外付脳内そっ閉じメモ

脳内に澱のように溜ったものの単なる置き場デス。そっ閉じ必至。

しのぎ職場で

人事担当者から呼び出しくらった。来年度あんたの分の仕事ないよと、実質的な解雇勧告くらうのか。…結果の報告はまたのちほど。

結果報告

案の上、来年度仕事ないかも、あんたリストラ候補だよと宣告されてしまいました。正式な決定は来月とのこと。

しかし、どうせ成果主義によって人を切るのなら、もっとクールに、会社に対する、というか業務ごとに対するこっちの貢献度をちゃんとデータで示してくれよナ。仕事の「成果」というものを個々の貢献度で細かく計らずに、しょせん、こっちの生殺与奪権を握った役職の者が勝手に抱く、あいつは能力がある/ない、こいつは使える/使えない人間だという、個人の能力や人格(キャラ)に対する恣意的で一方的な思い込みやイメージだけですべてが決められてしまうみたい。「成果」というマジック・ワードがそういう思い込みをかえって正当化し、強化するものとして機能してるだけのような気がする。まあ自分は、変に欝っぽいときと変に興奮したときとが交差する、中途半端にメンヘルなキャラだからいかにも危なそうで、一回の失敗が他人よりも目立って深刻な印象を与えてしまうんでしょうけどね。だからと言って、それだけで人の仕事ぶりを評価するのはどうかと思うけど…。しかも最悪なことに、普段はデータや数字なんか重視してないのに、いざ切り捨てる段になると、(迂遠な言い方をしてすいませんが)まさに人格の評価に関わるようなデータを急に持ち出してきて、こちらに対するむこう側のネガティヴな評価の裏づけとして用い始める、という姑息な挙にまで出ることがあるらしい(あくまで人から聞いた話。自分はまだされてませんが)。

なんだかさー、会議では、偏って癖のある自説を、頑強に押し通す者の意見ばかりがまかり通ってたよなぁー。詳しい事情を知らない者からすれば、首尾一貫性があっていかにも信頼できそうに見えるから、ある意味致し方ないんだろうけど、事情に詳しい者は、またかという感じで、ただ息をこらしてひたすらウンザリしてるだけだった。これって「声の大きい者の意見ばかりが通る」という、いかにも日本的な集団のアレですよネ。また人当たりがよくて機転が利き、キャラが立って華やかな者ばかりに仕事が回され、集中していくというのも露骨だったよなぁ…。そういう者に限って、実際の実務能力に関しては?な場合が多いんですが、たとえ実務能力に長けた者が何とかそのしりぬぐいをしても、ソイツのキャラが立たなかったり、いかにも危なかったりすると、その種の苦労は決して評価されることはないんですよネ。これまた、「人当たりのよい者ばかりが出世する」という、いかにも日本的な集団のアレなわけですナ。そう言えば実際、実務能力に関しては自分よりむしろ上と思われたにもかかわらず、キャラに関しては自分よりはるかに地味でとっつき難かった者はもうかなり前に仕事がなくなっていた…。

――これ以上言うとアレなので、さらなる(より具体的な事柄に関する)愚痴は、実際の労働相談の場でぶちまけることにしマス。

※ できるだけ抽象化・一般化して書こうとしたんですが、いま読み直してみるとかなり生々しいですネ。というわけで、このエントリーはまるごと削除するかも知れません。あしからず。