エクリチュールの彷徨空間というものを開いていくのだった。一方バタイユブランショとは対照的に、決断にまで至ろうとして中々至れない過程ではなく、逆にすでに決断がなされ始めた、その決断の最中の方に焦点を当てて、そこでは確固たる意志によって決断をもたらした筈の主体が、逆に〈狂気〉によって解体・消滅していってしまうことを確認した。決断しようと努力するのは確かに主体の意志であるのだが、当の決断そのものは決して意志によってもたらされることはない。それを実際にもたらしたのは、実は意志とは似て非なる〈狂気〉というものだったのであり、決断の最中はその狂気の方が完全に人を支配していたことになる。いわば決断とは、狂気が被る仮面のようなものに過ぎなかったのであり、人間がいったんその仮面を被ると、その背後に存在していた筈の、確固とした意志という人間の素顔そのものがたちまち崩壊してしまうわけだ。そして、さらにクロソウスキーになると、むしろいったん決断がなされた後の、再びそれを反復しようとする場面の方に焦点が当てられるようになり、そこでの、決断を〈反復〉することによってその一回性、真正性が浸食され、決断が上演(再現)される〈演技遊戯〉(jeu,Spiel)と区別がつかなくなっていく(「シミュラークル化」していく)さまが色々と分析されるのだった。

このように、本来的なものと見なされる〈決断〉からは非本来的とされたものを、当の〈決断〉に対置させていこうとする考え方は、すでに色々と出ていたわけなのだが、これらの考え方はまだ、たとえ実現不可能であったりすぐに自己解体してしまうとしても、〈決断〉が〈決断〉本来のあり方として存在している/できるということを想定しているままだった。ブランショの場合は、たとえ実際には実現不可能であれ、彼の言う彷徨空間の中に閉じ込められた者は、いったんは〈決断〉の実現を目指したからこそそうなってしまうのだった。ここでは、本来的な〈決断〉が目指すべきものとして存在していたり、また、人間がそうしたものをいったんは実際に目指すという事態が相変わらず前提とされたままである。一方バタイユクロソウスキーの方になると、本来的なものとされた〈決断〉が、一回、実際に実現してしまうことが素朴に肯定されていた(何と楽天的なことか)。バタイユの場合は、ただ〈決断〉は、実現した途端、〈狂気〉というその他者に変質していくだけなのだった。またクロソウスキーの方は、いったん、一回だけ本来的なかたちで実現することができた〈決断〉は、それを改めて反復しようとするときに初めて、後から〈演技=遊戯〉というその他者に変質していくに過ぎないのだった。

それに対して〈居直り〉というものは、覚悟や決意も不充分なまま、〈なげやりさ〉と〈性急さ〉によって、なし崩し的に行動に移ったり態度決定してしまうことを意味しているから、いわば〈決断〉が〈上滑り〉した状態であると言える。そこでは最早いったん〈決断〉が目指されたり、いったんそれが実現したりすることはない。〈決断〉というものが初めてもたらした筈の、行動への移行や態度決定を、本来の〈決断〉の動因となる筈の、意志の覚悟や決意がないままなし崩し的に現実化することができるようになるから、最早〈決断〉そのものが一顧だにされなくなってしまうのだ。〈決断〉の、上滑りしたお手軽な代替物としての〈居直り〉。こうした、上滑りするお手軽さ――言わば「インスタント化」と言うべきか――というあり方こそが、決してそこへは到達しないというあり方や、実現した途端に自己解体したり、さらには後から繰返すことで初めて変質するというあり方よりも、余程〈決断〉の〈非本来的な派生態〉と言われるのにふさわしいではないだろうか。

以上のような〈容易〉な〈易行〉である、〈決断〉の非本来的な派生態としての〈居直り〉を根本に据えた対抗運動が、事後的に突き当たる課題の〈厄介さ〉と、それへの対応の仕方について、これから考えていくことにしたい。

*文章の乱れや誤字脱字は、断りなく後からどんどん直しますので、あしからず。

*1:運動の初発に存在する構えはどういうものかという問題だけではなく、さらにその運動全体のモデルはどのようなものなのかという、また別の大きな問題も存在している。いわく、果たして何らかの抗議活動や体制変革を求める運動は、その全体を〈抵抗〉として捉えればよいのだろうか。あるいは〈革命〉、もしくは〈蜂起〉として捉えた方がよいのだろうか、と。この問題に深入りするのを当面避けるために、取り敢えず何らかの左派的な運動体を特徴づける際には、〈対抗的〉というニュートラルな表現を当てることにする。

*2:かつて全共闘運動が華やかなりし頃には、しきりに「主体的に自己否定せよ」と唱えられたわけだが、〈居直り〉から運動を始めると、このように主体的どころか、逆に向こうから強制的に、一種の自己否定状態にさせられてしまうことになる。ついでに言えば、全共闘運動の「自己否定」の唱導・怒号は、実は、無闇矢鱈に祝祭志向が強かった自らの姿をいわば否定しつつ肯定するための、つまり自らの正体を偽装するための、一種のねじれたふるまいでしかなかったのではないか。またこの運動自体こそが、実は〈決断〉ではなく〈居直り〉に依拠しながら始められた、史上最初の運動だったのではないかとも思えてならない。さらに言えば、そうした事情が存在したからこそ、主体的に「自己否定」を求めることによって、結果として、皮肉にも主体化とは正反対の、その中に囚われてまったく動くことができない、その意味で客体化(自己疎外化)の極限にあるような自己否定状態を呼び寄せてしまったのではないか。つまり、主体獲得の試みよって主体そのものの喪失・消失状態がもたらされるという、一種の弁証法的反転が生じてしまったのではなかろうか。小林敏明『〈主体〉のゆくえ』(講談社選書メチエ)の記述を読む限りでは、どうもこうした全共闘的な「自己否定」のパラドックスには、西田・田辺的な〈無〉の呪縛というもの深くが関わっているみたいなのだが(著者の小林自身はそのことを明確に意識しているとまでは言い難いのだけれども)、この点に関してはまたおいおいにということで…。

*3:なお、単なる嫉妬や羨望とは異なる、厳密な意味での〈ルサンチマン〉(怨恨感情)というものは、この課題の存在を否認して、自らの負けが込んだというか、負けに運命づけられたままの状態をそのまま肯定しようと目論むことから生じたものだと思われる。たとえば、負けて無力なままの状態を正当化してくれる、(「まともである」とか「筋が通っている」などのような)ありふれた道徳的・倫理的基準を勝手に想定して、私たちの方が理論的にヨリ正しく、また、敵と妥協したりせずに常に清廉潔白だから、歴史の大きな流れから見れば、実は私たちの方が勝っている、優位にあると一方的に嘯き続けるだけの状態のような。もちろん敵や、あるいは、たとえばレイシズムが蔓延している現在の反動的な状況に対しては一切妥協などしない方が望ましいに決まっているのだが、しかしだからと言って、断固として妥協を拒否する姿勢と、負けが運命づけられた自らのあり方を正当化する姿勢とが一つに結びついたままであるのは、決して健全なことではない。それゆえヨリ正確に言えば、真の課題とは、この両者をどう分離させたうえで、負けに呪縛された状態の方だけを改めていけばよいのかという点にあることになるだろう。

*4:この〈決断〉が生じる(可能になる/不可能になる)トポス、場については、後のエントリーでもう少し詳しく述べるつもり。

*5:このダメージは、「べてるの家」などの障碍者の当事者運動がこだわっている〈弱さ〉や〈脆さ〉というものと当然無関係ではないが、かと言って完全に重なるわけでもない。両者の間の異同はおいおい明らかにしていくつもり(まぁ自分の今までの言動では、「これからするつもり」と言って後で実際に実現したことはまったくありませんが・・。それでずっと信用失ってきますた・・)。