外付脳内そっ閉じメモ

脳内に澱のように溜ったものの単なる置き場デス。そっ閉じ必至。

「自分探し」と「承認欲求」に関するメモ

「自分探し」や「承認欲求」という言葉は、多くの人間がそうしたものに囚われているという事実を確認する際の社会学的な記述概念としては確かに適切なのかも知れないが、しかし、どうしてそうなってしまったのかを分析する際の社会科学的な分析概念や、あるいは、ではどうすればよいのかを検討する際の哲学的な操作概念としては、やはり不適切だと思う。

「自分探し」と〈感性〉

そもそも「自分探し」とは、価値観が多様化したりあらゆる規範が不確かなものとなった高度消費社会の状況の中で、一人ひとりが自らの〈感性〉というものを覚醒させ、それを柔軟なものにすることよって、一つの価値観に強くコミットしたり、特定の規範を内面化したりせずとも生きていけるようにした試みの挫折の結果、初めてもたらされたものではなかったのではないか。言い換えれば、研ぎ澄まされて柔軟になった自らの〈感性〉のみに依拠することよって、多様な価値観が衝突してやまず、また確固とした規範が存在しないままのアノミー状況にうまく適応していくとともに、その中をしたたかに生き抜こうとする試みが失敗した結果、そこから撤退し、その試みに蓋をするためにこそ、「自分探し」や、その変種である「ありのままの自分の肯定」というものが召喚されたのではないだろうか。

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