外付脳内そっ閉じメモ

脳内に澱のように溜ったものの単なる置き場デス。そっ閉じ必至。

魔がさした・続き

http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/20070910にコメントしているときは、正直言って模索中で、赤木氏の議論に対する評価はまだ定まっていませんでした。それゆえ、改めて赤木氏の論文を読み返してみたんだけど、彼の議論って、自らの窮乏の客観性をダシにして、被害者意識を強化させながらひたすら毒づいていただけだったんですね。改めて確認。しかしその姿勢に驚くべき首尾一貫性があったから、あんなにインパクトを与えることができたのでしょう。とはいえ、単なる毒づきに過ぎないから、しょせんたちの悪い挑発以上のものではなく、その意味で、やはりまともに反応すべき文章のたぐいではないのかなとも思います。正面から反応すればする程、先方がますます付け上がっていくだけになるのでしょうから。そしてそれは、赤木氏本人にとっても、とても不都合なことになるのではないでしょうか? というのは、つけ上がれば上がる程、貧困問題のありかを「経済成長世代とポストバブル世代」との間の対立に矮小化したり、左派がもっぱら「安定労働層」と結びつき、貧困労働層を軽視しているなどという、自らが作り上げた不正確で皮相な見方(というか物語)に固執せざるを得なくなっていくのですから(noiz氏がコメントで的確に指摘しているように、「『底辺』ではいつくばるようにして闘っている地域合同労組の運動に赤木氏が触れられないできた」から、左派というものをもっぱら、連合の幹部のような労働貴族としてしかイメージできないのでしょう)。

ただ、不公平な秩序をいっきにチャラにする、究極の社会流動性として「戦争」を幻視する<カタストロフィー願望>に関しては、それが広範な反響を呼んだ点だけは無視することができないですね。社会の中にそういうたぐい想像力、というか幻想が醸成されていたことを初めて明らかにしてくれたわけですから。この想像力は、退屈で未来が見えない日常をいっきにチャラにしてくれる、(中流意識を前提とした)かつての終末(ハルマゲドン)幻想とも、また最近の、問題の根源を何でも心の悩みや病に還元して、社会的観点を喪失していった心理主義的な幻想とも異なるものだと思います。こういう厄介な想像力と付き合っていかざるを得ないことを教えてくれた点が、赤木氏の議論の唯一の意義と言えるのですかね。

(補足)
とはいえ、悪意に基づく毒づきに諭しや説教でしか反応できなかった、(あくまで既成論壇上の)左派と言われる人々の無力さはやはり問題だ。そして、そういう無力さを確信犯的に際立たせようとした、赤木氏の意図はやはり尊重されなければならないのかも知れない。彼の議論に対する広範な支持は、まさにそういう意図に対するものだったのだから。……と考えていくと、やはりよくわからなくなる。というわけで、赤木氏の文章に対する評価は(も)ペンディング…。