外付脳内そっ閉じメモ

脳内に澱のように溜ったものの単なる置き場デス。そっ閉じ必至。

知識人と群衆、あるいは左派亜インテリ

菅原潤『弁証法とイロニー』(講談社選書メチエ、2013年)読了。自分がひっかかっている左派亜インテリの問題と、30年代における、知識人(芸術家)と群衆(大衆)との間の異同をめぐる思索、問題設定が直結してることがよくわかった。この本の著者によれば、ヘルダーリンとシュレーゲルの影響を強く受けた若き保田與重郎は、知識人=芸術家が愚劣な群衆を見下し、それを乗り越えようとして、却ってその群衆に復讐されるかたちで没落してしまうという点に一貫して固執していたそうだ。その没落こそ、逆説的な仕方で芸術家の崇高さ=勝利を証すのだが、しかし同時に、没落はしょせん愚劣かつ矮小で目も当てらない状態しかもたらさないから、軽蔑していた群衆と自らが実は同一の存在だったという事実が突きつけられてしまうことでもある。保田が使う「内なる大衆」という表現の意味は今一つ曖昧なところもあるのだが、著者である菅原は、それはどうも、自らの存在との同一性が明かされた後者の群衆のあり方を指しているのではないかと推測していた。

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