外付脳内そっ閉じメモ

脳内に澱のように溜ったものの単なる置き場デス。そっ閉じ必至。

〈間〉〈隙間〉〈閾〉〈狭間〉

〈間〉という特有のポジションは、システムの硬直性から自由になることによって、、当のそのシステムの発生現場にあくまでとどまり続けようとする/システムの発生現場にあくまで留まり続けることによって、当のそのシステムの硬直化から自由になろうとすることである。

まずこの〈間〉というポジションから、〈隙間)(余白)というそれが派生してくる。この〈隙間〉というポジションを重視する立場は、システムの発生現場にとどまり続けることによって初めて可能になる創造性や創発性というものを、高コンテクストで閉鎖的なシステムの内部でしか可能にならない、微妙なニュアンスの世界にただ遊ぶこととを混同してしまうことから生じてくるものだ。残念ながらこの立場は、たとえシステムが硬直していても、そのシステムが高コンテクストなものであるなら、その内部で創造性や創発性の発揮させることは相変わらず可能だという深刻な錯覚を、われわれに与えてしまうことになる(松岡正剛の日本論)。

次に〈間〉というポジションから派生してくるのは、〈閾〉(敷居、境界線上)というそれだ。〈閾〉とは、或るシステムが別のシステムに変化する際の、ちょうどその変化が生じている飛躍点、特権的瞬間のことである。またその特権的瞬間の前後には、一時的で例外的な時空間も成立する。この例外空間まで〈閾〉の一部に含まれることがある。大きな変化、飛躍が間近に迫り、それが生じる直前の時空間では、既存のルールや規則が全て無効化するとともに、これから新たなシステムが到来するという期待感に満たされる。また、すでに変化や飛躍が生じて新たなシステムが立ち上がったばかりの時空間では、人々は古いものの桎梏から自由になったという解放感に満たされ、これからは、従来よりもっとマシなシステムを構築していこうという希望に満ち溢れることになる。このような〈閾〉というポジションを重視する立場は、システムの硬直性からの自由というものを、システム自体の変化の単なる目撃や経験と混同してしまうことによって初めて成立してくるものだ。残念ながらこの立場は、たとえシステムの発生現場に常に留まり続けたり、システムを常に新鮮な発生状態に留める粘り強い努力をしなくても、既存の硬直したシステムが崩壊して新たなシステムが立ち上がる歴史の転換期にたまたま遭遇することができさえすれば、それだけでわれわれは人間の根源的な自由な触れ、あらゆる桎梏から解放を経験できるのだ、という有害な錯覚をわれわれに与えてしまうことになる(アガンベンの時間論。革命がまさに閾=敷居を跨ぐこととして捉えられている)。

一方自分は、〈狭間〉というポジションを重視する立場に立つ。〈狭間〉というポジションは次にような経緯で成立してくるものだ。まず、いくら閉鎖的なシステムの〈隙間〉に留まり続けても微妙なニュアンスの世界に遊ぶことができないままだと、ただ単にとりとめない感覚が氾濫するとうになって自我が不安定になり、身を持ち崩してしまうだけになる(サブカル疲れ)。そこでこんな閉鎖的なシステムの終焉、解体を願うようになるのだが(ヤケクソ的な破壊願望)、いざ実際に閉鎖的なシステムの解体、終焉が始まって新たなシステムの到来が展望されるようになったとしても、既存のルールや規則の無効化対して特に解放感を覚えることもなく、また新たなシステムの到来に対しても(どうせまた同じように特定にルールや規範によって人々を縛るようになるだけだろうから)別に期待を抱くこともなく、醒めたままの状態に留まってしまう。ところがこのように醒めた姿勢を取り続けていると、システムが解体、終焉していざ実際に新たなシステムが成立したとしても、新たなシステムにシンパシーを感じられないままになるから、その結果として、古いシステムから新しいシステムが移行する途中に開かれた空虚なエアポケット空間の只中に取り残され、そこで途方に暮れてしまうことになる。システム更新の最中に開かれるこのエアポケット空間こそ、実は〈狭間〉に相当するものであり、それは、本来は特権的瞬間として時空的な延び広がりを全く持たなかった〈閾〉が変容して、弛緩しながら延び広がってしまったものだと言える。また同時に、〈閾〉の近傍に存在していた、解放感と期待感に満たされた例外空間がだらしないかたちで日常化して、一種の慢性症状へと劣化、変質してしまったものだと言える*1

この〈狭間〉というエアポケット空間に閉じ込められた、身を持ち崩して‐醒めて‐途方に暮れてしまったあり方においてこそ、システムの破壊と再生(に対する熱狂と期待)というものから充分に距離を取ったまま、システムが生成しつつある渦中の状態の傍らにあくまで留まり、そのことを通してシステムの硬直化から自由になっていくことを実現できるのではないだろうか。もちろん、こうしたことを本来実現するとされた〈間〉というポジションと、〈狭間〉というそれとは、あるいは、あくまで〈間〉に留まり続けて瑞々しさや柔軟性を維持しようとするあり方と、仕方なく〈狭間〉に取り残されて身を持ち崩したり途方に暮れてしまうあり方とは、むしろ対極的なものに見えてしまうのだが。

多くの人々が気づかない、〈閾〉と〈狭間〉との間の決定的な違いや対立に拘泥しながら、同時に、これまた多くの人々が陥っていた、〈隙間〉と〈間〉との有害な混同を強く諌めつつ、さらに、一見対極的なものに見える見かけを乗り越えて、〈狭間〉と〈間〉とを新たに関連づけていくこと。こうした作業に勤しむのが、取りあえずは自分の基本的立場なのだろう。

*1:なおアガンベン『開かれ』の訳者解説では、わざわざ〈狭間〉という表現が使われていたにもかかわらず、アガンベンの言う〈閾〉とこの〈狭間〉というものとが終始混同されたままだった。

〈反〉〈脱〉〈非〉〈卒〉

現在、〈非〉(無関連化・切断操作)というスタンスを重視する者たちの間では、システムを否定しようとする〈反〉というスタンス(解体、拒絶)が持っていたポテンシャリティを一番継承できるものこそが〈非〉というスタンスだという見方と(おもに運動系)*1、いやそうではなく、〈非〉というスタンスは、システムが強要するものの見方から自由に距離を取ることを可能にする、〈脱〉というスタンス(出し抜き、掘り崩し、骨抜き化)が帯びていたアティテュードを一番継承できるものなのだという見方とが(おもに批評系)、互いにせめぎ合っている*2

それに対して自分の立場は、〈非〉というスタンスと〈卒〉というそれ(無関連化ならぬ無関心化、出し抜き化ならぬ手放し化)との間の違いや対立に拘泥しながら、実は〈卒〉というスタンスこそ、〈反〉というスタンスが持っていたシステムを否定するポテンシャリティと、〈脱〉というスタンスが持っていた、システムから距離を取るアティテュードを一番継承できるものだ、というものである。これからこのことを詳しく裏づけていく必要がある。

ちなみに〈反〉というスタンスは、システムを正面から否定することによってシステムの外部に出ようとする試みのことであり、他方〈脱〉というスタンスは、システムの内部に留まったまま、そのシステム自体の効力を骨抜きにできる自らの肯定性(力の過剰性)に依拠することによって内破の運動を生じさせ、何とかシステムを内側から消滅させていこうとする試みのことである(ネグリ=ハートのマルチチュード論などがその典型)。また〈非〉というスタンスは、いっきにシステムとの関係を切断、無関連化できるような自らの肯定性(意味や言葉の世界から取り残された残余享楽の執拗さ、除去不能性)に依拠することによって、システムの外部に一挙に脱出しようとする試みのことである。他方〈卒〉というスタンスは、システムの内部に留まったまま、システムからの要求に反応したり、システムに依存することをこちら側から否定し(無関心化)、そうすることによってシステムの機能を停止にもたらそうとする試みのことである。

*1:特にティクーン派の日本における受容において。

*2:なおA・カルプ『ダーク・ドゥルーズ』に関して言えば、それは、今更ながらに〈脱〉というスタンスが〈反〉というスタンスの継承者だった点ををただ確認しただけのものに過ぎなかったのではないか。この本がわれわれに突きつける、つながりか切断(による破壊)か?という二者択一は、一応〈非〉というスタンス特有の問題構制に属してはいるのだが。

ヘンタイ・パフォーマーたちの存在と機能

もてあました自分の存在をどう受けとめてよいかわからず、また世界に受け入れられたという記憶が乏しいため、世界にどう関わってよいかもわからない。そのため仕方なく、内から迸り出てくる破壊衝動と表現衝動にひたすら忠実に従っていくことしかできない(それ以外にやることがない)、アート「もどき」(←ここ重要!)のパフォーマンスに勤しむヘンタイ・パフォーマーたち。彼/彼女たちの実践(というよりプラクティス:慣習行動)は、いわばアート・セラピーのセッションが失敗して空転し続けている状態なのだと言える。もう一歩踏み込んで言えば、アート・セラピーが失敗した空転状態そのものの慢性化。(傍らからは意味不明でチープな表現行為にしか見えない)ヘンタイ・パフォーマーたちのこうしたあり方は、当然アートとも政治的プロテスト行為とも、はたまたセラピーの実践とも見なされないだろう。それらのものの狭間に穿たれた空間に落ち込んで、そこで動きが取れなくなってしまった、いわば歴史のあだ花のような存在。

ところでヘンタイ・パフォーマーたちは、当然アート・セラピーそれ自体の可能性も掘り崩してしまうため、アート・セラピー関係者にとってもまた厄介な存在だったのだ。アート・セラピーのワークショップで、やたら元気でよく発言するのも実はこの種の連中であることが多いのだが、たいていの場合は言っていることが余りにも独自(というかひとりよがり)なので、参加者のうちでまっとうにアート活動をしている者と、精神療法の仕事を専門にしている者やその勉強を現在している者は、ただ苦笑いして話を聞いているふりをするか、もしくはひたすら見て見ぬふりをするようになってしまう・・

けれども元々アート・セラピーという存在そのものが、アートとセラピーの間に穿たれた狭間の空間に位置してきたものでしかなく、しかも、アートとセラピーの世界の両方から一段下のものでしかない、もしくは胡散臭いものとして常に見られてきたのではなかったのか。そうであるのなら、アート・セラピーのワークショップにこうした者たちが集まってくるのも、さもありなんということになるのではないか。それならむしろ逆に、アート・セラピーのセッションの失敗形態を日々生きるヘンタイ・パフォーマーたちが、アート・セラピーの場そのものを完全に占拠・占有してしまった方がよいのではないか。なぜならそうなった方が、アート・セラピーはジャンルとしてより自立できるようになるかもしれないからだ。ヘンタイ・パフォーマーたちがアート・セラピーの主な担い手となれば、アートとセラピーのただの中間形態として、完全なアートでもセラピーでもないものとして一段下に見られていた段階から、アートとセラピーの間に穿たれた狭間の空間の上で、独自なジャンルとして改めて自己を打ち立てることができる段階へと移行していくかもしれない。ただこうしたことを実現するためには、現在はアートセラピーの失敗形態をただの症状として慢性的に生きているだけにしか見えない、ヘンタイ・パフォーマーたちの実践(慣習行動)をそれ自体で完成したものとして捉え返し、実際にそうしたものへと内的に変容・昇華させる(=生そのものの作品化)努力を始めていく必要があるのだが・・

哲学、思想、理論、批評

「哲学」とは、自明とされていることを思考によって捉え返し、それが決して自明ではなくなるような次元にまで至ること、またはそうした次元にあくまで留まり続けようとすること。

「思想」とは、物事をより包括的に説明できるよう既存の図式を修正したり、既存の見方ややり方の行き詰まりを打破するために従来の発想を転換すること。つまり、そうした図式の修正や発想の転換の競争やゲームのこと(=象徴闘争、ヘゲモニー闘争)。

「理論」とは、社会的に共有された学問的な手続きに従って、首尾一貫して筋の通った理屈として展開されたもののこと。そうした理屈の展開は、自明なことが本当は自明でないことを説明したり、自明なことが自明でなくなった次元を維持するために行われる。あるいは図式の修正や発想の転換が有効であることを人々に説得するために行われる。

「批評」とは色々なものの良し悪し、出来具合を比較すること。それは以下の3つの段階に区別される。
1) 時代や社会の大きな動向を踏まえながら、特定の作品やコンテンツの良し悪し、出来具合を比較すること。
2) 逆に卓越すると見なされた作品やコンテンツの方から(それを時代や社会の診断基準として設定したうえで)、同じ時代や社会の中に複数存在する様々な動向(流行や潮流)の間の良し悪しや、それらの真正性の度合を比較していくこと。
3) さらに、同じ時代や社会の中に複数存在する様々な動向の間の良し悪しや、それらの真正性の度合の比較を通して、複数ある物事の非自明化の仕方(様々な哲学)の間や、複数ある図式の修正と発想の転換(様々な思想)の間の有効性の度合まで比較していくこと(どんな哲学や思想が、同時代のどんな社会の動向に対応し、それを反映しているのかを指摘していきながら)。

*なお、時代や社会の動向(=歴史)のうちに物事の本質、あるいは本質と非本質との間の絡み合いが表れているという(ヘーゲル的な)前提が社会的に共有されなければ、批評という営みは成立しない。
*さらに(単なる意匠やスタイリングとは異なる)「デザイン」とこれらのものとの違いも明らかにしていく必要がある。

李珍景『不穏なるものたちの存在論』について

あかねでの読書会の告知です。

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守ることと目指すこと

ありふれた生を守ることと、よりよい生を目指すこと

反ヘイトの運動でヘゲモニーを握った(ように見える)者たちが、しきりに自分たちは保守、愛国者の立場に立っていると強調しているが、左派の側は彼/彼女たちのそうしたスタンスに対してきちんと対処し、彼我の差異をはっきりとさせていく必要がある。けれどもそれが十分にできないのが現在の左派側の大きな問題なのだ。(リベラル、ラジカル問わない)左派というものの基本的スタンスは、現存の(国民)社会と戦いながら、よりよい社会、生を目指していく点にあるのだが、その目指しているよりよき生を対外的に堂々と提示できないどころか、自分たち自身がそれを明確に把握することができなくなって既に久しいからである。また保守の側は、現存の(国民)社会に自足した、この当たり前でありふれた生を守ることの大切さを強調してやまないのだが、それに対して従来の左派は、既に存在するありふれた生をただ守ることよりも、よりよい生の実現を求めて現存の社会と戦うことの方が身条件に素晴らしいと、強く主張してきた。そのように戦うこと自体が、少なくとも現存の(国民)社会にただ自足することよりも、まだよりましな生き方になるのだと。だが、こうした主張ももはや説得力がなくなってしまった。よりよき生のために現存の(国民)社会と戦うことが、どのようにその社会にただ自足することよりよりよいことなのか、またそこでどのようによりよき生が実現されているのか、この2点ともはっきりとは提示できなくなり、自分たち自身もそれらがいったいどうものなのか、よくわからなくなっているからだ。そして後には、現存の社会に抗して何らかのよりよき生を目指すこと自体が、ただそれだけで直ちによりよき生の実現なのだという、居直りなのか錯覚なのか区別できない、傲慢で硬直した見方だけが残り、それが左派界隈を漠然と覆うようになってしまった。しかしこれは極めて不健全な状態と言わざるを得ないだろう。この錯覚の漠然とし共有こそが、現在左派の人々の言動を大きく蝕みつつあるのではないだろうか。

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生きることと、戦うこと その2

前回のエントリーの続きデス。

前回のあらすじ

右派と左派のあり方の違いを、生きることと戦うこととの間の関係に着目して、〈生きるために戦う〉/〈戦うために生きる〉として定式化してみた*1。生きるための戦いに魅了された右派の方は、生きることと戦うことの間の乖離に苦しみ、両者の間で何とか折り合いをつけようとする者の人間ドラマや、その両者の一致が例外的な僥倖として与えられる運命劇を、「戦いの物語」に仕立てながら好んで描いてきた。一方、戦うために生きようと目論む左派の方は、その戦いによって獲得される未来のよりよい生と、現在の不完全な生との間の分裂に常に悩まされることになり、この分裂を解消してくれるような「戦いのスタイル」の創出に腐心するのだった。実際に創出された戦いのスタイルは、1つは、あくまで生きることの只中で戦い続けようとすることである。ただしこの戦い方では、現在の生の只中で、未来のよりよい生を目指す姿勢をどう取ればよいかわからなくなるから、取りあえずそうした姿勢を取ること自体が正しいことだと見なす破目になる。そのため自らの努力を自己目的化したり自己絶対化することになってしまいがちだ(倫理的潔癖主義という陥穽)。創出されたもう1つのスタイルは、戦いの只中で未来のよりよき生を先取り的に実現しようとすることである。残念ながらこちらの方の試みも、戦いの中で先取りされる未来の生とはどのようなものかよくわからなかったから、戦うことの楽しさや、そこで生じた盛り上がりや一体感を、取り敢えず未来のユートピア的生の先取りだと強引に見なしていくことしかできなかった。そのためすぐに、その種の祝祭的解放感や興奮状態が、そのままで未来の目指すべき生そのものの実現だと誤解されるようになってしまった(快楽的祝祭主義という迷妄)。以上のような、よりよい未来のために戦うスタイルが陥ってしまった誤りや迷いを打開するには、戦うことと生きることとを一致させることによって、未来の生と現在の生との間の分裂を解消させようとしてきた試み自体をもはや断念するしかないだろう(生と戦いとの一致は決してこちら側からは求めることができないと最初から見なしていた右派の方が、この点では一歩だけ賢かったと言える)。その代わりに追求すべきなのは、目指している、未来のよりよき生の未到来状態と、戦いのために犠牲にされた現在の生の毀損状態とを一つに切り結び、その未到来と毀損を共に生きられるようにするための別の回路である。この回路は取りあえず、(1)一種の謀略工作としての左派特有の実効的合理性、(2)戦いを維持させる、ふんばり耐える知性、(3)生の未到来と毀損それ自体が持つ魅力の発見と追求、という3つのものから構成されると思われる。今回のエントリーは、そのうちの(1)についての、ごく簡単で大雑把なスケッチである。

*1:実は第3のあり方として、マジョリティと闘争関係に入り、その中で対抗的なアイデンティティを形成していく戦闘的なマイノリティの、〈戦うことを通してしか生きることができない〉というものも存在するのだが、それについては次々回のエントリーで少し触れていくことにする。

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