幼稚さと絶望、あるいはそれらの分けがたさについて
前回のエントリーの続きです。
「書き込み、誰も見てくれない」
http://www2.asahi.com/special2/080609/TKY200806110311.html
ネット犯行予告、警察通報を期待
http://mainichi.jp/select/today/news/20080612k0000m040171000c.html
何この孤立スパイラル…。どうしてこんな素直な奴が孤立しなければならないのか。というより素直だから孤立してしまったのか。あるいは、孤立したからこそ、こんな素直な反応しかできなくなるのか。どうも、自殺したた女性アナは前者に、この容疑者は後者のパターンに陥っていたような気がしてならない。ちなみに容疑者が実際に物理的に孤立を強いられていたことは、すでに方々でリンクが張られていた、
人間までカンバン方式
http://d.hatena.ne.jp/boiledema/20080610
を参照(トヨタですか、やっぱりそうですか…)*1。正直言って、こんな素直な奴にはこっちも素直な共感しかできなくなる。凶悪な犯罪を犯したことに対する度し難い許しがたさと、この素直な共感との間とのギャップ、両立のし難さはもはや誰も埋めることができないのでは? せめて、このギャップに対する適切な耐え忍び方を誰かに教えて貰いたい。
*1:ちなみに、派遣労働の悲惨さに事件の背景を求めつつも、マス・メディアの認識がまだまだであるというのは、http://www.news.janjan.jp/living/0806/0806189981/1.php参照(6/20補足)。
ギブアップ、あるいはどうしようもない生真面目さについて
*一度削除したものを、訂正・加筆のうえ再アップしました。
二人の生真面目さ
基本的に時事ネタやトピックには反応しないんですが、今回だけはもうギブアップ。2週間前に自殺した、華やかな女性アナの世界を体現していたかのような某フリー・アナの、(死ぬまでは知らなかった)いかにも努力が空回りしがちな、不器用で頑なな生真面目さを知るにつけ、身近なところでいろいろ思い当たる節があったので複雑な感慨にふけっていたところ、また今回の悲惨な事件が起こってしまった。メディアからの断片的な情報では、どうやら容疑者の彼も極めて地味で目立たず、生真面目に見える者だったらしい。また識者によれば、彼のやったことは、生真面目な者の暴発として間々起こる、周りを巻き込む「間接自殺」ということだそうだ。
ミクシ日記より
友人からミクシ日記にコメントしてくれと言われたんだけど、いつもの癖で泥沼モードになってしまったので、ここを借りマス。
元の日記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=789308607&owner_id=15165943
日記の内容は一言で言えば、「クリエイティヴ・イデオロギー」という恐ろしい言葉を知ることによって、自分が蓮実重彦(ハスミン)流のハイ・アート志向、卓越性志向にどう騙されていかたかが初めて分かったという感じかナ。ちなみに「クリエイティヴ・イデオロギー」というのは、現代では多くの若者がクリエイティヴな表現欲求や自己実現欲求に駆られて、アート系の専門学校や大学に言って種々のアーティストを目指すようになったんだけど、結局はその殆どがモノにならないから、ただ底辺の不安定な非正規労働に追いやられ、バカを見るだけになるという事態を表した言葉のことデス。つまりこの言葉は、ポスト・フォーディズム体制下での資本が、若者たちのクリエイティヴ信仰を煽って言わば騙すことによって、体制維持に不可欠な、使い捨てられるだけの不安的な非正規労働者(プレカリアート)を絶えず新たに供給し続けているというカラクリを指しているわけですネ。
続きを読む〈究極の流動性としての戦争〉についての覚え書き(1)
以下で示す覚え書きは、赤木氏の例の2つの文章や、特にhizzz氏の
「とまれポモ後、個別ライフスタイル=私的ストーリィ確立がままならない者に残された唯一の大ストーリィは戦争問題で、(加戦・反戦かかわらず)それに収斂していくなんて、どーかとはおもうけど」http://d.hatena.ne.jp/ashibumi68/20070911#c1189559966
というコメントに触発されて書いたものです。典型的な屁理屈でしかないので、あまりマトモに受け取らないで下さい…(自分でも書いててゲンナリした)。
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