外付脳内そっ閉じメモ

脳内に澱のように溜ったものの単なる置き場デス。そっ閉じ必至。

どうでもいいけど、

赤木氏の新著の目次が発表されていた。そこに「平日の日中に出歩く『不審者』としての私」という項目があったんだけど、そもそも、平日昼間ウロウロする毒喪男不審者扱い問題って、だめ連が初めて問題にしたんだよナ。また、目次のその他の項目を見ていると、若者(と言ってもおもに20代中頃以降の)をだめ扱いする社会に対して強く反発しているという点で、これまた10年前のだめ連(ブーム)と重なるな(さらに赤木氏の出てき方自体が、鶴見済氏の出てき方と重なって仕方ないんだけど)。

けど、だめ連はこんなに社会に対して攻撃的ではなかった*1。不毛な競争を強いる企業社会からさっさと「降りて」、まったりと交流しながら、かつてのコミューン志向ほど禁欲的かつ排他的になることなく、なんとなくオルタな生き方を目指しましょうよという感じだった。まあ現在の逼迫した就職氷河期世代からすれば、なんとノンビリしたことを言ってるんだということになるんでしょうけど。

また、その担い手たちの多くも(オルタ・カルチャーに深くなじんで確信犯的に就職しなかった者を除いて)、取りあえずいったん就職した後、労働の厳しさにヘタレて働く気がなくなってしまった、もしくは心身が傷ついて実際に働けなくなってしまった人たちだったから、その悩みの位相は(悩みの対象が、貧困や雇用、将来展望のなさであるという点で同一であるにもかかわらず)、一回もまともに就職できないまま、生きるために仕方なく不安定で厳しい日雇い労働を強いられている者たちのそれとは、かなり異なっていたように思う。

さらに当時もやはり、真の弱者は誰かをめぐって、人を疲弊させるだけのいがみ合いが生じていたように思うけど、そこでは、「中卒か大卒か」という階層的分断をめぐってではなく、「他者とまともにコミュニケーションできる余裕やスキルを持っているか否か」という、心の病(メンヘル)の重篤さの度合いをめぐって争われていた。まあ、だめ連の古参たちからすれば、こういうメンヘル系(当時は「ココロ系」と呼ばれた)の人たちは、メディアに出ただめ連を見て、そこで言われていた「だめ」というコンセプトをシャレではなくまとも(今風の言葉で言うと「ベタ」)に受け取ってしまった、鬱陶しい人たちということになるそうですが…。

それから、だめ連はしょせんノンセクト運動(地域にへばりついた「負け組左翼」?)の近傍から出てきたものでしかなかったから、バブル社会の狂騒に対して強く軽蔑はしていたけれども、それと戦後民主主義体制を重ね合わせて、これらを一括して「戦後レジーム」として軽蔑するような発想はまったく持ち合わせていなかった(赤木氏の場合は、こういう「戦後レジーム」に対する軽蔑が前提となっているから、いわゆるバブル世代までの「経済成長世代」に対する反発が、「戦後レジーム」が築いたとされる「虚妄の平和」というものに対する軽蔑とすぐ一つに結びついてしまい、「希望」は平和ではなく、その反対項である戦争ということになってしまうのでしょう)。むしろ、消費社会をくぐり抜けることで身についてしまった、自らの怠け癖やさぼり癖を確信犯的なものに高めていくために、ノンセクトの運動が何となく前提としていた様々なカルチャー(カウンター、サブ、DIY志向のオルタなど)にもっと積極的にアクセスして、改めてそういうものを運動内部に持ち込み直していきながら、<なまけ、さぼり、まったり>という態度を一つの政治的姿勢(アティチュード)へと高めようと試みていたと言える。

…とここまで書いてきて、自分は元ヲタでありながら、現在の若いヲタたちの、やたらシニカルで攻撃的な態度や、現在の文化シーンを覆っている、他者を見下し貶めてナンボ!という雰囲気がどうしてもなじめない理由が何となくわかってきたような気がする。一言で言えば現在の文化シーンって、自分が望んでいたのとは反対の仕方で「政治」と結びついてしまったんだよなァ。すなわち、自分が乗り越えたいと思っていた、「敵/見方」の区別にこだわって、あくまで「やる/やられる、陣地を奪う/奪われる」というむき出しの決闘の次元から離れようとしない、いわばシュミット的、クラウゼヴィッツ的で古典的な政治闘争の形態がそのまま文化の中に持ち込まれてしまい、その結果そこは、もはや、共感できる味方を見つける一方で、敵と見なされた者をひたすら貶めていくコミュニケーション一色で覆われるようになってしまった…。そして特に嫌なのは、政策の実効性や合理的な制度設計をめぐる実務的・実証的な議論が、そのためのダシとして持ち出されがちな点だ。本来はそういう議論でこそ、専門家と素人が淡々と意見交換していくべきなのに、威勢のいい主張に見られがちな実効性の乏しさや、実務面での詰めの甘さが、他者をやり込めるための格好のネタとしてもっぱら利用されるようになってしまった…。

うーん、自分にとっての(政策遂行、制度設計とは区別された)「(示威運動の)政治」とは、やはり対抗−暴力の行使によって暴力を脱臼させようとする<直接行動>か、そういう直接行動の只中で、暴力が消滅した状態を先取り的に実現しようとする<予示的政治>でしかあり得ないんだよなぁ(ちなみに、暴力が振るわれる只中で暴力を振るい返すのを控える「非暴力的抵抗」も、こういう政治形態の一部になりマス)。だから逆に、この種の対抗−暴力的な政治形態が文化の中に深く入り込んでいって、それに影響を与えることを期待していたんだけど…。やはりもうここは、シュミット的政治とガンジー的政治との間のヘゲモニー闘争を、文化というアリーナの上でキチンと繰り広げる覚悟を決めるしかないのだろうか?

*1:とはいえ、“自分のせいではなく社会のせいにするとコジれず、気が楽になるよ”などという変なリクツをつけながら、社会に対する対抗姿勢を忘れないようにはしていたけれど。