外付脳内そっ閉じメモ

脳内に澱のように溜ったものの単なる置き場デス。そっ閉じ必至。

出発点としての各時代の経験像

なかなかコメントがつかない。まあ更新頻度が極端に低く、またいったん更新すると異様に長いから、こんなアンバランスなものにコメントする気などまず起きないんだろうナ。トホホ…。

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以下で述べるのは、あくまで、これから様々なテクストを読むための単なる作業仮説デス。当然、資料の裏づけによって精緻化・修正したり、あるいは論理的に遡って導出原理を自覚的に取り出し、改めて議論の体系的な整合性を確保していく必要性も出てくるでしょう。

「理想の時代/虚構の時代/現実の時代」という社会学的な三区分は、大雑把に(68年以降の)70年代、80年代、(95年以降の)90年代に対応している。またそれぞれの時代は、だいたい前期と後期の二つにさらに下位区分することができる(90年代の後期は00年代と言った方がよいのだが)。それに応じて、各時代を担った世代もそれぞれ二つずつに分けられるだろう。まず、これらの世代に対するontischな経験的像(イメージ)を確認しておく。その解釈(再分節化)によって、さらに根底にあるontologischな実践様式、実存範疇を改めて抽出(再構成)していかねばならないからだ。

70年代

70年代の前半と後半を担った世代は「ラジカルさ」を求めた点では共通するのだが、前半を担った世代がもっぱらそれを政治運動の世界で求めたのに対し、後半の世代は、内ゲバの応酬を傍目で見ながら、また自らのうちに巣食う「シラケ」とも戦いながら、今度はそれを一転してエコロジー的実践による自然との共生や、身体技法や瞑想による世界との一体化のうちに求めるようになった。とは言っても、そのふるまいは生真面目で真剣なものだと単純に言うことはできない。なぜならそこには、常に、全てをチャラにして現実世界をどうでもよいものと見なそうとする、アナーキーで乾いたニヒリズムが伴っていたからだ(「シラケ」とは、その上澄みと言えなくもない)。

80年代

■80年代その1・新人類世代(60年前後生まれ)

80年代は消費社会の軽薄な時代として一蹴されがちだが、正直言ってこんな不正確な捉え方はないだろう。このイメージは余りにも浅はかなのでまったく役に立たないと言える。せめて、以下に述べるようなことぐらいは押さえて貰わなければ――。

まず、前の時代のラジカルでアナーキーな姿勢を引き継ごうという意気込みと、もはやどうにもならないという閉塞感、鬱屈感との間で引き裂かれていたアーリー・エイティーズの文化に好んで触れていた、いわゆる新人類世代たちはどんな感じだったのだろうか。彼/女たちは、前向きな投げやりさという屈折した姿勢を好んだアーリー・エイティーズのカルチャーに触れながら、もはやあらゆるものを記号としてしか受け取ることができなくなった消費社会の閉塞状態をこそ、逆に、システムにがんじがらめにされた現実から距離を取るためのよりどころにしようともがいていたと言える。現実を記号に還元していく消費社会の運動をさらに亢進させれば、現実というものが持つ鈍重さや制約から人々が解放されて、誰もが自由な精神や批判意識を持てるようになるはずだと期待したわけだ(特にパルコ文化の仕掛け人たち)*1。そこには、私たちの自由を奪うくだらない現実を拒否するラジカルな精神を、政治運動の世界から(消費)文化の領域へシフトさせることによって、それを前の時代から受け継ごうとする強い意思が存在していた(いわゆる橋本治の言う「80年安保」。ここには、70年代的なアナーキーな精神との間の断絶面と連続面との両方が存在するのだが、80年代をもっぱら軽薄な消費社会の時代としてしか捉えない者たちは、もっぱら断絶面の方ばかり強調している)。その際、閉塞した現実から距離を取るための重要な拠点とされたのが、あらゆるものを空虚な記号へと還元していくことからもたらされた、現実そのもののノイズ化や無意味化という現象だった。そうして生じたノイズや無意味なものが持つことができた、私たちを既成の発想から解放する衝撃力に対して敏感になることをこそ、新人類世代たちは求め続けたのであり、そのために彼/女たちは、自らのセンスを磨き、その鋭さを競い合うことに余念がなかったのだ。だが閉塞した世界の中で、何とかそこから距離を取って自由や批判精神を維持しようとしたギリギリの姿勢は、たちまちのうちに、生々しい現実から距離を取ってあくまでクールにふるまうただのおしゃれな格好よさに、そして、ノイズや無意味性の衝撃力や破壊力にできるだけ身を捧げようとした特有のストイシズムは、センスのよさを競い合うだけの単なる見栄の張り合い(センス・エリート競争)に変質してしまったのだが…。

なおこの世代のアクティヴィストたちは、みなが正しいと思っていることをひっくり返して視界を不透明にし、そうして人々を途方に暮れさせるのが正しいことだと信じてやまないから、基本的に議論好きでウルサイと言える。

(こういうアーリー・エイティーズ特有の、ポップでスノッブな文化的ラジカリズムの志向を、仲俣暁生ノンポリ的な「中道左派精神」と呼んで、今もこだわり続けている。また最近宮沢章夫は、そこに存在していた、ノイズや無意味なものの衝撃力にあくまで忠実になろうとするアンダーグラウンドな精神を強調してやまない[『80年代地下文化論講義』[asin:486191163X]、『ノイズ文化論講義』[asin:4861912849]]。ところで90年代に日本に移入されたイギリスのカルチュラル・スタディーズは、70年代後半〜80年代前半のパンク・ムーヴメントの中に、消費社会の只中で消費の対象を記号的にズラしながら――簒奪、横領しながら――それに抵抗していこうとする文化的実践を見出したわけだが、これと同じような記号をめぐる実践は、その階級的基盤がまったく異なるとはいえ、確かにアーリー・エイティーズの文化の内にも存在していたように思われる。ちなみに、記号操作をめぐるこのCSの理論を90年代の文化にそのまま適用すると、大きな齟齬を来たしてしまうことになる。なぜなら90年代の文化は、決して<記号>の次元で――現実を記号として受け取り、それを戦略的に操作していくというかたちで――抵抗実践を組織していたわけではないからだ)。

■80年代その2・バブル世代(60年代中頃・後半生まれ)

おしゃれさをめぐる見栄の張り合いに変質してしまった、センスの鋭さをめぐる闘争を、消費社会の狂騒と共振しながら「今ここ」を楽しむ仕方として受け取ったのが後続のバブル世代である。彼/女たちはおしゃれで格好いいと思ったものを速攻で購入し、そうすることによってとにかく「今・ここ」を楽しんでいさえすれば、とにかく人生何とかなると思っていた。いや、必死でそう思い込もうとしていた。何が何でも、自らの<気まぐれ>に忠実になって「今ここ」を楽しむことに徹すべきだし、またそうすることで実際に「今ここ」が楽しくなりさえすれば、人生それですべてOKだと思い込みたくて仕方がなかったのだ(これは、鈴木謙介が90年代の文化に見た「カーニヴァル化」、言い換えれば刹那的興奮ばかりを求めた事態とは別のものである)。

こんな生き方をすればすぐに疲れきってしまうし、また、将来の見通しが立たないから絶えず不安につきまとわれるようになる。さらに疲れて不安に駆られたまま、相も変わらず「今ここ」での楽しさを求め続けると、今度はたとえば「買い物依存」のように、楽しさを求めること自体が苦痛にしか感じられなくなる嗜癖状態に陥ってしまう。やがてこの状態もやまなくなると、後はもう、外から強引にこの苦しみに終止符を打ってくれるアクシデントがもたらす破滅をひそかに待望するか、あるいは逆に、果てしない依存をそのまま肯定できる、人間離れした途方もない強さを得られないかと非現実的な期待を抱くことしかできなくなる。

こんなことでは心身が持つわけがないだろう。そこで多くの者たちは、見通しのなさや不安をいっきに解消してくれるような、<ほんとうの私>なるものを新たに求めるようになったのである。そのため、この世代の少なからず者たちが<私探し>の罠に引っかかってコジれていったのだが、この結果、いわゆるコジれた心を持った<ココロ系>(<メンヘル系>)なるものの、輝かしい第1世代の栄誉をバブル世代は手に入れることができた。そもそも<ほんとうの私>探しがコジれて混迷するのは、そこで求められていた、気まぐれな消費の彷徨に指針と方向を与える筈の<ほんとうの私>なるものが、すでにして、気まぐれに選んで購入する商品の一つでしかあり得なかったからである。ちょうど80年代の後半に、セラピーや神秘体験そのものの商品化を推進したニューエイジ・ムーブメントが日本に入ってきたのだが、それがこのパラドックスを支えていたのだろう。

(ただし西海岸発のニューエイジ・ムーブメントそれ自身は、このようなパラドックスとはほとんど無縁である。そこでは、セラピーや神秘体験を商品として求めてやまない消費者側の確固とした欲望と、それに基づいた主体の統一性とがあらかじめ自明のものとして存在していたからだ。それに反して日本のバブル世代の者たちは、消費に倦み疲れて不確かなものになってしまった欲望そのものと、何かを欲望しない限り維持できない主体の統一性とを、セラピーや神秘体験に依拠しさえすればいっきに再建できると錯覚してしまったのである。つまり、商品を求める前提となる欲望それ自体――<ほんとうの私>――を、セラピーや神秘体験という特殊な商品を購入することを通して手に入れようとしていたわけだ。そのためこのパラドックスは、消費社会の爛熟期に生じた歴史的に一過的な現象でしかなかったと思われる。それが証拠に、90年代に入ってドラッグの再カジュアル化が生じると、こんなパラドックスはもはや一顧だにもされなくなってしまった*2。また当然、現在のスピリチュアル・ブームは、このバブル期の<私探し>ブームと区別されなければならない)。

さて、同世代の上述の混迷を傍目で見ていた一部の者たちは、消費社会の狂奔に足を掬われた以上そうなるのは当然だと考え、そこから意識的に距離を取ろうとし始めた。実はバブル世代には、こちらのスタンスを取った者が意外と多かったのである。この種の者たちは、すべてを気まぐれな選択の対象に貶めていく同時代の軽薄な風潮に、強い負い目というか罪悪感を抱いていた。そのため、それが一掃してしまった、思想信条や原理原則に忠実に従って言動を首尾一貫させる、決して妥協しない頑固な生き方を自覚的に選び取ろうとしたのである。バブル時代に政治運動を始めた者や、人生修行が伴ったマーシャル・アーツを始めた者の多くは、このタイプと言ってよい。ところで彼/女たちは、思想信条や原理原則を貫くと言っても、この姿勢が反時代的なものでしかないことをよく知っているから、決してそれらのものを傲慢に他人に押しつけることなどせずに、もっぱら自らの頑固な姿勢を確実なものにすることの方に専念していた。つまり、思想信条を貫き通すことや、そこからもたらされる、頑固な生き方や原則的な運動の創出自体を目的として、その実現に全力を注いでいたのだ。言い換えれば、そういうものを決して自明なものとして受け取るのではなく、現在ではすでに失われてしまったと見なして、敢えてゼロから再構築していこうとしていたのである。

だがこういう生真面目なスタンスを取った者たちも、「今ここ」が楽しければそれでよいという、バブル世代特有のエートスから決して自由になることはできなかった。なぜなら彼/女たちは、原理原則に忠実なハードな生き方や運動を形成していくこと自体が楽しくて仕方なかったからだ。つまりこの努力こそが、実は彼/女たちにとっての、最大の「遊び」だったと言えるのである。それゆえこの世代のアクティヴィストたちには、運動や行動を組織化すること自体に夢中になり、そのことをいつも楽しんでやまないイベンターや仕掛け人のにおいがどうしてもつきまとってしまう(また、実社会では困難になった、命を賭けた真剣勝負をヴァーチャルな世界で実現するファミコン格闘ゲームに夢中になった、オタク第2世代=ゲーム第1世代のメンタリティと共通していると言える)。

90年代(90年代後半〜00年代)

■90年代その1・団塊ジュニア世代(70年代前半〜中頃生まれ)

この世代の者たちの特徴は、一言で言えば不器用な感覚人間である。というのは彼/女たちは、自分の感覚にただひたすら忠実になっているだけであり、基本的に、自らがしっくりきたもの・ハマったもの・ピンときたもの・気持ちよかったもの・リアルだったものを黙々と追求したり、それらのことを延々とやり続ける以外のことは何もできないからだ(現実を記号の戯れと見なして、次から次へと気まぐれにその記号をえり好みしていったバブル世代のあり方と、何か特定のものに気持ちよさを感じたら、後はひたすらそれだけを追求していくこの世代のあり方との間には大きな歴史的断絶が存在している。端的に言えば<記号>から<情動>へ)。そのため、傍からはときには生真面目な努力家に見えたりするが、しかし当人たちは単に自らの実感に素直に従い、ひたすらおのれの快楽に浸っているに過ぎないのだ。それゆえ彼/女たちは生真面目な者と言うよりは、むしろ、たまたま自分がピンと来てしまったセンスやノリを絶対に手放そうとはしない、かたくなで融通が利かない連中と言った方がよい。

彼/女たちはそのようにして不器用でかたくなだから、どうしても人によって運・不運の差が大きくなってしまう。これもまた、この世代の大きな特徴だ。運がよい者というのは、たまたま自分がハマってしまったものに、なぜか実社会や周りの人間との接点が存在していた者たちのことである。彼/女たちはそいうものを黙々と追求していれば、ただそれだけで、おのずと社会的評価を得、実社会の中で居場所を見出していくことができるだろう。それに対して不運な者とは、自分がたまたましっくりと来てしまったものの内に実社会や他人との接点がなかったり、あるいは、敢えてそれらと接点がない脳内妄想を自らの楽園として選んでしまった者たちのことである。こちらの者たちがそういうものを求め続けていくと、当然実社会の中での居場所がなくなって、精神的にも物理的(金銭的)にも追いつめられていくことになる。ところで前者の運がよかった者たちは、自分がハマったものの追求によって社会的地位を得ると、「努力による蓄積は必ず報われる」などという、古臭い人生訓を必ず垂れるようになりがちだ(イチローの言いくさがその典型)。一方後者の不運だった者たちは、そういうものの追求によってキビしい状況に追いやられると(ウェブ上で軋轢を起こす、実生活でモテない、実社会で貧困層に追いやられていく…etc)、すぐに、どうせ自分はこれしか追求できないんだから別にいいじゃないかと居直ってみたり、あるいは逆に、しょせんこんなものしか追求できないから実社会からつまはじきにされるのも仕方ないさと、さっさと諦めてしまう。こうして、居直りと諦めとの間の無限ループの中に閉じ込められていくのだ。

とは言っても、この世代の者たちが、自分がしっくり来たものを黙々とやり続ければ、その努力は必ず報われると自らで固く思い込んでいるのだけは間違いない。実はこの思い込みには大きな錯覚が存在していて、たとえ報われたとしても、それは、しっくりと来たものがたまたま実社会に貢献するものだったからに過ぎないのに、当人たちは、けなげに努力し続けたこと自体がその原因だと固く信じ込んでやまない*3。そういう錯覚に陥るのは、彼/女たちが、自らがピンと来たセンスやノリに強く幻惑されていて、常にそれが、自分にとって絶対に譲れないものとして迫ってくるからだろう。それゆえ彼/女たちには、自分がハマッたものを相対化したり、そこから距離を取ることがまったくできないことになる。言い換えれば、次のようなたぐいの問いかけほど、彼/女たちにとって無縁なものはないのだ。――そもそも、どうして特定のセンスやノリが自分にピンと来てしまったのか、また、それはどういう経緯でこの私にまで送り届けられたのか、あるいは私には、それ以外のものにもピンと来る可能性があったのではないか、もしかしたら特定のものにピンと来るようあらかじめ仕掛けられていて、私はただそれにまんまと乗せられただけだったのではないか? もちろんときにはこの種の問いに引っかかり、何で私はこんなものにハマってしまったのかと、ハタと自問自答することはあるだろう。しかしそう自問しても決して懐疑が深まることはなく、すぐに、しょせん私はこれしか追い求めることができないんだと自己肯定してしまい、あるいは、これを追い求め続けることができさえすればそれでOKさと言い聞かせ、ひたすら自己満足の次元にとどまり続けようとする(こういう思考をする者たちが、ネオリベのいわゆる「自己責任」の論理に簡単に足を掬われてしまい、自分たちを追い詰める歪んだ社会に対して怒ることがないのは見易いことだろう。ネオリベ化したそういう社会に対して激しく怒ったのは、むしろ次のポスト団塊ジュニアの世代たちだった)。

ちなみにこの世代のアクティヴィストたちは、特に実効性が重要な人道支援系の市民運動家たちには、行動力があって志が高い優秀な者が多い。まさに彼/女たちは、自分がリアルに感じたことの専念がそのまま実社会への貢献につながることができた者たちの、典型的な姿と言えるだろう。一方、思想や理論にこだわった(おもに左翼運動系の)アクティヴィストたちは、基本的に、自らがピンと来た理論や思想家にひたすら忠実になることしかできないから、異なる立場に立った者たちとの対話や討論が限りなく苦手である。その代わりに、ピンと来た理論の核心をつかもうとしたり、おのれが忠誠を誓った思想家の原点を再確認したりして、その可能性をあくまで追求し続けるから、特定の理論や思想家についての質の高い解説と注釈を私たちにもたらしてくれる(意地悪く言えば、単なる勉強屋に後退してしまったと言えなくもないのだが…)。

■90年代その2・ポスト団塊ジュニア世代(70年代終わり〜80年代初め生まれ)

この世代は正確には「00年世代」と言った方がいい。その特徴は一言で言えば、前の世代が体現した<非社会性の社会性>というパラドックスを最初から自分たちの所与の現実として受けとめ、そのため実社会に対する関心が極めて高くなる(というより、最初からそれしか関心がなくなる)という点である。そのパラドックスとは、社会に対する視点をいっさい欠いたまま、もっぱら自分が気持ちいい世界を追求していたら、いやおうなく実社会の厳しい現実の中に巻き込まれてしまったというものだ。つまり彼/女たちが大きな関心を持つのは、自分がピンと来た世界を追求していたら大成功してしまった、もしくは逆に居場所がなくなって追い詰められてしまったという、実社会の中での人間の生き方の経緯そのものなのであり、言い換えれば、もっぱら自分の気持ちよさばかり求めた人間が実社会の中で辿っていく運命、もしくは、その種の人間と実社会との関係それ自身なのである。彼/女たちは、前の世代とは違ってこのように現実に目を向けているのだが、しかし、自分が気持ちよく感じた世界にドップリとハマり、それしか信じられない感覚人間であるのはまったく変わりがない。ただ興味を向ける対象が、個人と社会との関係に限定されるようになっただけだ。だがそうは言っても、この対象の変更は、自分がピンと来た世界にハマり、それのみを追求する姿勢に大きな変化をもたらさずにはいられない。多分、その変化は次のようなものだろう。

まず、前の団塊ジュニアの世代の間では、自分がリアルに感じた世界は、あらかじめすでに完璧なものとして存在していると見なされていた。それゆえ、もっぱらその<維持・反復・再現>ばかりが求められていたのである。たとえばオタク系文化の世界では、この世代が主流になると、各人ごとに微妙に異なる、狭い「萌え」の壺だけが求められるようになり、著しい細分化と、狭い世界で同じ「萌え」ポイントがひたすら繰り返されるだけの極度の様式化が生じてしまった。それに対してポスト団塊ジュニア世代は、自分がリアルに感じた世界をあらかじめ存在するものと見なすようなことは決してしない。逆にそういう世界は常に、これからより確実で完全なものへと自分たち自身で作っていかねばならないものだと考えている。つまり、実社会に対する自分の関わり方やその中での生き方、もしくは自分が生きているこの社会のあり方それ自身を(ビジネスの世界で自分が勝ち組になったり、もしくは非モテや格差や貧困などで自分たちを追い詰めていく、この社会のあり方そのものを改めていくことによって)、自らがしっくりと来て気持ちよく感じるものへと作り変えていこうとするわけだ。言い換えれば彼/女たちは、自分がハマる世界を実社会とは別のところに確保したりせず、そこでの自分の生活や、その実社会のあり方それ自身を、自らがハマれる気持ちよいものに作り変えようとしている。

ハマる対象の性質の上述のような変化に応じて、人々がハマるポイントの方も大きく変貌する。団塊ジュニア世代がピンと来てハマったのは、非言語的な<ノリやセンスや臭い>そのものの方であって、そこでは言葉というものは、あくまでその本質や構造を把握したり解明したりするための補助的なものでしかなかった。つまり、自分がピンと来た世界を他者に説明するための<理論>や、その核心を逃さずに捉えるための(社会批判的な色合いよりも、作品注釈的な色合いの方が濃い)<注釈>以上のものではなかったのだ。それに対してポスト団塊ジュニア世代の方は、対照的に言葉そのものにハマっていくのである。では彼/女たちはどんな言葉にハマるのかと言うと、それは当然、自分が実社会と気持ちよく関われるようにしてくれたり、あるいは、実社会そのものを自分が気持ちよく生きることができるものに変えるよう誘っていく言葉である。具体的には、人間はこう生きるべきだ、社会はこうあるべきだとはっきり述べる<主義主張>(イデオロギー)や、人間の本質や社会の仕組みを明確に提示した<思想信条>だったりするだろう。いずれにせよ、その言葉が表現した生き方やものの見方に従うと、気持ちよく実社会を生きることや、実社会を気持ちよいものに変えるのが可能になりさえすれば、基本的には何でもよいのである。もちろん一番素晴らしいのは、それに従うと、自分の生き方や社会を気持ちよいものに変えていく努力自体がすでにして気持ちよくて仕方がなくなる、いわば魔法のような言葉である。気持ちよくする努力自体がすでに気持ちよいという、この種の正のループ状態の中にいったん置かれると、人はそれ以降、嬉々としてこの状態以外求めなくなるのだが、実はこれが、いわゆる<アガる>と言われた現象なのだろう。団塊ジュニアの世代が、特有のノリやセンスに一方的に<ハマる>だけだったのに対し、このポスト団塊ジュニア世代は、むしろ、そういうノリやセンスを現実の只中に実現するよう促した言葉の方にハマり、さらにそのうえ、その言葉に従って現実を改めていこうとする努力自体に強い快感を感じながら、ひたすら<アガ>っていくわけだ(この世代がハマる、人々を<アゲ>てやまない言葉の典型が、果たしてヒップホップのMCの言葉であるかどうかは正直言ってよく判らない)。

この世代は実社会に積極的に関わっていくから、当然みな競争好きというか闘争好きになる。ではどういう闘争が好きかと言えば、それは、自分がハマった言葉(イデオロギーや思想)が一人の人間をどれだけ強くアゲることができ、またどれだけ広範囲の人々をアゲさせることができるかという点をめぐる闘いである。自分がハマッたこれこれの主義主張の方がより強くアガることができ、またより多くの人々をアゲさせることができるなどと言い張って、互いに自分たちのアガった状態を誇示しながら、主義や思想に宿った、人をアゲさせる力をめぐって競い合っている。ところでラジカル・デモクラシー理論の公理によれば、真理をめぐる<イデオロギー闘争>と、魅力による誘惑や、レトリックを駆使した説得に基づいた<ヘゲモニー闘争>とはあくまで別ものであり、決して両立することはない。だがここで生じている、人生観や社会観、あるいは世界認識が持つ情動喚起力をめぐった闘争はその両者と相通じているように見える。真理を主張するイデオロギーの、もっぱら人を誘惑する魅力の面に限って闘いが繰り広げられていると言うべきか。しかし実際には、この闘いは単純なイデオロギー闘争でも、ヘゲモニー闘争でも、またそのアガルマムでもない。むしろまったく新しいものだ。情動喚起力の強さが、そこではイデオロギーの真理性を保証する唯一の基準として君臨するようになったのだから。つまりより多くの人々に、より強い情動(快楽)を喚起していくことが、直接そのイデオロギーの真理性を証すようになったのである。強いてラジカル・デモクラシー理論の用語を使って言えば、これは“情動をめぐるヘゲモニックなイデオロギー闘争”と言えるだろう。

さらに闘争好きのこの世代は、ことの必然として愚か者とそうではない賢い者との落差が大きくなる。今後このことがさまざまな波紋をもたらしていくことになるだろう。ここでの愚か者とは、一言で言えば、<アガる>ことをめぐる闘争それ自体に夢中になって、勝ち負けの区別に足を掬われてしまう者たちのことだ。もともとこの闘争は、まず自分たち(のパーティやトライブやポッセ)をアガッた状態にもたらし、今度はそれを他に誇示していくという手順を踏んで行われていた。だが愚かな者たちは、自分たちがアガることよりも、そのアガり方をめぐって他の集団に対して優位に立つことの方に夢中になってしまう。つまり、他者に優位に立とうとする競争ゲームのスリルや興奮、あるいは、他者に優位に立つがもたらす優越感や万能感の方に足を掬われてしまうのだ。こういう種類の人間に限って、他の集団(パーティやトライブやポッセ)の動向が気になるとともに、それらを、「アイツらはあんなくだらない思想に基づいてパーティを主宰しているからノリが悪いんだ」などと言って軽蔑してやまない。多分“アイツらは駄目だがオレたちはいい”と、いちいち自己正当化せずにはいられないのだろう。それに対して賢い者たちの方は、アガり方をめぐる闘争に参加しながらも、黙々と自らが信じている言葉(イデオロギーや思想)を磨きながら、社会や生の仕組、あるいはそれらに対する適切な介入の仕方の認識を深めつつ、自分たちのアガり具合がより高まり、より開かれたものになるよう努めている。そのため、他の集団に優位に立つこと自体を目的とした、アガり方を誇示する競争ゲームには決して積極的に加担することはないのだ。たとえアガり具合を他に誇示する場面になっても、やはり淡々と、自らのアガり方がより強くて開かれたものになるよう工夫し続けているだけだろう*4。こうして賢い者たちは、他と競うこと自体のスリルや興奮、あるいはそこから得られる優越感や万能感に左右されることなく、寡黙に情動をめぐる社会闘争に参加し続けているのだ。そういう彼/女たちの大きな特徴は、勝ち負けの競争ゲームに夢中になることでもたらされる、ただの<興奮>と、自らの言葉を磨きながら、自分自身や社会をしっくりと来るものに作り変えていく過程に伴う<喜び>との間の、微妙だが決定的な違いに敏感な点である。

ちなみにこの世代のアクティヴィストたちは、「理論と実践の対立」というあの古典的な対立を易々と「止揚」してしまった。彼/女たちは、実践とは何の関係もない机上の空論には最初から見向きもせず、また、実践現場で培われてきた先人の知恵や経験などもまったく信じてはいない。なぜなら彼/女たちにとっての実践とは、最初から(人々をアゲさせる言葉という意味での)「理論」によって鼓舞されなければ少しも存在することができないものだったのだから。それゆえ理論が実践の只中から(言い換えれば、それをよりよいものにしようとする努力の中から)生まれ、たえず実践の中に、それを実際によりよくするというかたちで理論がフィードバックされていくのは、彼/女たちにとってはきわめて当然な事態なのだ。

3つの政治

以上、3つの時代に属する6つの世代の経験像を大急ぎで見てきたわけだが、その6つのものはそれぞれ2つで一組ずつになって、いわば<運動‐政治>と<文化‐政治>と<快楽‐政治>をめぐって動いてきたことになる。

まず、70年代の前半を担った世代は<運動>によって、つまり、動いて働きかけることを通して人間や世界を変えることによって、<政治>を、すなわち社会の変革を遂行しようとした。こういうかたちでの政治のあり方は、この世代にとっては自明なものだったのだが、70年代後半の世代(「シラケ世代」と言えばよいのか)になると、この<運動−政治>の形態が、観念的で硬直した人間や暴力の応酬しか生まなかった点が強く問題視されるようになり、そもそも<運動>とは、つまり、動いて働きかけることを通して人間や世界を変えていくこととは、それ自体としていったいどういうことなのかが掘り下げられるようになった。そこでは、動いて働きかけることの担い手である<身体>それ自身のあり方や、人間や世界が変わる過程に伴う<意識>そのもののあり方が探究されていったのである。<政治>から撤退したこういう姿勢に対して、当然70年代前半の世代は、現実逃避に過ぎないと強く批判していた。また批判された側も、これまた当然、前の世代はすべての問題をただの<政治>闘争に還元して、その意味やあり方を問い直そうとしなかったから、激しい権力抗争に巻き込まれて思想の硬直や暴力の連鎖を防ぐことができなかったのだと、激しく応酬してやまなかった。70年代を構成した二つの世代は、このように<政治的>であることをめぐって強くいがみ合っていたのだが、<運動−政治>というもの豊かにするためには、そのいがみ合いを越えて、70年代後半の世代がいったん非政治的領域に撤退することで追求した、<運動>(身体、意識)そのものをめぐる(いわば秘教的な)探究を、再び公的な白日の<政治>のもとに引き出してくる必要がある(心理学と政治学の区別を無効にしようとするアーノルド・ミンデルの実践[『紛争の心理学』[asin:4061495704]]は、こういう試みの一例と言えるだろう)*5

次に80年代前半の新人類世代は、自己閉塞的な消費文化の狂騒のうちに、逆に人々を解放し自由にさせるための拠点を見出そうとした。その狂騒は、あらゆる現実を浮遊する記号に還元し、そうすることで否応なく人々をその渦に巻き込んでいったのだが、そこに存在した、亢進する記号化の運動を逆用しようとしたわけである。これはいわば、文化による政治、もしくは記号を操る政治と言うことができる(<文化‐政治>、<記号‐政治>)。だが残念ながら、この政治の可能性は ――特に80年代的なフェミニズムの領域などにおいて―― 一瞬垣間見られただけで終わってしまった(詳しくは別の機会)。そのため、現実が記号に還元されることに批判的・政治的意味を読み込もうとする新人類世代と、すでに記号に還元され尽くされた、消費社会の大騒ぎに翻弄されていた80年代後半のバブル世代の間には、コミュニケーション・ギャップが存在している。端的に言えば、バブル世代からすれば、真面目だか不真面目だかよくわからない、消費社会に対する新人類世代特有のこだわりがまったく理解できないのだ。消費行動に対するこの世代特有の屈折した関わり方を見るたびに、単純に割り切って遊び楽しむことに徹すればよいのにと、いつもイライラさせられてしまう。<文化(記号)−政治>というものを豊かにするためには、やはりこの両者の間のコミュニケーション・ギャップを乗り越えて、現実の記号化に政治的意味を読み込もうとした新人類世代のこだわりと、記号の戯れに翻弄され続けたバブル世代特有の経験とを改めてつき合わせていく必要があるだろう。

一方、90年代後半(00年代)のポスト団塊ジュニア世代は、1つ前の団塊ジュニア世代が社会性も政治的意識も持つことができないまま、実社会に翻弄されるがままになっていることを見るのが耐えられない。ただイライラさせられるだけだ。そのため彼/女たちは、すぐ前のこの世代を強く軽蔑しつつ、社会の中で、もしくは社会に対して自覚的に闘うことを選んだのだった。ここに見られるのは、自らの快楽(情動)に忠実になることによって社会性を喪失していくことと、逆に快楽に忠実になることによって社会性を獲得していくこととの間にある対立と言えるだろう。言い換えれば、<快楽>そのものの純粋な追求と、<快楽>に基づいた社会活動との間にある対立である*6。<快楽−政治>というものを豊かなものにするには、やはりこういう対立を乗り越えて、<快楽>による政治を、自らの<快楽>にあくまで忠実になろうとするディープな生き方のうちに、改めてきちんと基礎づけていく必要があると思われる。

*        *        *

次回は以上の各世代の経験像をもとにして、より議論の抽象度を上げるかたちで、各時代に無自覚なままに生きられすぐに消えてしまった、よりよい生のかたち(実存様式)や、あるいは、かすかに垣間見られすぐに忘れ去られてしまった、よりよい社会イメージ(社会構想)を救出(再構成)していきたいと思っている。

(※ 文章がヒドかったので、いろいろ細かく直しました〔主旨は一切変えてません〕。文章力のなさは、もう今生では如何ともし難いので諦めているのですが…。9/2記)

*1:なお、この考え方とD‐Gの資本主義論との異同に関してはきちんと総括する必要がある。

*2:ただし、90年代の初頭に流行ったサイバー世界でのテクノ神秘主義は、このニューエイジの延長上にはあるけれども、また別のものとして考えねばならない。

*3:目の前の小さな日常を真剣に生きることが、そのまま宇宙そのものの命運とつながっていく<セカイ系>の作品群が、こういう考え方を正当化するものとして機能しているかどうかは定かではない。

*4:こういう賢い者たちの条件こそが、東浩紀の言う、ゲームの中のキャラクターの視点と、ゲームをするプレイヤーの視点との間のズレに自覚的な「ゲーム的リアリズム」であるのかどうかは定かではない。それは下手をすれば、メタ意識の視点を獲得した自らを誇るだけのものになりかねないとも思うが…。

*5:もちろんこれは、私的領域の内部に政治的力関係を読み込もうとしたミクロ・ポリティックスや、<政治>の中心問題を、生命や自然への関わり方としての<生活>の問題へとシフトさせた、ライフ・スタイル・ポリティックスの延長上にあるものである。というより、それらの志向をさらに徹底させるものだ。

*6:この対立をよく示しているのが、宇野常寛ゼロ年代の想像力」(『SFマガジン』連載中)の議論である。彼の言い方に従えばそれは、「95年の引きこもりの思想」と、「9・11以降のバトルロワイヤル状況」との間の対立となる。彼は前者を強く貶め、後者を持ち上げようと努めるのだが、その一方で単純に後者を擁護しているわけではなく、「バトルロワイヤル状況」を生きるポスト団塊世代(彼の言い方によれば「00年代前半」世代)固有の弱点である、勝ち負けのゲームがもたらす、幼稚な自信過剰や誇大妄想にすぐ足を掬われてしまう点に注意を促している。彼としてはこの弱点をさらに超えて、どうやら、真の敵である、環境管理を司るデータベース権力との戦い方を突きとめていきたいようだ。