外付脳内そっ閉じメモ

脳内に澱のように溜ったものの単なる置き場デス。そっ閉じ必至。

メモⅦ :Qアノンとオウム真理教

アメリカの連邦議会になだれ込んだQアノン信奉者や白人至上主義者たちの生態を解説した↓の記事が面白かった。

natgeo.nikkeibp.co.jp

その中でも特に気になったのが次の指摘。

「まず、彼らのやったことがどんなに激しい暴力であったとしても、ふざけた格好をしているだけで、その政治的立場に賛同する人々に『あいつらは本気じゃないさ』と言わせる効果があります。被害者にしてみたらたまったものじゃありません」とレイビン氏は言う。

「『ふざけていただけだよ、な?』で済ませようとするんです。プラウド・ボーイズ(トランプ大統領を支持する白人至上主義者のグループ)が『自分たちはただの飲み友達だよ』というように。そんなわけがないでしょう」

「ふざけた格好をしている」

連邦議会になだれ込んだ者たちは、様々な歴史的シンボルや宗教的シンボルをパッチワークした、はた目から見ればまさに「ふざけた」ようにしか見えない、キッチュ感満載の格好をしていた。特にここで注目したいのは、当人たちもそうしたことを強く自覚していて、自分たちは「ふざけた格好」をしていると明確に認識していた点だ。最近、同じように陰謀論に駆動されていたという点に注目して、Qアノンとオウム真理教を重ね合わせる議論がよくなされているが、しかしこの点で両者には大きな違いがあったのではないか。

オウム真理教の信者の格好やパフーマンスは、張りぼて感丸出しで、まさに「ふざけた」格好をしていたのだが、しかし当人たちはその事実に対しては無自覚で無頓着なままだった。そのため識者たちは大きな衝撃を受け、はた目からは「ふざけた格好」をしているように見えるけども、当人たちはいたって真剣だったという、このギャップの特有の構造や由来を解明しようと努め始めたのだった。

虚構の時代の果て

そう努めた者の一人である大澤真幸は、そこに「虚構の時代の(なれの)果て」というものの現れを見て取り、それをきっかけにして自らの歴史観を明確に打ち出していくことになった。1970年代になると、現実の延長上にあった「理想」よりも、現実と断絶したままの、空虚な記号の集積だけからなる「虚構」の方にむしろリアリティや生きている実感を覚え始めた、新たな時代の感性が登場してきたのだと。彼によれば、これが「虚構の時代」という新しい時代が成立したことのしるしなのである。やがてその成立からおよそ25年経ち、遂にオウム真理教が悲惨な事件を引き起こすに到ったわけだが、この事件は、現実よりも虚構の方に感じるようになったリアリティを、そのまま現実世界の中で実現させようとする試みが改めて生じるようになったことを示している。だがこの種の試みは、現実世界それ自体を破壊して、現実を丸ごと虚構に置きかえようとするから、どうしても暴力的なものにならざるを得ないのだった。

大澤はこう指摘したうえで、さらに次のように主張していく。虚構世界に感じていた強いリアリティを、現実と虚構の間の断絶に耐えられなくなってそのまま現実世界に持ち込もうとすることが起きたのは、まさに「虚構の時代」がその限界点に達し、それが終焉し始めたからだ。今後は、空虚な記号世界の中で培われた強いリアリティを、その空虚な姿のままで現実世界の中で再現しようと努める、最初から実現が不可能な試みが頻繁に行われるようになるだろう。そしてそれは、次の時代である「不可能性の時代」、「空虚の時代」への新たな突入を意味するのだと。

大澤のこの分析を当時聞いた際にはあまりにピンと来なかったのだが、しかし、その後ゼロ年代のさまざまなカルチャーについての議論を知るに及んで、やはり彼の言うように、95年をきっかけにして時代は大きく変わったのだと実感するようになった。だがそれと同時に、大澤の分析というか歴史認識が不正確だと感じ始めたのもまた事実である。

「現実」の対義語によって規定される時代区分

もともと大澤真幸が「虚構の時代」や「不可能性の時代」という言い方をするようになったのは、彼の師匠である見田宗介が、現実の対義語によって時代ごとの特徴が規定できると主張したからである。具体的には見田は、「理想の時代」、「夢の時代」、「虚構の時代」という時代区分を提案していた。「夢の時代」というのは1960年から1973年(連合赤軍事件が起きた年の翌年)までの時代に対応していて、その特徴は大雑把に言えば次のようになる。

「理想」の実現が遠ざかってそれが単なる「夢」に後退してしまった当時の状況のもとでは、理想が実現できないことに対する失望を乗り越えるために、敢えてその夢と積極的に関わりながら現実世界を生きようとすることが新たに試みられるようになる。より詳しく言えば、理想実現の見込みの喪失によって強まり始めた、非現実的な夢への憧憬や期待を、単なる理想を超えて当のその夢をいっきに現実化させる(地上に実現させる)ための動力源へと思いきって反転させることが模索されるようになったのだ。憧憬や期待の中に込められていた強いエネルギーをいったん取り出して、改めてそこにうまく注入し直していけば、非現実的な夢への無力だった憧憬や期待を、その夢を現実化できるような強靭なものへと高めていくことができると思われていたのだろう。いわば、憧憬や期待の反省的にべき乗化された強化形態が希求されていたのだと言える(見田――というより真木悠介――はこうした「夢の時代」特有の模索を、特に70年代前半に盛り上がった各種のコミューン運動のうちに見て取っていた。それらの運動は、最近の言い方をすれば、いわゆる「アシッド・コミュニズム」に該当するのだろう)。

以上のような見田の「夢の時代」というものの見立てやそれへの強いこだわりに対して、大澤真幸は、非現実化した理想への憧憬が強まった「夢の時代」などというのは、しょせんは70年前後の混乱期に一時的に成立したもの過ぎず、(単なる「消失する媒介者」でしかない)ただの過渡期でしかなかったのだと批判した。そのうえで、それを一つの時代として立てることを退け、「理想の時代」からいっきに「虚構の時代」へと飛ぶ、彼独自の移行図式を新たに提示していく。また各時代の期間も、見田がおよそ15年と見ていていたのに対して(「理想の時代」:1945年‐1960年、「夢の時代」:1960年‐1973年、「虚構の時代」:1973年~)、もっとスパンを長く取って、一つの時代はおよそ4半世紀続くとしたのだった(「理想の時代」:1945年‐1970年、「虚構の時代」:1970年‐1995年、「不可能性の時代」:1995年~)。

確かに大澤の言う通り、見田が立てた「夢の時代」というものは、時代が大きく変化するときにほんの一瞬現れただけのものに過ぎなかったのだろう。また、一つの時代のスパンを約15年ではなく25年とした方が、実際に色々と腑に落ちるところも多かった。とはいえ、「虚構の時代」の次に来る時代を「不能性の時代」と名づけたことに対しては、自分としてはどうしても納得できなかった。見田宗介が立てた「夢の時代」が単なる過渡期でしかなかったなら、大澤が提示した「不可能性の時代」というものも、同じように別の時代に移り変わる際の、ごく限られた期間の特徴を示したものに過ぎなかったのでは? 「不可能性」や「空虚」という言葉は、オウム事件に伴う混乱が生じていた、95年前後の短い期間の特徴を指すものでしかなかったのではないか?

夢へと後退した理想を、思いきってそのまま現実化させようとする試みが困難だと人々が気づいたことによって、理想ではなく虚構の方にリアリティを感じるようになったのと同じような、大きな感性の変化がむしろ起きたのではないだろうか。虚構という空虚な記号の世界の中で培われた特有のリアリティを、空虚なままで現実世界に実現させようとすることなどしょせん不可能だと気づかされたために、人々はそうした不可能な試み以外のものを、そして虚構以外のものを新たに求めるようになったのではないか。

「虚構の時代」と「妄想の時代」

それは端的に言えば、極私的な「妄想」や「空想」というもののことである。95年以降の時代は、人々は新たに、極私的な妄想や空想に基づいた、個的で身もふたもない快楽(「自閉症的享楽」)の世界に浸るようになり、それにひたすら溺れ始めたのだと思う。だからこの時代は「不可能性の時代」や「空虚に時代」ではなく、むしろ「妄想の時代」や「空想の時代」と名づけた方がより適切だったと思われる。そしてこの「妄想の時代」における妄想と現実の関係は、「虚構の時代」における虚構と現実の関係と一見同じもののように見えるのだが、実際にはまったく異なるものなのだった。この点は看過されがちだから、少し詳しく見ていきたい*1

虚構と現実

虚構世界は現実世界から断絶しているが、しかしそうであるがゆえに、両者は互いに冷ややかなまま並存することができる。この二つの世界で感じられるリアリティや充実感はまったく別のものであり、従って二つの世界を区別していくことはあくまで可能だ(すぐ次に述べるように、現実とそれと対立した世界との間で混同が起こりがちになるのは、むしろ妄想との関係の方である)。とはいえ、虚構世界の中でばかりリアリティや生きる実感が得られて、現実世界に対してはそうしたものが殆ど感じられなくなると、その落差に耐えられなくなって、虚構世界に親しむことによって培われた強いリアリティを、そのまま現実世界の中でも実現しようと企てる者たちが新たに出てくる(大澤の言う「虚構の時代」から「不可能性の時代」への移行)。

そうした者たちは、オウム真理教信者のチープで陳腐なパフォーマンスがその典型なのだが、虚構世界を成り立たせていた、空虚な記号の連なりを現実世界の中でそのままのかたちで、というよりその張りぼて性がより剥き出しになったかたちで再現しようとする。しかも彼/彼女たちは、自らのパフォーマンスの陳腐さや張りぼて性にはあくまで無頓着、無自覚なままだったのであり、いやそれどころか、むしろ、パフォーマンスが余計な虚飾を排したできの悪いものであるほど、虚構の中で培われたリアリティの強度がより純粋に実現されるようになるとすら感じていただろう。つまり、自分たちのパフォーマンスが陳腐で空虚であればあるほど、空虚な記号の世界で育まれたリアリティが、より純粋に現実世界の中でも実現されることになるわけだ。――「ふざけた格好」をしているように見えるけども当人たちはいたって真剣だったという、オウムの陳腐なパフォーマンスのうちに識者たちが見た謎の正体は、大澤の分析枠組に従って言えば、だいたいこのようになるだろう*2

妄想と現実

一方、妄想世界と現実世界との関係は、上で見たのとはまったく別のものになる。まず妄想世界は虚構世界とは異なって、現実世界と並存できるようになったりはしない。妄想に耽溺して強いリアリティが感じられるようになると、その鮮明さの度合いが増すため、妄想がそのまま現実にも存在すると錯覚しそうになる。しかし同時に、そうした鮮明さは、自分の極私的な空想に内閉することによって初めて得られたものでしかないことも知っているから、鮮明な妄想がそのまま現実にも存在するわけはないと強く意識しもする。こうして妄想世界と現実世界との関係は常に不安定なものになり、妄想世界に強いリアリティを覚えた者は、両者の間の緊張関係に絶えず悩まされるようになる。

虚構世界に親しんでそこに強いリアリティを感じている者の場合は、虚構世界のリアリティの強さと現実世界のリアリティのなさとの間の落差に苦しむようにならない限りは、こうした二つの世界の間の対立関係に遭遇することはない。虚構と現実との間は断絶しているため、2つの異質な世界同士の冷ややかな並存がある程度までは可能だったからだ。それに対して、妄想世界に耽溺してそこに強いリアリティを覚えた者は、両立が困難な二つの世界の間でどう折り合いつけ、両者の間の関係をどう安定させればよいのか、普段から頭を悩まされることになる。妄想と現実は常に敵対関係にあり、絶えず両者の間で調停が必要になるからだ。そのため、現実世界から(心理的に、あるいはときには文字通りに)一方的に撤退することによって自分の妄想世界を温存しようと試みたりするのだが、それではあまりにも生きづらくなるため、似たような妄想を抱く者たちと現実世界の中で徒党を組んで、自らの妄想を疑似的に社会化(公共化、共有化)していくことで何とか折り合いをつけようとする。もちろん、そのようにして形成される社会性はあくまで疑似的なものに過ぎないから、そこではいつまでも人とのつながりや共同性の形成がうまくいかず、それらが常に解決されるべき課題として掲げられ続けることになるのだが*3

だが、こうした対応では満足できなくなるときがやがて訪れることになる。現実世界よりも妄想世界の方により強いリアリティを感じるようになって、二つの世界の間のリアリティの落差に耐えられなくなる者たちが出てくるからだ。「虚構の時代」について論じた大澤真幸の言い方に倣えば、まさに「妄想の時代の果て」の時代の到来である。ただし、そこでの妄想と現実との関係は、やはり「虚構の時代の果て」である「不可能性の時代」における虚構と現実との関係とはかなり異なるものになるから、同じく注意が必要になるのだが。

オウム真理教の暴力

虚構と現実とは断絶した状態にあり、互いに無関心なまま並存していた。そのため虚構世界に対する強いリアリティが現実世界の中に改めて持ち込まれる際には、虚構の本質であった空虚さを伴って、何の脈絡もなく唐突に現れることになる。すでに述べたように当時の識者たちは、オウム真理教のパフォーマンスのチープで「ふざけた格好」のうちにこうした動きを見て取り、強くとまどったのだった。当然次の一歩も、似たようなものになるはずだ。現実の中に虚構(記号)の空虚さが持ち込まれたならば、その次に来るのは、現実それ自体を暴力的に破壊して、それを空虚さの中に消滅させていこうと試みることである。こちらの暴力が伴う実践もまた、きわめて唐突なものになるだろう。実際にオウム真理教が行使した数々の暴力の実態は、後先を考えた何の戦略も存在しない、ただその場しのぎの行き当たりばったりのものでしかなかったのだった。この事実を突きつけられて識者たちは深くあきれたと同時に、後にはただ、釈然としない思いだけが取り残されていくことになる *4

「妄想の時代」から「無謀の時代」へ

一方妄想と現実の方は絶えず敵対し合い、常に緊張関係の状態に置かれていた。そのため妄想世界に対する強いリアリティが現実世界の中にせり出してくると、現実世界(の事実)を妄想世界(の論理)に強引に従わせようとしたり、あるいは、現実世界の只中に妄想世界を無理やり実現させようとする新たな動きが生じてくることになる。こうした動きが出てきたことは、妄想と現実との関係がすでに臨界点に達し、「妄想の時代」が、次の時代である新たな過渡期に移行したことを示しているのだろう。それでは、その時代を何と名づければよいのだろうか。

かつて大澤真幸が、虚構と現実との関係が臨界点に達した「虚構の時代の果て」の時代を「不可能性の時代」、「空虚の時代」と名づけたのに倣って、到来し始めた新たな「妄想の果て」の時代を、とりあえず「無謀の時代」、「無理の時代」と呼んでみたい。とはいえ「無謀」や「無理」という言葉は、「現実」の対義語としてはあまりふさわしくない。しかし大澤も、虚構の本質である空虚さを現実の中に実現させ、現実をそれにとって変えようとした試みのうちに、「不可能性」や「空虚」という、現実の対義語とは言いきれない特徴を見て取っていったのだった。それと同じように、現実世界を妄想世界に従わせようとする企てのうちに、「無謀」さや「無理」さという、これまた現実の対義語としてはそぐわない特徴を読み取っても別に構わないだろう。現実世界を妄想に強引に従わせようとするのはいかにも「無謀な」企てでしかなく、また現実の只中に空想的な妄想世界を実現させようとすることなど、土台「無理」な話でしかないからだ。

「ふざけた格好」と認知的不協和

この「無謀な時代」の特徴を体現していたのが、冒頭に引用された記事でその生態が紹介されていた、荒唐無稽な陰謀論を信じ込んでいるQアノン信者や白人至上主義者たちなのだろう。彼らの大きな特徴は、「不可能性の時代」の特徴を体現していたかつてのオウム真理教信者とは異なって、自分たちが信じ込んでいる陰謀論まみれの妄想世界と、実際の現実世界との間の齟齬や軋轢をよく自覚していたという点だ。また、現実世界の中では周囲の多くの者から、自分たちが信じているものが荒唐無稽で「ふざけた」ものでしかないと思われている事実までをもしっかりと認識していたのだった。

もちろん、自分が信じていた空想的な世界がそのまま現実化していると錯覚して、妄想と現実との区別がすでにつかなくなっている者も実際には多かっただろう。しかし、その錯覚はすぐに裏切られることになる。彼らが信じている予言や予測は実際にははずれる場合が多い、というよりほとんど当たったことなどなかったからだ(去る1月20日も、Qアノンの予言とは異なって特に何かが起こることもないまま、バイデンがつつがなく新大統領に就任したのだった)。通常は、自分たちが固く信じていた予言がはずれると、そのことによって生じた深刻な認知的不協和に耐えられなくなって、いっきにほとぼりが醒めていく者と、逆に強い防衛反応を示して、かえって強く自分の妄想的な世界観を強く信じ込んでいく者へと両極化していくのだが、Qアノン周辺ではそうしたきれいな両極化はあまり起きていないようだ。多分、Qアノンの運動を下から支えてきた白人至上主義者たちの界隈では、自分たちが信じた妄想的な予言がはずれることなど昔から当たり前だったからなのだろう。あの界隈では、予言がはずれることなどあらかじめ折り込み済みであり、またそのことへの対応の仕方もすでに確立されているのではないだろうか。1月20日の予言がはずれて動揺しているQアノンの新たな信奉者たちは、次の段階(トランプに対する弾劾裁判が始まる2月9日以降?)に備えてどうもそうした仕方をすでに学び始めているような気がする。

白人至上主義者たちの暴力

ここで冒頭で引用した、わざと「ふざけた格好」して相手を油断させたり言いわけしながら暴力をふるい続けるという、白人至上主義者のふるまいの特徴に対する指摘が大きな意味を持ってくる。白人至上主義者たちは、自分たちの信念が、現実世界の中では荒唐無稽な「ふざけた」ものにしか見えないと百も承知していた。しかも、意識的に周囲にそう見えるようにふるまうことまでしていた。そのようにする理由は、もちろんそうした方が暴力がふるいやすくなるからなのだが、ではそれでは、なぜ彼らはそもそも暴力などふるい続けるのだろうか。当然、暴力を通して怒りや攻撃性を発散させるという側面もあるだろう。しかしそれだけではなく、現実世界の中で暴力をふるい、自分たちの存在を誇示することを通して、自らが信じている妄想世界を無理やりにでも現実化しようと彼らは努めていたのではないか。

自分たちが強いリアリティを感じていた陰謀論やそれに伴う予言は、現実世界の中では荒唐無稽で「ふざけた」妄想としてしか存在することができず、実際に周囲の多くの者たちからもそう見られていた。この事実を突きつけられ続けた白人至上主義者たちは、それを逆手にとって、わざと「ふざけた格好」をして周囲を油断させながら暴力をエスカレートさせていくようになったのだった。そのような道を選んだのは、暴力のエスカレートを通して、自分たちの妄想を無理やりにでも現実の中に実現させていくしかないと、彼/彼女たちが考え始めたからなのだろう。この暴力のエスカレートのさせ方がいったん行動パターンとして確立されてしまうと、たとえ自分が信じる予言が外れて妄想でしかなかったことが暴露されたとしても、特に慌てることはなくなり、逆に、だからこそこの妄想を強引に現実のものにしていくしかないと思い始め、より確信を強めて暴力をふるっていくようになるはずだ。またこうした暴力をふるい続ける者は、一種のゲーム感覚に浸りながらそうしていることも予想される。妄想と現実とのあわいに身を置きながら、絶えずその両者の間を行き来したり、あるいはそれらのその都度の新たな結合を見出したりするのは、とても楽しくてわくわくする経験なのだろう。まるで、自分たちの尊厳がいつまでも回復されない現実世界はクソゲーに過ぎないと見限ったうえで、今度は、自分たちの妄想を無理やり現実化させようとするムリゲーに新たに手を出して夢中になっているかのようだ*5

現在は、(特に1月20日の新大統領就任式に関わる)予言が外れたために混乱しているQアノンの信奉者たちは、以上のような年季の入った白人至上主義者たちの行動様式を学んでいる最中なのだろう。その学びが一段落して、たとえ予言が当たらなかったり、自分たちの信念が荒唐無稽な妄想に過ぎないと周囲からさげすまされたりしても揺らぐことなどなくなれば、白人至上主義者たちがふるってきた暴力の戦列に、彼/彼女たちは新たに積極的に加わり始めるのだろう。すでに多くの者が懸念を表明しているように、当然これは憂慮すべき事態である。

QアノンとVtuber

なお唐突に話は変わるが、以上のような、現実と妄想のあわいに身を置いて、両者の区別が不確実化したり混触したりするさまに興じていくというのは、最近のVtuberのカルチャーにも共通して見られるものである。このカルチャーにハマる者たちは、Vtuberアバター(いわゆる「ガワ」)に最初に設定された仮想のキャラと、それを演じるキャスト(いわゆる「魂」)が元から持っていた、生身の人間の性格とが相互に影響し合って、最初に設定されたキャラでも中の人の実際の性格とも異なった、第3のキャラクターが生成していく過程に強いリアリティを覚え、それに熱中していくのだった。ここでは、アバターにあらかじめ設定された、いかにも美少女、イケメンらしい仮想の定型化されたキャラが「妄想」に相当し、また演じる人間が元から持っていた実際の性格が、「現実」に相当しているのだろう。そして、その二つのものが相互に影響を与えながら後から生成されていく、Vtuberが新たに持つようになった第3のキャラクターこそが、まさに妄想と現実のあわいに存在し、両者の区別を不分明なものにしていく何かに当たるのだと思われる。その何かの中では、現実と妄想という本来敵対関係にあったものが、不安的なままかろうじて共存、結合するようになるのだが、その結合の様態や結合する際の論理がいつまでも説明できずに謎のままに留まるという点で、Vtuberが生成させる第3のキャラクターは、キリストの「受肉」にすら似ていると言えるかもしれない(この点についてはすでに色々なところで指摘されていたのだが)。

相互に敵対するはずの妄想と現実とを何とか結びつけていく、暴力的で不穏なゲームに興じることと、妄想とも現実ともつかない第3の存在である何かが、仮想空間上で両者が危ういまま結びつくことで生成していくさまに夢中になること。Qアノン(や白人至上主義者たち)とVtuberカルチャーとの間に成立するこの平行関係は、まさに「無謀の時代」の特徴をよく表しているのだろう。

「無謀の時代」から「仮定の時代」へ

しかしながら、こうした「無謀の時代」は、かつての「不可能性の時代」と同じように、あくまで一時的な過渡期の時代に過ぎないと思われる。何らかのとまどいだけを残しながら、この混乱期はやがて過ぎ去っていくだろう。それではその次に到来する新たな時代は何と名づけたらよいのだろうか。特に根拠はないが、その時代をとりあえずは「仮定の時代」、「仮説の時代」と呼んでみたい。なぜそう呼ぶのかと言えば、「現実」の対義語として残っている概念は、もう「仮定」や「仮説」くらいしかなかったからである(何といい加減!)*6

多分今後は、仮定や仮説というものが持っている特有のリアリティが理論的探究の対象になるのだろう。また多分そこでは、言語や記号と絡みあった含蓄に富む欲望や、脳が覚えるとされる身もふたもない快楽幸福)よりも、仮説を提示する合理的推論を発動させるとともに、それを影から支えている、ドライだが切迫感に満ちあふれている直観洞察というものが重視されるようになるはずだ。

さらに多分、そうした直観や洞察のあり方を解明するための手がかりとして、往年のプラトン主義の考え方に注目が集まるようになるかもしれない。一言で新プラトン主義と言っても、実際には様々な立場や側面が存在しているのだが、その中でも特にクローズアップされるのは次のような側面だろう。私たちは現実世界の桎梏を逃れようとして、天上に存在するイデアに憧れてそれを観照しようとするのだが、一部の新プラトン主義の考え方によれば、そうしようとすればする程、逆にイデアの粗雑な模造物(シミュラークル)でしかない現実世界の重み(物質)が増殖し、その中に私たちは閉じ込められていくことになる。なぜならイデアを見て取るという行為自体が、その粗雑な模造物である物質を生み出す直接の原因になってしまうからだ。こうして、現実世界と天上に存在するイデアとの間の緊張関係が高まっていく一方になるのだが、この緊張関係のもとに置かれたイデアが、「仮定」という形態を新たに取るようになることが推測される。そして、合理的推論を支えている直観や洞察は、この除去不能な緊張関係を途方に暮れながら凝視し続ける一方で、イデアを「仮定」というかたちで何とかつなぎとめようとして、次から次へと新たな「仮説」を紡いでいくようになるはずだ。

なおここでは、現実とシミュラークル(模造、模倣)との関係が、「虚構の時代」におけるそれとは大きく異なるものになるから、その点には注意したい。虚構の時代では、シミュラークルは「虚構」の側に位置し、その虚構が体現していたシミュラークルの運動は、現実の重みや桎梏から人々を(倒錯的に)解放させるものとして肯定的に捉えられていた。それに対して「仮定の時代」では、シミュラークルの運動は、逆に現実そのものの重みや桎梏を構成するものとなり、そうしたものから逃れようとする「仮定」は、安易な模造や模倣を阻止するために、次から次へと新たな「仮説」を提示することによって、仮定という自らの存在様態を何とか維持しようと努めるだろう。

*1:「虚構」(記号世界)と「妄想」(空想)はどうしても混同されがちである。どちらも「仮想」空間に深く関わっているからだ。だが両者の仮想空間への関わり方はまったく異なっている。大雑把に言えば、虚構に対するリアリティの高まりが仮想空間の発達を促し、そうして確立された仮想空間の中で初めて、妄想に覚えるリアリティの亢進が可能になったと言える。また現在では仮想空間はほぼ完全に現実世界の中に繰り込まれ、その不可欠な領域の一つとなったから、仮想空間の中で肥大化した、妄想世界に感じるリアリティの強さが一種のバグと化し、現実世界との間で色々と軋轢を起こすようになった。そのため近い将来には、後で述べるように、人々は妄想以外のものによりリアリティを覚えるようになっていくのだろう。

*2:空虚さというものを重視する点で、明らかに大澤真幸は、オウム真理教の一連の事件を三島由紀夫の自決事件と重ね合わせていたように思われる。また90年代前半に(ごく一部で)流行った悪趣味系カルチャーは、確信犯的に悪趣味なふるまいをすることを通して、オウム信者とは対照的に、記号世界が帯びていた空虚さを現実世界の中に意図的に(偽悪というふるまいを通して)実現させようとした試みだったと言える。そのようにして現実の只中に再現された空虚な空間の中でこそ、大文字の生命の神秘的な躍動に全面的に身を委ねて深い充実感が得られると期待されたわけなのだった。

*3:つまり、「つながり」や「共同性」(コミュニティ)形成の重要性とその困難さという問題系の社会的な浮上は、人々が極私的な妄想に浸るようになった時代状況と完全に相即関係にあることになるわけだ。

*4:知識人たちの間に釈然としない思いが残された原因は、実はもう一つ存在していた。それは、オウム真理教の以上のようなずさんな実践が、現実とシミュラークル(≒虚構)との区別はもはや無効化し、現実はシミュラークルのうちに消滅してしまったという、ボードリヤールの思想(もともとボードリヤール自身はこうした事態を強く批判していたのだが)を文字通りに実現しようとした試みとして彼らには映ってしまったという点である。確かに現実と虚構の二項対立をそのまま維持するのは素朴な見方に過ぎず、実際には現実は虚構に支えられていて、その意味で両者は不可分だと捉えるのが理論的にはより正しいのだろう。またさらに突きつめれば、虚構世界の本質である空虚さは、逆に現実世界の現実性、リアリティの核心のうちにこそ宿っているということにもなる。――こうした見方は確かに理論的には洗練されたものなのだが、しかし往々にして、この種の先鋭的で洗練された見方が現実世界の中でそのまま実現されてしまうと、それは性急でずさんな、大きな破局をもたらす愚行というかたちしか取ることができない。この落差を前にして、当然識者たちは割り切れない思いを抱かざるを得なくなる。理論的な洗練化、先鋭化は歴史的な愚行としてしか決して現実化されることはないという、いわゆる「歴史的現実」の冷酷な弁証法が発動されたことになるのだから。

*5:こうしたたぐいのゲームは、「プレイヤーの日常生活の上に別の現実を構築」していく「代替現実ゲーム」と呼ばれるそうだ。以下の記事参照。(2月14日に補足) www.newsweekjapan.jp

*6:ここで見田宗介大澤真幸が提示した時代の移行図式にどのように手を加え変更したのか、一応確認しておきたい。大澤は見田が設定した「夢の時代」を、それは一時的で過渡的なものに過ぎないと見なしたうえで却下したわけだが、まさに過渡期(消失する媒介者)特有の特徴を示したものとして改めて救い出すことにした。また、大澤が95年以降の時代の特徴を表すものとして立てた「不可能性の時代」の方は、それこそが時代の転換期の一時的な特徴を示したものに過ぎないだろうと判断したため、ごく短い過渡期の特徴を表すに過ぎないものへと逆に格下げした。そのようにして修正された移行図式は次の通りである。「理想の時代」:1945年‐1970年、「夢の時代」(過渡期):1970年前後、「虚構の時代」:1970(1973)年‐1995年、「不可能性の時代」(過渡期):1995年前後(というよりむしろ90年代前半?)、「妄想の時代」:1995年‐2020年、「無謀の時代」(過渡期):2020年前後、「仮定の時代」:2020年代前半~