外付脳内そっ閉じメモ

脳内に澱のように溜ったものの単なる置き場デス。そっ閉じ必至。

李珍景『不穏なるものたちの存在論』について

あかねでの読書会の告知です。


李珍景『不穏なるものたちの存在論』をわざわざ読書会で扱おうと思ったのは、一読して複雑な感慨を抱いてしまったからだった。日本では遂に実現できなかった、ドゥルーズマルクスを一つに接合した、いわばドゥルーズマルクス主義のようなものを体現できているように感じられて思わず嫉妬してしまったと同時に、やはりドゥルーズマルクスを強引に一つに切り結ぼうとすると、その代償はあまりにも大きく、問題も多くなることを改めて実感させられてしまった。

ドゥルーズマルクスの接合可能性

日本でドゥルーズ受容が始まった時期は、同時に独特なマルクス学が展開されつつあった時期でもあったため、特にラジカル左翼界隈では、ドゥルーズによって従来のマルクス主義を更新、延命させることが期待されていた。けれども、期待されたようなドゥルーズマルクスとを直接結びつける試みは遂に現れず、日本のラジカル左翼界隈が実際にドゥルーズマルクスを関連づける仕方を学んだのは、主にネグリやアウトノミア派を通してだった。ネグリやアウトノミア派は、弁証法的否定を排して肯定性の立場に徹するという、ドゥルーズのモチーフはよく継承することはできたものの、解放関心や革命への期待をかたくなに維持し続けたために、過去から未来へと社会が進歩するという、極めて近代的で線条的な時間観念をそのまま温存させることになってしまった。そのため、内在的な強度の立場に徹することによって線条的な時間を破壊し、多方向への生性変化を実現することにあくまでこだわり続けた、生粋のドゥルーズ主義者たちからは、革命待望に囚われたままのネグリやアウトノミア派は、ただ疑いの目で見られるだけだったと思う。

日本独特のマルクス学と他の思想との結びつきに関しては、↓のtweetで掲げられた図が凄く参考になる。

この図を見る限りでは、実際に成果を上げることができたのは、おもにアソシエーション論や共同体主義エコロジーとの絡みの方だったようだ。また、ドゥルーズ以外の他のポスト構造主義マルクスとの接合の方では、この図にも出てくる熊野純彦マルクス資本論の世界』というものがあるのだが、正直言って、それはかなり問題含みの書物らしい。というのは、小泉義之が強く批判していたように*1、どうもこの本は、「システムはそれが排除するものによって始めて可能になり支えられる」というパラドクスとただ戯れただけの、かなり通俗化された脱構築しか実践していないようだからだ。また他のもっと好意的な書評を見ても、他者との協働性に関わる廣松哲学の基本的な視座を、改めて検討することなく無条件な前提として設定し、もっぱらそのうえで宇野経済学の基本的な枠組を忠実に(禁欲的に?)なぞり直しただけの、殆ど独創性を感じられないものでしかないらしい。熊野のこの書物に対する廣松派や宇野派からの評判はよく知らないが、現在の廣松派は、廣松の基本的な発想を、丸山や京都学派などの他の思想家や潮流と改めて突き合わせていく思想史的な研究に傾斜しつつあり、また現在の宇野派も、宇野自身が提出した図式をグローバル化の状況に合わせて修正、精緻化していく作業に専念しているようだから、多分両派からも大して評価されてないのではないか。

以上のように日本では、ドゥルーズ(やポスト構造主義)とマルクスをダイレクトに結びつけることから得られた成果は、(意外にも?)殆ど存在していないに等しかったから、両者を結びつけることによって独自な思想を展開することができた李珍景の仕事には、どうしても嫉妬せざるを得ないのだった。

ドゥルーズマルクスを直接接合させたことの代償と問題点

李の基本的な発想は、すでに人間疎外が回復不可能な程悪化してしまった現代では、逆に人間が自己疎外を更に意識的に推し進めることによって、当の疎外を内側から克服=無効化できるというものだ。特に彼は、毒や細菌に汚染されて/感染して身体が「変調」をきたしていく現象に着目し、免疫系が更新されてその変調が受容可能になることを、ドゥルーズの言う、マイナーなものへの生性変化と重ね合わせていた。こうした発想は、希望のなさや閉塞感に徹することによって逆にそれを何とか乗り越えようととあがいてた、パンクや80年代初期のアングラ文化の中でよく見られたものである。その時代の典型的な姿勢やスタンスであるとさえ言えるだろう。ただそうなると問題になるのは、この種のパンク的なスタンスは、自らの苦しみを梃としながら、当の苦しみを生んだ社会や世界を拒絶していこうと努める、否定性を重視した立場の一種だと言えるから、苦しみを消し去って内在的強度を高めることに徹した、ドゥルーズの肯定性の立場とは大きく食い違ってしまうという点だ。

多分李は、否定性を重視する立場を意識的に選択したからこそ、その立場の代表的な論者であるブランショを好んで引用し、ブランショの思想とドゥルーズの立場とを積極的に関連づけようと努めていたのだろう。しかしながら、否定性の立場と肯定性の立場との間の決定的な違いに日本のドゥルーズ主義者たちはずっと拘泥してきたわけだから、そうしたやり方は彼らにとっては決して許容できるものにはならない筈だ。たとえ絶望や閉塞感に注目したとしても、未来のなさや出口のなさという現実にぶつかってあがき続けることから生じた、身体の生成変化の方にもっぱら関心を示し、それだけを掬い取って大胆に肯定しようとは努めるかも知れないが、だからと言って、日本のドゥルーズリアンたちは、疎外された状態をさらに悪化させてそれを極めていこうなどと扇動したりは決してしないだろう。

また李の場合、ドゥルーズの肯定的な生成変化の思想と、ブランショの否定的な漂流の思想とを一つに結びつける際の重要な参照先となっているのが、どうも『ブレードランナー』や『攻殻機動隊』あたりの、テクノロジーの過剰発達による自らのアイデンティティの崩壊に直面し、それとの関わり方がわからずに苦しむサイボーグたちの姿*2を描いたSFであるようなのだが、日本ではこの種の作品に依拠して、ドゥルーズブランショ、そしてマルクスを一つに結びつけようと試みる者など決して出現することはなかったと思う。なぜなら、左翼的発想に基づいて政治と文化を一つに接合しようと試みると、日本では、常にそうした試みを不可能にする、所謂「日本的サブカル」というものが壁として立ちはだかってしまい(もう一つの壁は、最近は陰謀論の揺籠の地と化しているスピリチュアルなトライバル志向なのだが)、左翼的な批評はその前でただ立ち止まることしかできなくなってしまうからだ。

日本的サブカルとは、簡単に言えば、社会に抵抗する姿勢を一旦美的スタイルの領域に後退させ、その領域の中で何とか維持させようと努めていた80年代初期のアングラ文化がさらに変質し、社会に対する違和感や拒絶感を、もっぱら美的洗練のための資源として積極的に活用していくようになった、日本特有の消費文化の形態のことである。『ブレードランナー』も『攻殻機動隊』も、そうした日本的サブカルの形成や発展に大きな影響を与えたエンターテインメント作品の1つでしかなかった以上*3、この種の作品に積極的に依拠しながら左翼系の文化批評を立ち上げようとする者など、日本では現れてくるわけがなかっただろう。またたとえ現れたとしても、十分な成果を上げることができないまま、すぐに行き詰まるだけだったと思われる(それでは、日本的サブカルとは明確に区別された、ローカルなストリートカルチャーに依拠しさえすれば、あるいはさらに、ストリートカルチャーの中に紛れ込んできた、日本的サブカルの要素を意識的に排除することに努めていきさえすれば、左翼的な批判性を強く持った文化批評や批評理論の構築は可能だったのだろうか?――いやいや、そんな簡単な話ではないだろう)。

どうも、李珍景のドゥルーズマルクスを一つに結びつけようとする試みの代償や問題点に関しては、そうした点を直接指摘していくのではなく、日本の文脈では彼の試みはいかに不可能であるかを、もっぱら間接的に証明するだけで終わってしまったようだ。これでは韓国の左翼特有の文脈を無視して、ただ難癖をつけるだけになってしまったに等しい。うーん、本来は日韓両左翼の文脈を突き合わせる必要があるのだが、そんなことは現在の自分には当然無理な注文だ・・

こちら側の特有の問題意識

否定性を重視する立場を復活・更新させようとすることに関心がある自分としては、肯定性の立場に立っていた筈のドゥルーズを介して、否定性の立場をあくまで堅持しようとする李の思考の手さばきは大変興味深かった。そしてそこで大きなポイントとなっていたのが、実はドゥルーズ思想に含まれている存在論的次元というものの強調だったのであり、李もこうしたものを強調している点で、まさに最近のドゥルーズ思想の存在論化の潮流(思弁的実在論や人類学の存在論的転回など)と完全に軌を一にしているのだと思う。だたドゥルーズ思想の存在論化の潮流の中には、「接続過剰か /切断・中断か」(千葉雅也)、「汎心論か/消去主義か」(スティーヴン・シャヴィロ)という重要な対立が存在しているのだが、李はこの種の対立軸を一切意識せずに、もっぱら、接続過剰で汎心論的な世界に身を委ね、そうした世界に主体が溶け込みつつ自己変容していくのはよいことだと考えているままなようだ。どうもこうした考え方の背景には、儒教的秩序に対抗してきたシャーマニズム(巫俗)を肯定的に評価するという、韓国の左翼特有の事情というか文脈が控えているらしいのだが、当然それについての考察は今後の課題ということになる。

さて自分としては、この「接続過剰か/切断か」という対立軸に、「肯定性の思想か/否定性の思想か」という対立軸をさらに重ね合わせたうえで、「切断かつ否定性」というスタンスを改めて確保していきたいと考えている(そうなると、「接続過剰かつ肯定性」「接続過剰かつ否定性」「切断かつ肯定性」「切断かつ否定性」という都合4つのスタンスが析出されることになるのだが、そこでは李珍景の思想は、「接続過剰かつ否定性」という第2のスタンスに相当することになるだろう)。他者と関係できないために、あるいはそうした状態を受容するために他者との関係自体から卒業することを求め、他者との関係を絶えず切断していく、あるいは最早絶えず切断することしかできなくなる。――こうしたあり方を拠りどころとすれば、疎外に徹することによって疎外を内側から乗り越えようとした、否定性の思想の旧ヴァージョンを更新して*4、日本的サブカルやスピリチュアルなトライバル志向を無下に拒絶したりせずに、それらと適切に関わっていく仕方も見出していくことができるのではなかろうか。ただ、こうした仕方を把握するためには、ロマン主義的な全体性をバロック的な部分増殖性に転倒させたドゥルーズ存在論を、さらにライプニッツ的な多視点主義へと読み替えていく最近の動きをもっと前に進ませて、ネオプラトニズム的な魂の自己完結主義、孤立主義へと移行する必要があると思っているのだが、それについてはまた改めてということで(多分このアイデアは、素人亜インテリ特有の妄想に過ぎないのだろうが・・)。

*1:小泉義之「物化せよ、存在者化せよ」、『現代思想』2015年1月号

*2:サイボーグもまた、人間の自己疎外の特権的な形象の1つであると言える。

*3:ここでは、日本的サブカルとオタク系文化との間の区別は不問なままにしておく。

*4:最近の否定性の思想のヴァージョンは、この疎外の徹底による疎外の自己超克という発想の他に、東浩紀の言う「否定神学システム」というものも存在する。当然この両者は互いに深く関係している。